今回は再び番外編。本編の「日めくり池田晶子 4」に関連する言葉でもある。精神と身体の二元論はデカルトに始まるというが、その徹底度は池田晶子さんでさらに深まる。
35 「私」とは考える精神である。
「私」とは考える精神である。断じてこの身体ではない。なぜなら、いいかね、身体から腕が一本失われたと仮定せよ。しかし、驚くがいい、「私」からは何ひとつ失われてはいないではないか。「私」は身体ではないではないか!(『ロゴスに訊け』「物質は非物質の物質的表現」より)
35 「私」とは考える精神である。
「私」とは考える精神である。断じてこの身体ではない。なぜなら、いいかね、身体から腕が一本失われたと仮定せよ。しかし、驚くがいい、「私」からは何ひとつ失われてはいないではないか。「私」は身体ではないではないか!(『ロゴスに訊け』「物質は非物質の物質的表現」より)