哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

『死体の経済学』(小学館101新書)

2009-02-18 04:27:27 | 時事
 誰もが一度は死ぬが、自ら死がどんなものかを生きながら知ることはできない。自分以外の死体を見ることはありうるが、死と死体は違う、と池田晶子さんも書いていたように、死体をいくら探しても死は出てこない。ただ、現実問題として死体の扱いをどうするかという問題は起きる。

 この本は死体を扱うビジネスの裏事情を綴っており、知らない世界を知る意味で興味深いが、あまり気持ちよく読める内容ではないので、興味ある方だけにしかお薦めはできない。


「○○の経済学」と名乗っても、新書版程度の本は、経済学とは名ばかりの単なる業界値段暴露ネタ的な話題が多いが、表題の本もその類である。業界の値段の慣行については、結局ボッタクリと言われかねないとも考えられるような話が多いが、著者は必ずしも否定的ではなく、死に対する儀式としての位置づけで考えようとしている。

 むしろ興味深いのは、死体を取り扱うサービスの現代的な変容の話である。都会で孤独死が増えるにつれ、死体発見が死後長期間経ってしまう場合が多くなっており、そのため死体やその部屋の処理が大変で、そのニーズに答えたサービス業者が増えているというのだ。


 現代的な死体処理の様子は、何となく死体を軽く手早く扱おうとする傾向にあるように思える。それが、死を軽んずるということと同値といえるかは問題だが、死というものについて考える一材料ではあるだろう。

「起きていることはすべて正しい」

2009-02-12 22:53:35 | 時事
 表題は、今大人気の経済評論家の勝間和代さんの最近の著作題名である。思わずヘーゲルの「全て存在するものは理性的である」と共通する話なのだろうかと思い、本屋で立ち読みをしたが、もちろん哲学の話ではなかった。


 表題の意味は、自分が仕事をしていく中で、失敗など困難な事態がいろいろ発生しても、それらは全て自分へのメッセージと受け止め、自分のもつ技術・経験・お金・人脈というパーソナル資産を効率的に最大限使い切るようにする、というようなものであった。逆にいえば、失敗ごとを他人や周りのせいにしては、自分の成長はないということだ。
 あと、即断即決のすすめというのがあり、早く決断するためには、上にいうパーソナル資産をすぐに使えるように、常に準備しておくことをいうようだ。

 経済人としては言われてみれば至極真っ当な話であるが、このようにまとめることができるのは勝間さんならではの経験と技術なのだろう。


 このような経済人向け自己啓発については、もちろん池田晶子さんは全く興味はなかっただろうし、パーソナル資産を増やすことにあくせくするなんて、池田さんにとっては全く性に合わないことだ。ただ、どの分野であれその道を極めた人については、天才好きな池田さんのことだから、興味はもつだろう。でも勝間さんに大してはどうだろうか。

『養老孟司の人間科学講義』(ちくま学芸文庫)

2009-02-11 05:47:52 | 科学
 池田晶子さんが評価していた養老孟司氏の、結構真面目な内容の本である。学問的かというとそういえるのかよくわからないが、知的興奮を覚える興味深い内容である。

 まず養老氏は、人間が知っている世界は脳の中だけ、と言い切る。そして脳は絶えず変化しているが、脳は自分の変化を嫌う傾向があるそうで、外の世界を固定化しようとする。それが脳化社会だという。固定化されたものは情報であり、その教義の情報が言葉である。これが心身問題の一方である心であり、脳-情報系の世界である。
 心身問題のもう一方である身体において固定化されたものは遺伝子であり、それが細胞という変化する生きたシステムによって、維持存続する。この細胞-遺伝子系がもう一つの世界である。

 養老氏はこの2つの世界を前提として、社会や科学を縦横無尽に論じ、人間存在というものを読み解いていていっている。この2つの世界というものを理解していないと、本の途中で「この本のはじめのほうに戻っていただきたい」と、すごろくの振り出しに戻るかのごとく指示があるので、きちんと理解して読まなければ、永久に読み終わらない。

 養老氏自身が書いている通り、この本は「科学」というよりは「哲学」的な内容だが、だからこそ、池田晶子ファンには是非お薦めの本である。

 

『なにもかも小林秀雄に教わった』(文春新書)

2009-02-01 09:43:34 | 知識人
 小林秀雄の名前を冠する本はどうしても気になる。しかも著者は、あの木田元氏だ。

 しかし、早速この本を読んでみた結果としては、少し失望した。タイトルと内容が相違しているのである。内容を総じて言えば、木田元氏の読書遍歴を綴ったものだが、著者本人もあとがきで書いている通り、なにもかも小林秀雄に教わったとばかり思っていたが実は勘違いだった、というのだ。
 一応小林秀雄の話も何度か触れられているが、タイトルに吸い寄せられて読んだ者には、タイトルの「なにもかも」が、「そうではない」というのでは、話が違う!としかいいようがない。

 所詮新書版はブログ同様のいい加減な内容でもかまわない、というのが常識なのかもしれないが、それでもこれはちょっといただけない。