味噌は、母が作る味噌しか知らなかった。
味噌汁はおかずも兼ねていた。
修学旅行に行って初めて、味噌や味噌汁が家のものとは違うのを知った。
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「成羽町史民俗編」 成羽町 平成3年発行
調味料
味噌
味噌は自家製で、昔はなめ味噌であった。
味噌は、他人にやらぬものといわれ、それぞれの家庭でその家の特技により作られていた。
大豆、麦で作り「三年味噌」が一番良いとされ、樽に封じて三年経って食べていたが、
今では特別の家庭以外は一年位で食べるようになった。
赤味噌・白味噌の二通りで麦麹・米麹によって異なる。
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「金光町史民俗編」 金光町 平成10年発行
味噌
米味噌と麦味噌があったが、戦後は米味噌中心になった。
味噌作りは冬の仕事であった。
庭があがったら(米の収穫が終わると)すぐに味噌を作った。
米味噌には小米を使うことが多かった。
まず米を蒸し、
麹の素を混ぜ紙袋に入れた。
炬燵にいれたり、風呂の蓋の上に置いて温度を上げ、麹を作った。
また刈りとった青草の上に筵を敷き、蒸した米をひろげて上に筵をかけて家の中の風が当たらないところに置き、青草の発酵熱を利用して麹を作ったこともあるという。
次に大豆を炊き、麹と豆と塩を混ぜて搗いた。
一斗も入る味噌瓶に二つも三つも作った。
三年味噌と言って三年経ったものから食べていったが、
三ヶ月から半年ぐらい経つと食べる家もあった。
高度経済成長以後、各家での味噌作りはだんだんと廃れていった。
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「鴨方町史民俗編」 鴨方町 昭和60年発行
日常のおかず
調味料
味噌
かつては味噌で味付けをすることが多く、
また、おかずでもあった。
重要な調味料であり、保存食であった。
原料は、大豆と裸麦の麹・塩である。
台のうえに筵を二枚敷く。
そこに蒸した裸麦を移し広げる。
タネといって麹菌を加え混ぜる。
上へ筵をかけてねかせる。
大豆を釜で煮て、からうすでついてつぶす。
これに裸麦の麹をまぜる。
両手でもみほぐしながらまぜ、味噌樽に仕込む。
一年に一回、春秋の彼岸ごろにつく家が多い。
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「岡山の食風俗」 鶴藤鹿忠 岡山文庫 昭和52年発行
味噌
味噌の原料は、米の麹、大麦の麹、裸麦の麹で、
大豆と塩を用いる。
麹は納屋の土間に青草を敷いて、そのうえに蓆(むしろ)を敷き、
蓆に大豆、膚麦、麹のモトをまぜて、ねさせる。
麹を作るのに技術がいる。
笠岡市吉田では秋の彼岸に搗く。
南部地方では味噌は六十日味噌といって、60日すると食べ始め、翌年また新しい味噌を作って食べる。
吉備高原地方では三年味噌といって3年経過した味噌を重宝がる。
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味噌
原料は大豆、米の麹、塩である。
味噌をつく時期は節季で、麹はこたつでねかせたという。
割合は大豆一斗、米の麹五升が四斗樽一本ぶんで、毎年一本づつつく。
三樽ほど所有していて、三年味噌といって、三年経った味噌が味が良い。
「吉永町史」 吉永町史刊行委員会編 吉永町 昭和59年発行
食事・記述は、昭和35年ごろまでの食事である。
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