哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

エコと倫理

2007-07-22 02:34:00 | 科学
 先日、確かNHKのTV番組で、ゴミの分別を普段行っている主婦に、分別しないで捨てさせるようにしたらどうなるか?という実験をやっていました。結果は、ゴミの分別を普段からきちんと行っている主婦ほど、ゴミの分別をしないことに罪悪感を感じるというものでした。

 つまり、ゴミの分別というのは、リサイクルとかの資源再利用という経済行為に過ぎないのに、普段から習慣として行うことによって善いことと認識し、そこから外れる行為を悪いことという認識を持つわけですね。

 善悪の判断基準について、新たに習慣化した規則から外れることを悪と捉えることを是とすると、善悪がかなり相対化してしまいます。池田晶子さんは、善悪は論理的帰結でなく、既に知られているものであるとか倫理的直感だとかよく書いておられましたが、これは新たに習慣化された規則によって作られる基準ではなく、飽くまで絶対的基準であるはずです。


 このことを思ったのは、たまたま雑誌「考える人」(No.21)の養老孟司さんの連載を読んだからです。少し要約して紹介すると、以下の通りです。

「温暖化は人為的だという見解を「正しい」と思う人があるが、経験科学に正しいということはなく、人為的原因以外にいまのところ温暖化に関する有効な説明がないというべきである。問題が政治化すると、温暖化を人為的と見るのが「正しい」となり、それを疑うと不正と見なされる。しかし、経験科学の結論はつねに、より蓋然性が高いか否か、だけなのである。
 もう一つ大きな問題は、ある社会的行為について「正しいことをしている」と思っている人は、しばしばその「正しい行為」にかかるコストを冷静に計算しない傾向がある、という経験的事実である。戦争を考えたら、イヤというほど、よくわかるはずである。自分が正しいと思っていると、「どれだけのコストを払ったとしても、勝たなければならない」となってしまう。だから、かつては特攻隊となり、挙句の果てに原爆を落とされる結果になった。政治的な問題での「正しさ」は、容易に原理主義と結びつく。私はそれをもっとも警戒する。」


 さすが、養老さんです。池田さんが見込んだだけのことはあります。

 いつか聞いたラジオ番組でも、プラスチックだかペットボトルだかをリサイクルするのに、作るときの5倍の石油を使っているとの話を聞いたことがあります。もし本当にそうなら、倫理的にではなく論理的に適切な判断をしていく必要があります。





1 コメント

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Unknown (qeb)
2007-07-22 16:33:55
「飽くまで絶対的基準であるはず」とするのは原理主義だと思うのですが、どうでしょうか。
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