哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

言葉を侮ってはならない

2009-10-31 13:10:00 | 時事
 ノーベル平和賞がオバマ大統領に授与されることになり、アメリカ国内でも賛否両論だという。実績も何もなく、核廃絶の演説と将来への期待に対しての授賞だからだ。そのノーベル平和賞を選定したノルウェーの委員のインタビューが、今日の朝日新聞に掲載されていた。とくに印象に残った話が、以下の部分だ。


 オバマ氏への授賞について、まだ実績がなく言葉だけだとの批判もあるが、言葉を侮ってはいけない。言葉は時に人に希望を与え、その希望が物事を良い方向に変える。


 池田晶子さんと同様な、言葉に関する考えに共感した。常々政治家に対して、言葉は命である、と言っていた池田さんである。きっと、ノルウェーの委員の話には賛成してくれることだろう。

報道は民主党に何を期待しているのか

2009-10-24 00:15:30 | 時事
 今や報道では、民主党の政治動静を、お手並み拝見のごとく毎日取り上げている。さすがに毎日、大きく進展しない話をしつこく流すのはうんざりである。NHKのニュースと天気予報くらいしか見なかったはずの池田さんでも、世間の動向が滑稽に見えたのではあるまいか。

 ここまでしつこく報道する心理の裏は、まるで民主党の失策を期待しているようにしか思えない。その魂胆で見せられるニュースにうんざりするのは当然である。


 しかし一方で、国民がなぜ民主党を選んだか、について、それは自民党が駄目出しされた結果であり、国民は民主党を積極的に選んだのではない、という話もよく聴く。民主党に一度やらせてみたらよい、という話も巷でよく耳にした。ということは、あえて極論を言えば、民主党の政策のいずれ生じる失敗は、既に世間において織り込み済みということになろう。

 だから冒頭のように、失敗を期待した報道になるわけである。


 マニュフェストだって言葉だし、常々池田さんも「言葉は命である」と、政治家に対しても言っていた。しかし、マニュフェスト内の政策同士に矛盾があるようでは、まだまだ政治家らしい命がけの言葉とはいえないのだろう。池田さんなら、民主党のマニュフェストを見て何と言っただろうか。

『論語物語』(講談社学術文庫)

2009-10-11 00:47:47 | 
この本は大変お薦めである。論語そのものは短い文の集積で、現代語訳に解説を併せて読んでも、その理解は簡単ではない。この『論語物語』は論語のいろんな箇所にある短文をもとに、短い小説を作り上げて、孔子や弟子たちの生き生きとした物語としたため、大変理解のしやすいものになっている。戦前に作られた本と思えないくらい、分かりやすい内容である。

小説の内容は著者である下村湖人氏の創作だから、この本における論語の理解は下村氏の理解する論語となる。しかし、論語のどの短文を取り上げたか、その根拠もいちいち示されており、それらの短文の内容が小説の中心テーマとなるから、論語自体を読んで理解する内容に近いことが実感としてわかる。

池田晶子ファンとしても、言葉に対する理解や生死を越えた精神性など、首肯できる内容も多い。

戦争・捕虜、武装解除・コミュニケーション

2009-10-10 00:25:52 | 時事
NHKの番組を断片的だが見ていたら、「ようこそ先輩」という番組で武装解除の専門家が、子供たちに武装の是非を巡って議論をさせていた。また、日露戦争での捕虜の扱いがどうだったかについての別の番組も見た。

前者の番組のキーワードは、「相手を知る」ということだ。相手がどういう人物かよく知らないことで敵対心が作られる。しかし、コミュニケーションの手段があれば、お互いに血の通った人間であることが分かり、お互いの理解があれば武力に頼る対応を行う必要がないと講師が話していた。

後者の番組では、当時の捕虜の扱いについて、一等国の仲間入りをしたかった日本はハーグ条約を遵守して、捕虜を極めて寛大に扱ったという。ある時に短刀を持っていたロシア人捕虜に対し、収容所看守をしていた日本軍人が、規約に反するとしてその短刀を差し出すように言ったところ、ロシア人捕虜は投降時に許されたとして応じず、言い合いになってロシア人が短刀を抜きかけたところ、日本軍人が自分の短剣を目の前のテーブルに置いて敵意のないことを示し、「軍人としての礼節を守っているつもりだ。あなた方にも同じ軍人としての礼節を守って欲しい」と述べたという。


こういう話をきくと、池田晶子さんの「何者でもない同士なぜ殺し合うのか」という言葉を思い出す。戦争も外交の一手段と表現されれば、外交も武器を持たない戦争だという人もいる。しかし人間は言葉を持つ。だから理解しあえる。池田さんが言葉こそ命と言った意味を繰り替えし噛みしめたい。

『ローマ人の物語』35-37(新潮文庫)

2009-10-03 19:11:11 | 
巻のタイトルは「最後の努力」だ。ローマ帝国が生き延びようとする最後の努力の時期となる。外敵から国境を守るため、皇帝を4人として、それぞれエリアを担当させて、責任をもって防衛線を守る任務に着かせるという四頭政になった。一時的にこれはよく機能したという。しかしトップの地位にいた皇帝が退位すると、皇帝同士の争いも発生して混乱してしまう。それを武力で勝ち抜いたのが、キリスト教を初めて積極的に認めた皇帝コンスタンティヌスだ。

今回の巻で印象的な点は2つある。1つは、効率的な国境防衛のため四頭政としたことが、かえって組織の肥大化を起こし、短期間のうちに公務員数が大幅増となって、国家財政を逼迫させてしまったこと。もう1つは、皇帝の正統性を人民による信任ではなく、一神教(キリスト教)の神の絶対的至高性によるとしたことである。

前者は、現代でも教訓にできる内容なのかもしれない。行政における省庁の増減は同じ問題なのであろう。また後者は、その後の長い停滞の中世を形作ったという。元老院や市民の選択によって信任されるはずの皇帝の地位が不安定となり、気まぐれな民の意思に頼ることを捨て、神という権威に頼ったのがきっかけだったが、人類がその一神教の呪縛から信教の自由を取り戻すまで1千数百年を要すことになった。