昨年のビジネス書のベストセラー本である『競争と公平感』(中公新書)を読んでみた。市場での競争の結果、多くの人にとって収入に差が出ても「公平」に感じるかどうかは、公正なルールが設定されているかどうかや、失敗しても救済されるセーフティネットの整備にあるというのが、大まかな話しの流れであった。たとえ競争で負け組がでても、国民全体で幸福度合いが高まるとして、経済学者らしく市場経済の優位性を強調する。しかし、その仕組みづくりは政治に委ねられ、かつ政治は高齢者の投票率が高いため、いびつな結果になりやすいことも指摘されている。
面白いと思ったのは、真ん中あたりで紹介されている表題の話しで、夏休みの宿題を後回しにした人ほど、消費者金融で借り入れて債務整理になった人や、肥満になる人が多いという調査結果があるそうだ。人は将来のことよりも身近な消費の方を優先しやすい傾向があり、時間割引率が高いという考え方で説明されている。時間割引率が高い人ほど後で後悔するという。
このような傾向が一般的に多く見られるからこそ、クレジットカードの利用限度額や、定期預金や、年金制度があり、時間的に非合理な行動に対して強制的な制限を加えているという。そうでもしないと、人は目先の欲に目がくらみ、将来のことをかんがえずに消費してしまいやすいからだ。
しかし、ここからは私見だが、その肝心な国家制度としての年金の仕組みをよくよく考えてみると、現在の年金保険料は将来の積立に回っているのではなく、現在の受給者に対して払われているのだから、まさに年金制度自体が将来のためではなく、現実の消費に回されているのが実態だ。さらには国の債務残高の過剰で日本国債が格下げになるという報道が最近あったが、国債という将来の世代からの借金も膨大であり、返済不能になりかねないのだから、まるで日本国自体が夏休みの宿題を後回しにする傾向の国家であるともいえることになる。
非合理な行動から国民を救うはずの制度や政府自体の政策が非合理だったということは、将来において国民みんなで後悔するしかないという痛烈な皮肉なのだろうか。
ただそうはいっても、池田晶子さんに言わせれば、人生は先のことはわからない、だからどうした?と一蹴されるだけだろう。
「国民年金というあれも、何ですか。どういったものなのか、全く認識していないのだが、老後の心配を、国がしてくれるということなんですか。私はちっとも心配していないのですけど、それでも払わなくちゃいけないんですか。」(『41歳からの哲学』「先のことはわからない。だからどうした?ー生命保険」より)
もちろん先のことはわからないから、今消費してしまえ、ということでは当然ないのであるが。
面白いと思ったのは、真ん中あたりで紹介されている表題の話しで、夏休みの宿題を後回しにした人ほど、消費者金融で借り入れて債務整理になった人や、肥満になる人が多いという調査結果があるそうだ。人は将来のことよりも身近な消費の方を優先しやすい傾向があり、時間割引率が高いという考え方で説明されている。時間割引率が高い人ほど後で後悔するという。
このような傾向が一般的に多く見られるからこそ、クレジットカードの利用限度額や、定期預金や、年金制度があり、時間的に非合理な行動に対して強制的な制限を加えているという。そうでもしないと、人は目先の欲に目がくらみ、将来のことをかんがえずに消費してしまいやすいからだ。
しかし、ここからは私見だが、その肝心な国家制度としての年金の仕組みをよくよく考えてみると、現在の年金保険料は将来の積立に回っているのではなく、現在の受給者に対して払われているのだから、まさに年金制度自体が将来のためではなく、現実の消費に回されているのが実態だ。さらには国の債務残高の過剰で日本国債が格下げになるという報道が最近あったが、国債という将来の世代からの借金も膨大であり、返済不能になりかねないのだから、まるで日本国自体が夏休みの宿題を後回しにする傾向の国家であるともいえることになる。
非合理な行動から国民を救うはずの制度や政府自体の政策が非合理だったということは、将来において国民みんなで後悔するしかないという痛烈な皮肉なのだろうか。
ただそうはいっても、池田晶子さんに言わせれば、人生は先のことはわからない、だからどうした?と一蹴されるだけだろう。
「国民年金というあれも、何ですか。どういったものなのか、全く認識していないのだが、老後の心配を、国がしてくれるということなんですか。私はちっとも心配していないのですけど、それでも払わなくちゃいけないんですか。」(『41歳からの哲学』「先のことはわからない。だからどうした?ー生命保険」より)
もちろん先のことはわからないから、今消費してしまえ、ということでは当然ないのであるが。