哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

ミサイルと衛星打ち上げ

2012-04-24 05:42:42 | 時事
つい先日まで連日、北朝鮮のミサイル発射に関する話題がメディアで取り上げられていた。北朝鮮は人工衛星の打ち上げと言っていたが、日本など多くの国はミサイル発射と断定していた。大げさな発射台は確かにロケット打ち上げに近いように見えるが、そもぞもミサイルとロケットとの違いが、単に軍用か否かの用途の違いならば、主観的な意図が何かというだけだから、他者からはあくまで推測する他ない。

北朝鮮国民が食糧難で飢えているのに、何百億円もかけて打ち上げを行うということにも非難が向けられていたが、確かに、軍事的意図がなければ食糧難を抱えてまでも打ち上げを行う意味はないと考えるのが自然だ。北朝鮮の指導者層がどう考えているかも推測でしかないが、国民の命を守るという意味で、食糧と軍事を同じような次元で考えたとすれば、むしろ打ち上げ強行を説明できる。

日本に限らず、隣国とは歴史上侵略戦争が繰り返し行なわれており、北朝鮮自身が侵略されるのではないかという恐れを常に持っていてもおかしくない。しかも韓国は北朝鮮より資金が潤沢だから、民族統一をお互い掲げる中、なおさらそうだろう。過去に起きた北朝鮮の軍事的挑発行為も、同様の恐怖心から強がって見せた行為の一環かもしれない。

このように、一国の行動を個人の心理と同じように捉えることはよく行われていると思うが、もしかしたら精神科医や心理学者による分析が意外にも外交関係に有用かもしれない。

週めくり池田晶子 52

2012-04-17 07:20:00 | 哲学
 『14歳からの哲学』を再読してみて、この本には、池田晶子さんの言いたいことのエッセンスがすべて詰まっていることを再認識した。大人向けならば『残酷人生論』の方がインパクトが強いのだが、池田晶子さんの通常の文章はあくが強いので、万人向けとなれば、子供向けにかかれたこの本がもっとも良いといえる。週めくりの最後は故事成語だが、池田晶子さんがこの本の終りの方で、この言葉を人生の標語にするように書いている。




52 天網恢恢疎にして漏らさず


 天の網は広くて粗いようだけれども、悪事は必ず露見する、悪人には必ず天罰が下るという意味だ。むろん、天罰を下すのは天じゃない。自分の内なる善悪だ。自分が為した悪事の罪を、自分のために罰するんだ。因果応報、罪の罰は、必ず自分に帰ってくる。なんのためかって、自分のためだ。それより自分が悪くならないように学ぶためだ。悪を為さずに善を為し、よりよくなろうと学ぶこと、それが、存在することに意味のない人生を生きることの、本当は、意味なのかもしれない。(『14歳からの哲学』「28 人生の意味[2]より)

オリンピックと戦争

2012-04-09 21:43:43 | 時事
今年はロンドン五輪があるので、連日オリンピック関連の話題が報道されている。オリンピックは平和の祭典と必ず言われるが、そこで行われるのが争いごと、つまり戦争であることを池田晶子さんは書いている。


「「オリンピックの精神」というのがあるらしく、スポーツマンシップでもって、世界を平和にしようというものだそうだ。
このフレーズ、一見もっともらしく聞こえるが、ちょっと考えると変だとわかる。なぜなら、オリンピックのその現場で行なわれているのは、明らかに勝負事である。・・・・・行なわれているのは勝負すなわち争いなのである。争いは平和の反対である。なんで争いが世界の平和なのか。
さらに考えてみれば、選手というのは自分ではない。・・・・・なぜ人は他人の勝ち負けを、我が事のように喜んだり悔しがったりしているのであろうか。
言うまでもない。それが自分の国の選手だからである。自分の国の選手だから人は応援するのだから、人々の意識は国同士の勝敗にある。だから、国家と国旗なのである。他の国と争って勝つことがオリンピックの精神なのだから、これはその意味では戦争の精神である。戦争の精神によって、なんで世界の平和なのだろうか。要するにあれは代理戦争なのである。」(『勝っても負けても』「オリンピックで世界の平和」より)



