哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

靖国神社参拝

2013-12-28 07:49:49 | 時事
報道では、安倍首相の今回の靖国神社参拝は国際社会に理解を得られず、同盟国の米国からも批判を受けているという。結果的に大きく日本の国益を損ない、まるで国際社会からの孤立を招いた今の状況は、過去の国際連盟脱退のような孤立感さえ思い起こさせる。相手の立場を思いやることができない姿勢を世界に発信してしまった日本の態度は、いくら説明して理解してもらうといっても無理なのは明らかだろう。ここでいう説明とは、相手に自分の立場を理解してもらうことだろうが、当の日本国自身が相手の立場を思いやっていないのだから、身勝手にも程があるということになる。


さて、靖国神社参拝に関する池田晶子さんの文章を取り上げてみよう。

「霊を慰め、霊を弔うとは誰でも言うが、その霊の何であるかを人は理解しているものだろうか。いやそもそも、そんなものが存在すると思って、人はそう言っているのだろうか。
「あなた、霊は存在すると思うか」。真正面から尋ねてみるなら、誰もが一瞬は答えに窮するに決まっている。誰か総理に質してみればよい。総理、霊を弔うとおっしゃるけれども、霊は存在するとお考えなのですか。もし存在しないとお考えなら、靖国参拝とはナンセンスな行為なのではないですか。」(『41歳からの哲学』「弔うとおっしゃるけれど-霊」より)


池田晶子さんは、霊が存在しないと言っているのではなく、この後の文章で「霊の存在が、なんでそんなに不思議なことなのか。霊の存在ばかりを不思議がる人は、自分が存在するということの不思議を知らないのである。」と、いつもの謂いへ展開していく。


このように考えてくると、靖国神社参拝がこれだけ世界で取り上げられるということは、日本ばかりでなく、世界においても霊の存在を信じていることになるし、世界においても霊を弔うことは共通に行われることと考えていいのだろう。そこで、最初の話に戻るが、そのように霊を弔う場合に、重大な戦争犯罪人も死んでしまった人も皆一緒だとして弔うことは、世界においては考られていないということになる。他国がそれをどうしているかは知らないが、日本においても天皇陛下がA級戦犯が靖国神社に合祀されたことを知って以降参拝されていないということも、むしろ世界と認識を共有しているかのように見える。