「日本の歴史14巻 いのちと日本帝国」 小松裕著 小学館 2009年発行
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「東京朝日新聞」の米騒動の初報は、1918年(大正7)8月5日である。
「200名の女房連が米価高騰で大運動を起こす」という見出しで、
富山県中新川軍西水橋町で起こった8月3日夜の騒動の模様を報道した。
この報道を皮切りに、西水橋・東水橋・滑川町の騒動が連日とりあげられた。
富山の米騒動を全国紙が詳しく報道したことが、米騒動の全国的拡大に大きな役割を果たした。
8月9日には、
名古屋・京都・大阪・兵庫・高松・愛媛でも騒動が発生、
その後西日本を中心に軍隊を出動させて鎮圧にあたらざるをえないほどの激しい騒動となった。
炭鉱や鉱山、工場でも賃金値上げと共に米価引き下げが要求され、ストライキが発生して、一部は暴動化した。
舞鶴では海軍工廠の職工2.000余名が町民と共に精米所などを襲撃している。
被差別民や朝鮮人労働者も騒動に参加した。
当局の推定で全国70万人以上が参加、検挙者8.185人、そのうち起訴7.708人。
下層民衆がほとんどであったが、特に被差別民が狙い撃ちにされた。
米騒動の発祥地となった富山県では、明治初期より「バンドリ騒動」に象徴される米騒動が多発していた。
米騒動の基本は、集団の圧力による廉売強制にあった。
価格は、一升25銭というのがもっとも多い要求であった。
これは、ほぼ前年の価格であった。
これが米騒動前には一升50銭まで急騰したのである。
米などの略奪の例はきわめて少ない。
25銭払って一粒残らず買い取っていくのが普通である。
人びとは
「適正価格」をもっており、高い値段は「不正」であると意識していた。
米商などの「徳義(モラル)」を要求したのである。
集団の圧力で権力の代執行であり、正当な行動であるとした。
1918年9月21日、寺内正毅内閣は、米騒動の責任をとって総辞職した。
(デモクラシー運動にもより)
1925年、25歳以上の男子普通選挙法が成立した。
それが民衆の制裁暴力の発動を抑制する装置として機能していったことは間違いない。
男子たちには「一票」が与えられ、暴力ではなく選挙権で意思表示するのが国民の義務とされた。
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「東京朝日新聞」の米騒動の初報は、1918年(大正7)8月5日である。
「200名の女房連が米価高騰で大運動を起こす」という見出しで、
富山県中新川軍西水橋町で起こった8月3日夜の騒動の模様を報道した。
この報道を皮切りに、西水橋・東水橋・滑川町の騒動が連日とりあげられた。
富山の米騒動を全国紙が詳しく報道したことが、米騒動の全国的拡大に大きな役割を果たした。
8月9日には、
名古屋・京都・大阪・兵庫・高松・愛媛でも騒動が発生、
その後西日本を中心に軍隊を出動させて鎮圧にあたらざるをえないほどの激しい騒動となった。
炭鉱や鉱山、工場でも賃金値上げと共に米価引き下げが要求され、ストライキが発生して、一部は暴動化した。
舞鶴では海軍工廠の職工2.000余名が町民と共に精米所などを襲撃している。
被差別民や朝鮮人労働者も騒動に参加した。
当局の推定で全国70万人以上が参加、検挙者8.185人、そのうち起訴7.708人。
下層民衆がほとんどであったが、特に被差別民が狙い撃ちにされた。
米騒動の発祥地となった富山県では、明治初期より「バンドリ騒動」に象徴される米騒動が多発していた。
米騒動の基本は、集団の圧力による廉売強制にあった。
価格は、一升25銭というのがもっとも多い要求であった。
これは、ほぼ前年の価格であった。
これが米騒動前には一升50銭まで急騰したのである。
米などの略奪の例はきわめて少ない。
25銭払って一粒残らず買い取っていくのが普通である。
人びとは
「適正価格」をもっており、高い値段は「不正」であると意識していた。
米商などの「徳義(モラル)」を要求したのである。
集団の圧力で権力の代執行であり、正当な行動であるとした。
1918年9月21日、寺内正毅内閣は、米騒動の責任をとって総辞職した。
(デモクラシー運動にもより)
1925年、25歳以上の男子普通選挙法が成立した。
それが民衆の制裁暴力の発動を抑制する装置として機能していったことは間違いない。
男子たちには「一票」が与えられ、暴力ではなく選挙権で意思表示するのが国民の義務とされた。
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