哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

松岡正剛さん

2005-09-30 06:28:20 | 知識人
 私は読書は好きですが、読書量はそれほど多くありません。一方でとんでもない読書量の方の話を時々聞きますが、ウェブ上でその凄さを確認できるのは松岡正剛さんの千夜千冊(http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya.html)です。私自身も興味ある話題が多く、このサイトを読み出すと止まりません。

 随分昔の学生時代に、松岡さんが主体になって出版されていた雑誌『遊』を見たときには、松岡さんらの博識に驚きながらも、その論理飛躍的な関連性摘示の羅列に胡散臭さも感じていました。
 しかし、今や編集工学の権威としてアカデミズムにも認められているようですし、NHK等のTVメディアにもよく登場されています。

 「博識」は、知るという、つまりは読書なりの経験作業が前提になりますから、有限の人生をうまく使ってきたという、一種の人生の勝ち組のような羨ましさを覚えます。でも池田晶子ファンである私が今言うとすれば、多くを知るということと正しいことを知るということは同じではない、と偉そうに言ってしまいそうです。松岡さんと池田さんで対談でもしていただきたいですね。

『方丈記』

2005-09-29 06:53:24 | 
 思想関係か何かの雑誌の特集で、『バカの壁』で有名な養老さんが日本の古典からは唯一『方丈記』を推薦されていました。

 高校時代には冒頭部分を覚えさせられたりしましたが、全文の量も少なく、大した量でもないので、訳文もついた文庫本で全文を読んでみました。

 読んでみた感想としては、世の無常観の表明以外何もないという印象です。悪く言えば、分量通りちょっと薄っぺらいかな?と思いました。著者は身分も高く教養豊かでありながら出世競争で敗れ、失意のうちに、自ら望んで山の草庵で無常な世を思いながら過ごしつつ本書を残したようでず。その無念さが無常観へ昇華したようにも思えます。

 世を確かなものと思い込んで明け暮れている我々一般庶民としては、その徹底した無常観は新鮮なのかも知れませんし、その意味で一度は読むべきかもしれませんが、一度読めばもう読まなくていいカモ。

『宗教の授業』

2005-09-28 19:39:32 | 
 週刊ポスト最新号で、池田晶子さんは『宗教の授業』(大峯 顯著、法藏館 2415円)を紹介されていました。紹介と言っても、文章のほとんどは池田晶子さんの宗教に関する考えの表明でしたが。

 大峯さんの文として「哲学は根源的なものを考えようとするが、宗教は根源的なものに敢て触れずに置こうとする」というようなことが書いてあり、一方で池田さんは「気づく宗教」と称して、根源なるものに気づき考えていくことがこれからの宗教であるような書き方をされていました。(ちょっとうろ覚えで書いているのであまり正確でないかも)

 ウェブでこの本を検索すると「宗教は人類の叡智!人間とは何か、死んだらどこへ行くのか、宇宙の中の私とは――宗教とは、こうした人間の根源的な不安や課題に応える精神の営みである。」という紹介文がありました。これだと「=哲学」ですね。

『ローマ人の物語』の塩野七生さん

2005-09-27 22:19:48 | 知識人
 今一番愛読中なのは、池田晶子さん以外では、塩野七生さんの『ローマ人の物語』が挙げられます。新潮文庫で新刊が出版されるたびに買って読んでいます。単行本なら既にかなり先まで出版されているにもかかわらず、文庫の出版ペースに合わせて読んでいます。

 内容がおもしろいのは、やはり塩野さんによる歴史上の人物やその政治の評価が的確だからでしょう。政治というのは、人間が行う以上、実はどの時代においても同じ様相を見せるものだということがよくわかります。

 そして塩野さんの的確な評価力を今の政治に対して示しているのが、文芸春秋の塩野さんの連載です。毎月楽しみにして、立ち読みしています。

輪廻の思想

2005-09-27 03:41:19 | 哲学
 先日TV「ふしぎ発見」(テーマは忘れましたが外国でした)で、古代の墓に刻まれた「復活のシンボル」は何?とのクイズがあり、答えは蛙であることを聞いて、ふと思いました。
 蛙を復活のシンボルに人々が祀り上げた理由は、地中から春になって這い出す様子が、一度死んだものが復活するように見えたからだそうです。

 仏教関連の書物等をしっかり読んだわけではありませんが、輪廻の思想はざっくり言えば、一旦死んでも他の生き物になったりして生き返り、それが未来永劫回っていくという考え、そのことが生物全般への慈愛に結びついていることが、他の宗教と比較しても優れているということでもあったと思います。
 しかしきっと古代の人は、目の前で成長→生殖→死が繰り返される生物そのものの生存形態に加え、土から復活したかのような蛙の例などを見て、素朴に輪廻の発想に至ったのではないでしょうか。

 そう考えると、輪廻の思想そのものを極端に優れたものと解するのも、ちょっとオーバーな気もします。むしろアニミズムとも共通する、自然への畏敬の念の表現の一種として捉えるべきではないでしょうか。最近シルクロードでの歴史上の活躍が見直されているソグド人が、ゾロアスター教(拝火教)で火を信仰していたことも、火を拝むというのは随分原始的に思えますが、輪廻の思想と大した差はないのでは?と思ったりします。

 とくに宗教は、まさに宗教という形態での信ずることの怖さ(他者の排除)があり、時々仏教が一神教よりも慈愛精神あふれるとかいう話を聞いたりしますが、その原始性(悪い意味ではありません)も自覚し、決して思い上がることなく、物事を考えていかなければならないと思います。

池田晶子ファン

2005-09-26 06:16:15 | 知識人
 私は、池田晶子(文筆家。でも正確には哲学者というべきであろう)さんの熱烈なファンです。

 池田晶子さんの文章に初めて接したのは、週刊サンデー毎日に連載されていたころ(『考える日々』で単行本化)で、その透徹な論理と言葉に強烈な印象を受けました。

 現在は週刊新潮に「人間自身」という題で連載されていますので、是非読んでみてください。また週刊ポストの書評欄にも定期的に登場しているようです。

 ところで、ネットで少し検索をしてみたら、池田晶子批判のブログにぶつかりました。池田さんの言葉は確かに過激な言い方に聞こえますので、なかなか受け入れられない可能性が高いのかも知れません。

 とりあえず、池田晶子さんの文章の例として、角川のリンク(http://www.one.kadokawa.co.jp/webr/r_01.htm)を発見しましたので、掲載します。