上の文章のあと池田晶子さんは、世界の平和のためというのなら、自国の選手応援禁止や、国旗や国家をなくすなどの提案をしている。

言われてみれば、確かにそうだ。その意味ではW杯というのも、競技種目が一つになるだけで、精神としてはオリンピックと同じということになる。あのなでしこジャパンのW杯優勝には感動したが、自国の選手を応援する精神の中に、常に他国に勝つことが優先されるのであれば、それは戦争の精神に他ならない。

そう考えてくると、昨年のなでしこジャパンの優勝が、なんだか日露戦争と共通するように思えてきた。

昨年のなでしこジャパンW杯優勝でとくに指摘されるのは、史上一度も勝ったことのないアメリカに、また個人個人の力量では絶対勝てないアメリカのチームに、諦めない精神力とチームワークで勝ったことである。そして次回ロンドン五輪での金メダル獲得も大きく期待されている。
昨年NHKのドラマ「坂の上の雲」の放映が3年越しで終わったところなのだが、このドラマで取り上げられている日露戦争での日本の勝利と、なでしこジャパンの上記の話はよく似ているところがある。日露戦争においても、軍事力は明らかにロシアが上であり、しかも財政的にも日本は戦争遂行を長く持ちこたえるのは無理とされていたが、日本が運良くロシアに勝ってしまった。バルチック艦隊撃退時の「皇国の興廃この一戦にあり」が有名であるが、日本人の精神力の鼓舞が象徴的である。しかしこの戦争は、日本人の作戦勝ちというよりは、陸戦も海戦もロシア側のオウンゴールに近いのが実情だ。さらに、ロシアを警戒した英国の協力とロシア革命前の混乱も日本に幸いした。そして、司馬遼太郎氏も書いている通り、ここから日本は誤った道を進み、太平洋戦争へと至るのである。

もちろんロンドン五輪が太平洋戦争というわけではないし、オリンピックはスポーツの祭典で終わるであろうものの、日本が近隣国をより敵対視するような偏屈な精神を高揚させることのないように自覚しておきたいものだ。





『功利主義者の読書術』(新潮文庫)

2012-04-03 02:48:48 | 
佐藤優氏の読書に関する文庫の新刊があった。佐藤優氏については、立花隆氏と共著の読書案内本でも立花氏より好印象だった記憶がある。さらにこの本の目次を開くと、池田晶子さんの『死と生きる 獄中哲学対話』が取り上げられているので、大変うれしく思った。しかし、他に取り上げられている本をみると、何か様子がちょっとおかしい。資本論や小説が取り上げられているのはまだいいとして、なぜかタレント告白本まで並んでいる。佐藤氏の説明では、あえてそのように選んだとある。

「役に立つとか、功利主義というと、何か軽薄な感じがするが、そうではない。われわれ近代以降の人間は、目に見えるものだけを現実と考える傾向が強い。しかし、目に見えるものの背後に、目に見えない現実があると私は信じている。思いやり、誠意、愛などは、「これだ」といって目に見える形で示すことはできないが、確実に存在する現実だ。愛国心、神に対する信仰などもこのような目に見えない現実なのだと思う。
プラグマティズム(実用主義)や功利主義の背後には目に見えない真理がある。読書を通じてその真理をつかむことができる人が、目に見えるこの世界で、知識を生かして成功することができるのである。この真理を神と言い換えてもいい。功利主義者の読書術とは、神が人間に何を呼びかけているかを知るための技法なのである。」(「まえがき」より)

この文章を読んで、池田晶子さんの考えと似ているところもあるが、池田さんなら首肯しないだろう部分もある。くだんの池田晶子さんの上記書籍を読み解いた箇所も、池田晶子さんの考え方には全く触れず、死刑囚に関する話が中心だ。佐藤氏は、池田晶子さんについては、世間にそれなりに居る「哲学者」の一人くらいとしか捉えてなさそうである。

それにしても、陸田氏の死刑執行が2008年だから、池田晶子さんが2007年に亡くなった後である。両人の往復書簡時には、池田晶子さんが死刑囚より先に亡くなってしまうなんて想像もできなかったかもしれない。池田晶子さんの死後、陸田氏がどう考え続けたのか、知りたい気もする。