哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

『悩む力』(集英社新書)

2008-09-20 09:09:09 | 時事
 表題の本は、今現在ランキング上位の話題の新書だ。書いたのはマスコミにも露出の多い在日韓国人の政治学者である。「~力」という題名の流行が未だやまない中で、これも便乗本かと思ってしまったが、なかなか中身のある内容であった。

 本の中では、当時同世代であった漱石とウェーバーが対照的に取り上げられている。ちょうど今週発売されたアエラでも、この本に拠って漱石が特集されているので、参考になるだろう。


 さて、著者は「悩むことが生きる証」「悩みぬいて強くなる」というようなことを書いているが、「悩むな!考えよ!」と言ってきた池田晶子さんとは正反対の内容に思える。しかし目次を見ると、結構池田さんの書物の項目と類似する内容であることが分かる。


 例えば、

 第一章 「私」とは何者か
 第ニ章 世の中すべて「金」なのか
 第三章 「知ってるつもり」じゃないか
 第五章 「信じる者」は救われるか
 第六章 何のために「働く」のか
 第八章 なぜ死んではいけないか

 などである。


 池田晶子さんは、「考える」ことから「悩む」ことを捨象して、純粋な思考を行おうとするが、この本では「悩む」精神状況を、考えるための推進力としようとしているのだろう。

 そのような感覚はわからないでもないし、各章で著者が到達する結論は池田晶子さんのそれとは異なるものが多いが、その、考える過程はおもしろく読めるので、一応お薦めの本といえる。

『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)

2008-09-07 08:09:05 | 科学
 以前から話題になっていたが、最近やっと掲題の本を読んだ。生物学に関する入門本のように思って読み始めたら、出だしは面白くなくて退屈だったのだが、読み進むにつれて引き込まれていき、結局東京出張の往復の機内で一気に読んでしまった。帯に「極上ミステリー」と書いてあるが、まさにその通りで、読み物としての面白さが際立っている。わくわくさせる物語の展開(とくに前半のDNAのらせん構造発見のところ)は、筆者の優れた文章力によるのだろう。

 ウイルスは自己複製機能をもつが、それだけでは生物とはいえず、生物というには代謝機能をもつことが必要である、という話は誰でも知っている生物の定義だが、この本ではその代謝の仕組みを、シュレーディンガーという物理学者の書いた『生命とは何か』という本をきっかけに深く分析的に記述していく。確かに物理的には、自然にあるものは、自然のままではエントロピーが増大していくことになるし、生物も原子から成る以上、同じ自然法則に従っているはずである。しかし、生物はその自然の流れに逆らうことなく体内に取り込み、自然の流れの中で一定の生体を保つ仕組みを作った。それを“動的平衡”という。
 そして、その仕組みの解明として著者の携わった「細胞膜」のダイナミズムの探索の過程が、後半のストーリーとなっている。

 この本の面白さは、生物学の最新知見の説明に加え、ノーベル賞に直結する発見に至るまでのミステリーのような人間ドラマが、その学問的説明に密接に融合したストーリー展開にある。新書にしては超お薦め本といっていいだろう。


 もちろん、池田晶子さんが常々指摘する通り、ではなぜこのように生命が存在するのか、という問いは残るのであるが。

『理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性』(講談社現代新書)

2008-09-01 08:08:31 | 
 この本の内容を知ったとき、自分自身も前から同じアイデアを持っていたので、学者の先生が本にしたのを知ったときは大変驚いた。

 そのアイデアというのは、経済学の不可能性定理と、量子力学の不確定性原理、そして数学の不完全性定理を、それぞれのもつ逆説的真理とその哲学的深淵さについて、共通の視点から横串的に組み直して理解することだ(自分がこれらを知った経緯は、理系志向だった高校時代にブルーバックスの『不確定性原理』に感銘し、浪人時代の予備校教師から『ゲーデル・エッシャー・バッハ』と共に不完全性定理を教えてもらい、そして経済学部に入学して「不可能性定理」を知ったという経緯にある)。

 この本はこのことをそのまま行っていて、かつ文章が池田晶子さんばりに対話編になっているので、大変読みやすい本である。ただ惜しむらくは、各定理の紹介が極めて表面的に留まり、少し詳しい内容でさえ専門書に当たらなければわからない点だ。

 とはいえ、これらの定理をほとんど知らない人には、何が問題なのかをまず知ってもらうことが先決だし、最近の新書版の読みやすさレベルからすると、やむを得ないレベルなのだろう。


 ところで、これらの定理をごくごく簡単に紹介すると、不可能性定理とは完全な民主主義の不可能性、不確定性原理とは存在自体の不確定性、不完全性定理とは論理だけでは完結しえない不完全性、を示す。とすれば、いずれも池田晶子さんが文章にしている内容であることに気づかないだろうか。