哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

『競争の作法』(ちくま新書)

2011-06-05 00:23:00 | 
 表題の書は、以前紹介した『競争と公平感』と昨年同時期に、経済書として話題になった本である。各書の著者は同世代と言っていいくらい近い年齢層で、2人とも経済学者らしく市場に対する信頼感が大変強い。

 読んでみた印象としては、以前紹介した本よりも、表題の本の方が扱う事象を絞っていて(失われた10年と戦後最長の景気回復が主)、かつ主張したいことが明確かつラディカルである(労働生産性を2割上げるか、労働コスト=賃金を2割下げるか)。そのラディカルな分だけ、『競争と公平感』に比較して少し推薦される度合いが低いようだ。

 「競争の作法」の意味は、最後まで読んで分かるようになっていて、端的にいえば、同じ土俵で競争して負けたのであれば、「負け」をきちんと認め、給料ダウンなどの結果を潔く受け入れるべきだということを言っているようだ。なぜならば、現在の日本社会においては、既得権益が保護されてしまい、公正な競争上の結果が必ずしも反映されていない常態が形成されてしまっているという問題意識があるからだ。

 この本の筆者のメッセージは、エピローグで端的に3つにまとめられている。①一人一人が真正面から競争と向き合う、②株主や地主など持てる者が当然の責任を果たす、③非効率な生産現場に塩漬けされている資本や労働を解放す、の3つである。


 意外であったのは、この本の最後の方に中島敦の「山月記」が出てきたことだ。「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」というキーワードは、高校の教科書で読んで以来、何度も反芻しつつも、未だになかなか本質に迫る理解を得たとは思えていない。ここでの筆者の謂いは、「競争を正視するとは、自身の内なる虎に克ち、他者を尊重することにある」というものだ。

 さらに筆者は坂口安吾の『堕落論』も引用したうえで、競争原理について、善悪で考えた倫理で葬り去るのではなく、美学と道徳で守りきるべきと結ぶ。

 ここで善悪を持ち出されてしまうと、池田晶子ファンとしては、市場競争原理という損得で考える経済システムと、善悪で考える倫理とは関係ない、ということになるのだろうが、それでも社会のあり方について有益な示唆に富む一冊である。