哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

百年の計

2010-07-27 19:25:25 | 時事
 本を整理していたら、雑誌「Voice」の2001年2月号が出てきた。総特集が、日本「百年の計」Part2とあり、多くの知識人が20世紀を総括して21世紀の日本を展望した文章を寄せている。時期がちょうど世紀をはさむ頃ならではの内容だが、2001年といえば9月にあのテロが発生する年である。さすがに、そこへ至るような緊張感はちょっと読みとれる状況ではない。政治家や右系の人は憲法改正が重要といい、学者や文化人は日本文化の復興や財政問題の話を書いている。若者の自主性や創造性の低下を憂え、教育を変えよとの話も多い。

 池田晶子さんも寄稿している(その文章は後に単行本に再録されている)。題は、「私とはだれか」から考えよう、とある。また最初の小題が、人間はみな、一人で生きて、一人で死ぬ、だ。池田さんがいつもよく書いている内容だ。ごくかいつまんで文章を拾ってみる。


「グローバリゼーション、インターネット、IT云々なんていうのは、人間の愚劣化を進める。こういった流れの根本には、人間の長い思い込みとしての物質主義、科学主義があるが、目に見えない精神の存在を人類全体が忘れている。」
「人間はみな、一人で生きて、一人で死ぬ。単独の精神性を一人ひとりが自覚し、自分とはだれかということを一人ひとりが考えることから新しい人類の歴史がはじまる。自分のアイデンティティを国家や民族に預けるのは愚かであり、国家や民族はただの便宜で、これを目的とするのは話が逆である。」
「単独の精神性というのは、個人主義とはちがう。個人主義は、個人とはなにかということを考えていない。個人=自分=私とはだれかと問いつづけることが哲学であり、デカルトの問いでもある。」
「いずれにしても、システムや政治をいじったところで、そこにいる人間の精神が変わっていないのだから、変わりようがない。人々の精神を根本から鍛え直さないと、何も変わらない。精神を鍛えるとは、一人ひとりが考える=哲学をするということである。」


 結局、池田さんは今後百年が人類の存亡をかけた勝負の時期であり、若い人向けに考えることを教えていくこと必要だといいいつつも、もう時間切れではないかという。
 一方同じ雑誌で、あの東大教授の松井孝典氏が、「人間圏の寿命は2,30年」という題で寄稿していた。自然科学者だから、池田晶子さんとアプローチはまったく違うにもかかわらず、最後の結論が全く同じであった。松井氏の最後の一節は以下の通りだ。

「ほんとうに教育を変えようとすれば、50年近い年月がかかるだろう。人間圏の危機に対して間に合うかどうかはわからない。しかし、百年後に人間圏が破綻しないためには、自分の頭で深くものを考える教育に変えていくしか方法はないだろう。」

願望の行く末

2010-07-13 22:07:07 | 時事
 願望は所詮願望だから実現しない。だから“願望”なのだろう。民主党の参院過半数はならなかったが、まだ自民党との大連立という手はある。消費税は同じ10%と言っているし、民主党のかなりのメンバーが元自民党ではなかったか。まあしかし、それも“願望”でしかないだろう。

 こんな政治の状況を池田晶子さんならなんて書くか。やはり国会審議が停滞しようがどうしようが、そのような政治なんぞに興味はないと書きそうだ。


「ああいう人々(政治家)は私の精神活動において、およそ「批判」の対象になど、なり得ないのである。猿や狸の行動様式について、人間が理性により批判を加えるものだろうか。・・どう転んでも、私が政治に興味をもてないのは、やはり根本的な「別種」「異種」「異生物」の感覚によるようである。」(『考える日々Ⅲ』より)


 池田さんは、ほとんどの政治家に見られる精神性の欠如を嫌っているのだ。しかし、一方でスケールの大きい政治家(ナポレオン、シーザー、信長)にはある種の精神性を感じるという。それらの政治家の行動原理、パッションとは、「権力」に尽き、このように全世界を我が意のままに操りたいという欲望は、池田さんにもあるという。哲学によって天下を取るというのである。池田さんは既にこの世の人でなくなったが、まだまだ言葉は天下を取るべく駆け巡り続けているのである。


 池田さんの言っていることは、本当にスケールが違うので、凡人には着いて行きがたいが、読んでいるうちに国会の停滞なぞどうでもよくなってきた。

日本人へ 87

2010-07-11 00:55:55 | 時事
 いよいよ参議院議員選挙の投票日である。

 先日発売の文藝春秋の掲題連載で塩野七生さんは、民主党の過半数獲得を願望すると書いていた。決して民主党の政策を支持するからというのではなく、日本の政治が安定しないと、世界からいよいよ無視されてしまう国家になってしまうからだ。ねじれ国会で法案も通らない事態になったり、無理に連立して民意を反映していない弱小政党にふりまわされては、日本の政治の混乱は継続することになる。ましてや日本のトップがころころかわるのでは、国際政治においてリーダーシップを発揮できるわけがない。すでにかなり「ジャパンパッシング」がひどくなっており、経済でも中国にお株を奪われている現状では、なおさらだ。

 政策よりも政権の安定を優先する考え方は、結構理にかなっているかもしれない。少しずれるが、曹洞宗のような禅寺修行でも、修業僧は厳しい作法など、中身よりは形から入る。形によって人間を整えることにより、中身がついてくるという。政治においても、議決の過半数を支配してこそ大胆な改革ができるといえる。だから、民主党が1党で過半数をとることが最も望ましいというわけだ。

 しかし、それならなにも民主党でなくともよいということになる。今民主党が衆議院で過半数を取っているからという理由だけだ。もともとは自民党が政権与党の座から落ちたことが、今の政治の不安定さを招いている。ただ、政治の中身を健全にするためには、長期政権もあまり望ましくは無い。長期には至らない安定した政権の運営が可能という意味で、二大政党制は悪くないのだろう。

 この際、政策には眼をつむり、民主党に政治をまかせる勇気が試されるのだろうか。中途半端な政策でも困るが、何も決められない政治空白ももっと困る。いっそ大胆な改革で、無益かつ有害な参議院の廃止を行ってもらった方がよいように思う。

本と共に去りぬ

2010-07-05 22:41:41 | 時事
 しばらくぶりである。転勤に伴って、しばらくパソコンがつなげなかった期間があったので、ご容赦願いたい。

 転勤をする際、いつも困るのが本の多さだ。基本的に自分が本を買う際には、読んだら捨てようと思うような本を買ったつもりではないので、本は増えていく一方だ。ある程度処分していく本もあるが、それでも本だけを入れた段ボールの数が、前回の転勤では70個位だったのが、今回は80個以上になり、大変しんどい思いをした。

 周りのサラリーマン家庭では、本を多く置く家をあまり見かけない。サラリーマンが決して本を読まないわけではないだろうが、読んだらたいていBook offなどに売るようだ。そもそも読む本がいわゆるビジネス向けの自己啓発本か、話題のドラッカー本だったりすることも多い。何となく、消費としての読書をしている人が多いのだろうか。


 では、池田晶子さんの書斎はどんな風だったのだろう。池田さんはある時期、雑誌で書評の連載もやっていたが、決して読んだ本を手元に残すような書きぶりではなかったように思う。意外にも書斎に本は少なかったかもしれない。