哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

この人に訊け!(週刊ポスト2005年6月17日)

2013-09-15 10:03:18 | 
週刊ポストで池田晶子さんが担当執筆していた書評記事は、残念ながら再録された本がないようである。そこで今後、入手できたものから少しだけ紹介していきたい。

今回の書評対象は、『退屈の小さな哲学』(集英社新書)である。この本は、ノルウェーの哲学教授が何もせずに過ごそうとしたが、何もしないでいることに耐えられなくて書いたそうで、退屈により書かれた退屈についての書という。このような紹介で予想される通り、池田さんの書評は辛口だ。「本書を通読しての印象は、やはりどことなく退屈である」「自らの退屈の意味を知る、タイトル通りにそういう「小さな意味で」、本書には「意味がある」」とか書いているが、池田さんにしては、随分おとなしい表現になっているものの、はっきり言って駄本と言いたそうだ。

本の著者が人生と存在には本来は「大きな意味」があるはずだと思っているということを紹介した後、池田さんは次のように書いている。

「しかし、人生と存在には、実はもとから大きな意味など存在してはいなかったとするなら、どうだろう。要求しても満たされないことによる喪失感もまた、存在しないはずである。すると、このとき、退屈とは何の謂で、人は何を退屈していることになるのだろうか。
 著者は、喪失感から哲学を勉強する気になったと漏らしているが、こんなものは救済にならないと言う。同感である。しかし、哲学が救済にならないのは、それが意味を与えてくれないからではなく、それが意味を見抜いてゆくものだからである。人生と存在という非意味の謎を見抜いてゆく哲学という営みに、退屈はあり得ない。謎には限りがないからである。」


やはり大人的な、少しおとなしい言い方に抑えてあるが、池田晶子さんらしい謂いである。