哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

日めくり池田晶子 7

2008-05-29 00:00:07 | 哲学
 自殺者が増えているという世相に対しても、池田さんは根源的な言葉で一刀両断に斬る。






7 死んだらすべてがそこで終わると、なぜ人は思っているのだろうか。


 自殺をする人は、死を信じている。そこが、甘い。安直である。私に言わせれば、それこそが、考えずに逃げたというそのことである。 苦しみとは何か、なぜ自分はそれを苦しいと思っているのか、それを自ら考えて知るのでなければ、逃げても、何から逃げたことになっているのかわからないではないか。(『考える日々』「苦しみの正体を見究めない限り」より)




日めくり池田晶子 6

2008-05-26 00:00:06 | 哲学
 生きていることとはどういうことなのかを考えずに、ひたすら健康維持に努めて長生きすることにいそしむという、たいていの人のこのような行為を一刀両断にする、切れ味鋭い池田さんの言葉である。





6 無内容な生は生きるに値しない


 無内容な人間が、ひたすら長生きして、どうするのだ。人間の生は、量ではない、質である。サルの生なら、質ではなく量に価値があるのかもしれないが、精神をもっているわれわれの生の価値は、生存の量ではなく精神の質にしか、その価値はない。(『考える日々』「延々と生き延びて、どうしろと言うのだ」より)



日めくり池田晶子 5

2008-05-23 00:00:05 | 哲学
 今回の内容は、前回の続きともいえるだろう。「戦争という最も観念的な出来事においてこそ、かくまで現実的なことを言うことに意味があるのだ。」と、あの池田さんらしいドラスティックな倒置表現のある文からである。






5 人が国家を「存在する」、自分はそこに属すると「思う」、この思い為しこそが国家を存在させ、存在もしない国家を守るために闘おうという驚くべき本末転倒になるのだ

 人が、そうとは思わなければ、戦争など、そも起こるはずがないのである。だって、何者でもない者同士、いかなる理由があって殺し合うのですか。(『残酷人生論』「アイデンティティーという錯覚」より)


日めくり池田晶子 4

2008-05-20 00:00:04 | 哲学
 「私は日本人ではない」という言葉に接したとき、最初は何を言っているのか、わからなかった。しかし、極めて真っ当な言葉であることに、いずれ気づく。





4 池田某が日本人であるのであって、「私」が日本人であるのではない。

 「私」は何国人でもない。どの国家どの民族にも属してはいない。池田某は日本人であると、池田某を日本人に自己同一化しているところのこれ、これはその限り、あらかじめ何者でもないはずだといっているのだ。(『考える日々』「自分が何者でもないということを」より)



日めくり池田晶子 3

2008-05-17 00:00:03 | 哲学
 世間で一時期、人を殺してはいけないのはなぜか、という問いが流行ったときがあった。その回答は様々であったが、池田晶子さんの回答はラディカルで、かつぶれない。





3 「なぜ人を殺してはいけないのか」と問うそのことが、人を殺してはいけないまさにその理由なのである。

 「なぜ人を殺してはいけないのか」と問う我々は、その限り、人を殺してはいけないと、問う以前から知っている。知っているからこそ、その理由を問うのである。(『残酷人生論』「なぜ人を殺してはいけないのか」より)



日めくり池田晶子 2

2008-05-15 00:00:02 | 哲学
 「2」は、サンデー毎日の前の連載であった『考える日々』から選んでみよう。



2 生きるために金が要るなら、なんのために生きているのか。

 「金が欲しい」という自分の思いを、一度よく分析してみてほしい。あなたは、金のために生きているのか、生きるために金が要るのか。(『考える日々』「大蔵官僚はまぎれもない奴隷だ」より)

日めくり池田晶子 1

2008-05-13 00:00:01 | 哲学
 急に飛んでしまうが、1番に相応しいと思う言葉を持ってこよう。池田晶子さんの本屋さんでの広告文は「悩むな!考えよ!」が多かった気がする。




1 考えることは、悩むことではない

 きちんと考えることができるなら、人が悩むということなど、じつはあり得ないのである。なぜなら、悩むよりも先に、悩まれている事柄の「何であるか」、が考えられていなければならないからである。「人生いかに生くべきか」と悩んでいるあなた、あなたは人生の何をわかっていると思って悩んでいるのですか。(『残酷人生論』「プロローグ」より)



日めくり池田晶子 29

2008-05-11 00:00:38 | 哲学
 「29」も「30」と同じく、サンデー毎日の連載だった『暮らしの哲学』から選んでみたい。



29 生きるためには悪いことをしてでも生き延びればよいのか

 正義はよいものであり、不正は悪いものだというこの大原則は、まさに二千年来動いていません。これを現代社会に応用したなら、こう問うこともできるでしょう。(『暮らしの哲学』「14歳に問われたら」より)

日めくり池田晶子 30

2008-05-01 00:00:01 | 哲学
 日めくりを「31」から始めてしまったので、仕方なく後ろから続けてみよう。といっても順不同になりそうだが。
 「30」は、サンデー毎日の連載だった『暮らしの哲学』から選んでみたい。



30 自分の人生はこうであり、これ以外ではあり得なかった。こうわかっているなら、あとは黙って生きるだけだ。

 カースト社会の末端で飢えているのが私なら、六本木ヒルズでセレブな暮らしをしているのも私だ。誰も彼もが私であり得るのだけれども、なぜだか私はここでこの人生をやっている。だとしたら、今のこの私の人生なんてものも、全く相対的なものじゃないか。(『暮らしの哲学』「「たまたま」のこの人生」より)