結構、話題性のあった長嶋茂雄さんの「私の履歴書」(日経新聞)でしたが、その後に登場したのが、私の全く名前の知らない俳人の方でした。
全く名前を知らなかったので、期待せず第1回目を読んだわけですが、それが「俳句と戦争」というあまり予想しなかった重いテーマで、池田さんが常々書いている「言葉は命」ということを地で行くような話しに圧倒されてしまいました。
その俳人のお名前は森澄雄さんといい、ボルネオの「死の行軍」(死者1万人以上)で奇跡の生還をされたそうです。そして行軍の間、芭蕉の『おくのほそ道』のそらんじていた一節を呪文のように唱えて歩き続けたというのです。
「羈旅辺土の行脚、捨身無常の観念、道路に死なん、是天の命なりと、気力聊かとり直し、道縦横に踏んで、伊達の大木戸をこす」
この芭蕉翁の文言のお陰で行軍に耐えられたというのです。
確かに戦争ですから死ぬ確率は多いうえ、生きるか死ぬかの偶然は、もともと自らコントロールできません。しかし、精神は自らコントロールできるわけですね。それを珠玉の言葉によって行っていたわけです。
「言葉は命」と何度も書いておられた池田晶子さんの謂いにも通じるお話でした。
全く名前を知らなかったので、期待せず第1回目を読んだわけですが、それが「俳句と戦争」というあまり予想しなかった重いテーマで、池田さんが常々書いている「言葉は命」ということを地で行くような話しに圧倒されてしまいました。
その俳人のお名前は森澄雄さんといい、ボルネオの「死の行軍」(死者1万人以上)で奇跡の生還をされたそうです。そして行軍の間、芭蕉の『おくのほそ道』のそらんじていた一節を呪文のように唱えて歩き続けたというのです。
「羈旅辺土の行脚、捨身無常の観念、道路に死なん、是天の命なりと、気力聊かとり直し、道縦横に踏んで、伊達の大木戸をこす」
この芭蕉翁の文言のお陰で行軍に耐えられたというのです。
確かに戦争ですから死ぬ確率は多いうえ、生きるか死ぬかの偶然は、もともと自らコントロールできません。しかし、精神は自らコントロールできるわけですね。それを珠玉の言葉によって行っていたわけです。
「言葉は命」と何度も書いておられた池田晶子さんの謂いにも通じるお話でした。
池田がなんかの文章の最後に、今一度、覚悟を・・とかいってたのを思い出します。その覚悟という奴で、言葉と肉体をつないでいたんじゃないですか。
行軍の苦しみに耐えられた・・・そのとき、言葉があった。それは命の言葉であった、と・・・
私にはよくわかります。
般若心経も言葉ですよね。で、その言葉が生死のあいだに、なにかを運んでくる・・・
言葉は命・・だと思います。