ソクラテスは文字が嫌いだったそうだ。書いて記録すると、頭を使わなくなり、考える力が減るからだという。しかし、ソクラテスの考えは弟子のプラトンが文字にすることによって、後世に伝えることができた。この矛盾をどう考えればいいのか。
文字を使うことによって、先人達の尊い教えを後世の人々が知ることができるという利益がある一方、後世の人々ほど考える力が失われているとすると、実は失うものの方が多かったのだろうか。
池田晶子さんの仰っていた「言葉こそ命」の「言葉」はどちらかというと、ソクラテスの言いたい事に近い気がする。文字で書くことよりも、対話でこそ言葉は研ぎ澄まされ、考えは深化するものだからだ。現代の我々は文字を捨てることはできないが、考える力を高めるためには、文字を捨てんがごとくに覚悟が要るのかもしれない。
(都合により、しばらくブログの更新はお休みします。)
文字を使うことによって、先人達の尊い教えを後世の人々が知ることができるという利益がある一方、後世の人々ほど考える力が失われているとすると、実は失うものの方が多かったのだろうか。
池田晶子さんの仰っていた「言葉こそ命」の「言葉」はどちらかというと、ソクラテスの言いたい事に近い気がする。文字で書くことよりも、対話でこそ言葉は研ぎ澄まされ、考えは深化するものだからだ。現代の我々は文字を捨てることはできないが、考える力を高めるためには、文字を捨てんがごとくに覚悟が要るのかもしれない。
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