哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

トヨタ問題

2010-02-27 18:52:25 | 時事
 今オリンピックと並んで報道量が多いのがトヨタ問題だ。品質で選ばれていたはずのグローバルな企業であったトヨタが、よりによって品質で足元をすくわれるとは、ほんの少し前まで夢にも思わなかった。トヨタ車のリコールはアメリカだけではないが、アメリカでの問題追及の様子は、報道だけ見ていても随分厳しいようだ。

 しかも追及の様子を見ていて思ったのは、リコールに関連して当局と交渉してコストをセーブできたというような内部文書の話まで出るあたり、まるでかつてのフォードピント事件のような問題がトヨタにもあったのではないかとのシナリオで追及しているように見えることだ。リコールによるコスト増を嫌って欠陥車を放置したのではないかというような、映画にまでなったかつての事件と同様のことがトヨタにあったかどうかはわからないが、アメリカのこの厳しい追及姿勢こそが、アメリカ流の正義の証明のようにも思える。


 ところで、先月号だろうか、クーリエ・ジャポンの記事を読んでいたら、グレン・ベック氏というアメリカで高視聴率のTV番組司会者の話題があった。過激な右翼的発言で、保守的な白人の指示を得ているという。オバマ大統領を人種差別主義者と呼んだり、リベラルの批判をしたり、さらにはマイケル・ムーアを殺すと言ったり等、めちゃくちゃらしい。

 アメリカでも日本でも保守的な主張をする人はいるし、政治的にアメリカ国内も安定していない時期だから、スケープゴートとしてトヨタ問題が煽られているかもしれない。しかし、トヨタ問題がこのような保守的な主張で煽られている可能性があるにしても、理解を求めるに臆してはならないのだろう。

 トヨタの社長がアメリカに行った時期が遅かったにせよ、またしばしば涙を見せる姿が日本人風情緒的すぎる面があるにせよ、公聴会での謙虚な姿勢は好印象を持った。

 言葉を尽くして理解を求める姿勢が何より大事だ、ということを改めて思ったものだ。

オリンピックと国籍

2010-02-20 07:02:00 | 時事
 今開かれている冬季オリンピックで、フィギュアスケート・ペアの女性選手が日本国籍からロシア国籍に転じて出場した話題があった。ペアの二人が同国籍でなければ、オリンピックに出場できないのだそうだ。オリンピックと国籍の話は、おそらく池田晶子さんが雑誌連載を続けていたとしたら、きっと取り上げた話題に違いない。

 オリンピックについては、池田さんは『さよならソクラテス』で直接取り上げている。平和の祭典のはずなのに、国同士が戦争のごとくメダル争いをしている矛盾を的確に指摘している。本当の平和の祭典なら、国籍を全て無視すればよいという。確かにそうなれば、冒頭のペアの問題も発生しなくなる。

 ただ、面白いと思ったのは、オリンピック出場について国籍が要件となっているがため、一方で国籍を変わって出場する選手も居るという事実だ。オリンピック出場の方が国籍よりも重要と考えたのであれば、それだけ国籍というものは軽い意味合いであることを証明している。

 国籍を変わって出場する選手がどんどん増えれば、オリンピックの様相も随分と変わりそうだ。そうすれば、国別のメダル争いは無意味になってくるし、結局池田晶子さんの考えた、国籍無視のオリンピックに事実上近づいていくことになる。

『無敵のソクラテス』(新潮社)

2010-02-11 13:50:37 | 
 先日本屋を覗いたら、思いもよらぬ池田晶子さんの新刊が棚に並んでいた。新潮社文庫の3冊のソクラテスシリーズを1つにまとめた単行本という。文庫本をわざわざ高価格な単行本に再編集する意味はあるのか?、と大いに疑問に思ったが、文庫に収録している以外のソクラテス対話編も入れているというから、それをまとめたかったのだろう。

 まあこれはこれで良しとして、池田晶子さんが雑誌に発表してまだ単行本化されていない文章がまだあるので、そちらも早く出版してほしいものだ。


 ところで、昔このソクラテスシリーズを読んでいて、池田晶子さんの言っていることがすぐにはよくわからなかった部分がある。「シンドラーのリスト」という項だ。何度も読んでみて、わかったつもりになっても、なかなかしっくり来ない感じがある。さらにニーチェやハイデガーも登場して、その理解も必要になるので余計にそう感じる。


 池田晶子さんは、映画の中で殺されることと現実に殺されることは決定的に違うから、反戦映画を作る側も観る側もずるい・不真面目だとしている。また、生命尊重が人類普遍の原理だといっても、現実の生死には何の関係もなく、理念の発生と結論の順序があべこべだという。


 映画を観る行為は、小説を読むのと同じようなイメージでいたが、ドキュメンタリーを俳優の演技で作るとなれば、確かに決定的に違うといえる。さらに池田さんのいう通り、生命尊重という理念は現実の生死に何の関係もない。日本は確かに平和だといえるが、殺人事件は少なくなく発生し続けている。例えば、今突然強盗が押し入り、自分が殺されようとされれば、理念としての生命尊重など確かに何の力もない。


 スクリーン上の生死には涙するが、現実の生死についての考え方もわからない、と言われてしまうことのないように、しっかりと考えておきたいものだ。