アメリカをはじめ世界各国の財政赤字、各地の大震災、いろいろ自分の周りに起きていることや、先行きの不透明感などから、今この時代に生きているということの不遇を思うことがあるかもしれない。しかし、単にそれらを運命だとして受身に思うのではなく、時代が変わろうとする大きなうねりの中に居るのだと思うこともある。そして、時代の移り変わりは決して他力ではなく、自ら変わることが時代が変わるということだと、池田さんは端的に述べている。
43 時代に即するとは、君が君の人生を、よそ見をせずに真面目に生きてゆくことでしかない
時代を生きている君たちが、時代を変えることを望むのなら、まず自分の考えを変える以外ないじゃないか。それがたくさんの人に理解されて、時代の考えになり変わる以外に方法なんかないじゃないか。
言論は自由なんかじゃない、厳しい必然だからだ。数式や文法がそうであるのと同じだね。それらが全ての人に理解されることができるのは、それが誰か個人の考えではないからだ。まあ、万古不易の真理だね。それでこれを言論(ロゴス)と言うのだ。(『帰ってきたソクラテス』「時代はどこにあるのか」より)
43 時代に即するとは、君が君の人生を、よそ見をせずに真面目に生きてゆくことでしかない
時代を生きている君たちが、時代を変えることを望むのなら、まず自分の考えを変える以外ないじゃないか。それがたくさんの人に理解されて、時代の考えになり変わる以外に方法なんかないじゃないか。
言論は自由なんかじゃない、厳しい必然だからだ。数式や文法がそうであるのと同じだね。それらが全ての人に理解されることができるのは、それが誰か個人の考えではないからだ。まあ、万古不易の真理だね。それでこれを言論(ロゴス)と言うのだ。(『帰ってきたソクラテス』「時代はどこにあるのか」より)