哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

『贋作王ダリ』(アスペクト)

2008-11-29 12:00:20 | 美術
 表題とは関係ないが、池田晶子さんの新刊が今月発売になっている。これについては次月に触れさせていただくとして、今日は今月の新聞の書評欄に載っていた表題の本である。


 ダリ本人が贋作王とはどういうことか。新聞の書評では、ダリ本人というよりはダリの周りの人たちが贋作を手がけたように評していたが、この本を読むと、まぎれもなくダリ本人が贋作を作っていたとしか思えない。まさにアヴィダダラーズ(ドルの亡者)である。

 具体的にダリ本人が贋作を作るとはどういうことか。要するに白紙にダリがサインだけをして他人に売り渡し、その他人は適当な絵を印刷して、本物かのようなリトグラフを作り上げて高く売るというものだ。つまり「(サインは)本物の偽物」となる。そのうちに、ダリのサインを他人が真似て大量にリトグラフや水彩等を作ったというのだから、ダリ本人が関わっていないところで大量の偽物が出回った。こちらは「偽物の偽物」だ。

 詐欺師たちにとってダリは金になったわけだが、しかも売りつける手法が、投資として客に買わせるというのだから(結局元本も戻らない)、何だか一時期よく客引きしていた版画販売を思い出させる。


 この本を読むとダリに対しての印象も相当悪くなると思うし、しかも2009年には映画化されるというのだから、ダリ関係者やダリファンにとっては踏んだり蹴ったりというところだ。しかし、それでも初期の絵に限ってみても、ダリは天才だったと思うところに変わりはない。

小林秀雄さん

2008-11-16 10:32:16 | 時事
 池田晶子さんが世代を超えて惚れていた(と思う)小林秀雄さんの、歿後四半世紀特集として、「新潮」12月号に小林秀雄さんの肉声講演の抜粋が特別付録CDとして付いている。もとの講演集は全7巻でCD化されているが、最初はカセットテープで売られていたもので、私もカセットで持っている。

 この付録CDで久しぶりに小林秀雄さんの声を聞いた。冒頭のベルグソンの「戦場で夫が倒れた夢」では、科学的考え方にどっぷり毒されたものの見方、現代人のものの捉え方の限界を示している。池田晶子さんもよく書いているように、科学は一つの見方(パラダイム)であって、それが全てではない。

 また、未発表音源である「勾玉について」は、頭で行う美術鑑賞ではなく、美そのものを感じることを勧めている。最近私自身が知人から「美術鑑賞の仕方を教えてほしい」と聞かれたが、私は「自分が良いと思うかどうかを基準にすればよい。自分の感性を信じることだ」と言った。その話に通じているようで安心した。


 書物で読むだけでなく、その人の肉声を聞くと、なんとなく書かれたものに厚みが感じられてくる。池田晶子さんも講演やテレビ出演があったはずだから、是非これらの肉声も手に入れられやすいように販売してほしいものだ。

竜馬とカエサル

2008-11-02 00:23:23 | 時事
 司馬遼太郎著『竜馬がゆく』(文春文庫)を最近読んだ。この本を読んだ理由は、毎週見ているNHK大河ドラマ「篤姫」で坂本竜馬が登場してきたことで、このドラマ内では竜馬は脇役だが、本来この幕末時代では竜馬がもっとも主役であるはずであることを再確認したかったのだ。ちなみに『竜馬がゆく』では西郷隆盛はもちろん小松帯刀も出てくるが、天璋院篤姫は登場しない。

 ところで読んでみると、この本での坂本竜馬の人間的魅力は、『ローマ人の物語』でのカエサルの人間的魅力と重なるうえ、坂本竜馬とカエサルはその天才ぶりと生涯が大変似ているのではないかと思った。


 カエサルは軍団統率の指揮官として天才的であり、政治家としても天才であった。カエサルが軍団を率いてルビコンを越えたときも、反対派である共和制派は闘わずして逃げたくらいだ。また、政治家としての演説と説得力はすばらしく、また敵を赦す寛容さも群を抜く。その寛容さが最後は命取りになるのだが、むしろカエサルはそうであることがわかっていながら寛容を貫いている。また、政治的な視野の広さはローマ帝国内部に留まらず世界の情勢を踏まえており、さらに属州民がローマ市民に成る道も開くなど、政治改革の発想は天才的で、まさに「創造的天才」と言われる。最後には、自らの作り上げた帝国の完成形を見ることなく、暗殺される。


 一方、竜馬は無敵の剣の達人であり、その点一人と集団とで異なるが、軍団を率いれば連戦連勝であったカエサルと似る。政治的偉業をなすには、武力の裏づけがあることも必要なのは、時代が違え同じだったのだろう。また竜馬は、自らを殺そうとする反対派の浪人に対しても、自らの結社(最終的には海援隊)へ勧誘をしたり、敵を赦す寛容さと、反対派の人をも虜にする人間的魅力を備え、抜群の説得力をもっていた。その説得力は薩長同盟と大政奉還でもっとも発揮されている。またその政治的思想も、ほとんどの武士が大名藩を中心とした枠に留まっていたのに対し、日本国全体を視野に入れ、果ては世界をも視野に入れた考えを持っていた。とくに自由民権につながる民主主義思想を基礎にして、大政奉還後の政治体制をあらかじめ用意し(船中八策)、竜馬暗殺後もその基本施策に則って日本の政治体制作りが進んだ歴史は、カエサルが反対派に殺されたにも関わらず、その死後にカエサルの作り上げようとしたとおりの帝国となっていた歴史を思い起こさせる。そして、竜馬もカエサル同様、自ら考えた日本の国家体制の完成を見届けることなく暗殺される。


 このように天才がお互いに似るのは、偶然だろうか。それにしても、坂本竜馬がその使命を終えたかのように天に召されていくのは、本当に神がかりとしかいえないような生涯である。あえていえば、カエサルと竜馬が異なるのは、カエサルが自ら独裁することでローマ帝国を率いようとしたのに対し、竜馬は大政奉還後の新政府の官僚になる気がさらさらなかった点だ。それは、世界のかなりの部分を平定していたローマ帝国とは異なり、日本という小さな国には納まりきれない大きな器の持ち主だったからだろう。