哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

連ドラ

2012-12-24 19:31:51 | 時事
 少し前の話になるが、鷲田清一氏の講演を聞きに行ったことがある。テーマは地域コミュニティの再生の話であったが、冒頭部分で、NHKの朝の連ドラの話題を取り上げていた。鷲田清一氏はある新聞紙に連載コラムを持っているそうだが、そこにおいて、NHK連ドラにはドラマを象徴する重要なフレーズがどこか一箇所で必ず語られている、という持論を展開し、「梅ちゃん先生」では早い段階でそれが出てきたので、もうこれ以上見る必要はないと書いて、新聞社から怒られたそうだ。

 鷲田氏のいう「梅ちゃん先生」を象徴するフレーズというのは、主人公が手伝う開業医の医師が言った「医者はただそこにいるだけでいいんだ」という言葉だそうだ。要するに、医者は患者のそばに寄り添って安心を提供することが最も大事だということだそうだ。実際その後のドラマ展開を見ると、あまり大した事件も起こらず、鷲田氏の指摘した通りだと思った。

 さらに鷲田氏は「カーネーション」のモデルとなった家族とも親交があるそうだが、この「カーネーション」のドラマを象徴するフレーズとしては、敗戦の玉音放送直後に主人公が発する「さ、お昼にしよけ」という言葉だそうだ。これは、たとえ国家が滅んだとして、たくましく生活を支え、生き延びようとする女性の強さを象徴しているというのだ。国家が滅びたら運命を共にしかねない男性に比べ、女性はそんな枠にとらわれない外向きの強さを持っているのだと。確かに、このシーンは主人公のそのような強い一面を象徴する、大変インパクトのあるシーンだとは思ったが、「カーネーション」を象徴するフレーズを一つ選ぶとすれば、私は鷲田氏の意見には異論がある。それは、このドラマがファッションをテーマにしていることもあり、それに関してもっと印象的なシーンがあるのだ。

 ドラマの前半で、キャバレーの踊り子に主人公が安い生地で作った試し縫いのドレスを試着させたとき、その踊り子は、その試し縫いのドレスが気に入ったからこれでいいとし、さらにドレスごときで人は変わらないと言ったのに対し、主人公は一歩も引かずに、「ドレスで人は変わる。うちが最高のものを作ってやる」と言い放つのだ。この、「ドレスで人は変わる」というは、言わばドレスを着ることによって自分自身や周りに対する思いや考えを変えることに繋がり、ある意味人生そのものを変えることに繋がると言っているように思える。そして、この言葉がドラマ後半でクライマックスとなる、病院でのファッションショーに繋がるのだ。

 末期がんで家族に迷惑をかけていると悲しんでばかりで入院している女性が、自分がファッションショーできれいになることによって、自分に自信を取り戻し、家族の愛情を再認識するという場面だ。自分が美しくなれると思うことにより、人生自身を前向きに生きようと思える、というのは、人生が所詮観念であり、考え方次第ということであろう。

 池田晶子さんが、言葉がすべてである、と言っているのと同じように思えるのだ。


選挙の不毛

2012-12-03 01:44:44 | 時事
いよいよ衆議院選挙だそうだが、多くの新設政党が乱立して、一つの政党が大勝ちする前提にないので、ますます選挙後の混乱が予想されている。前回は民主党が大勝ちしたが、マニュフェストがほとんど実施できず、増税なき財政再建は全くの気泡となった。今回の選挙で自民党の与党返り咲きが予想されているが、民主党以前の政治体制にもどることは期待されているわけではなく、自民党でさえ消去法の末の選択にすぎないし、過半数にはなりそうもない予想だ。

選挙民からすればもっとも不満なのは、報道で見ている限り、国のリーダーとしてふさわしい政治家が見当たらないことであろう。リーダーとしての資格は、かつて塩野七生さん文藝春秋誌で列挙していた(説得力や自己制御力など)が、日本の政治家は全ての条件を満たす人はいなさそうだ。しかし、ふさわしい政治家がいないと嘆くばかりでは、全く進歩というのはないのだろう。

民主主義は自分のことは自分で決めることが本質だ。代表者を選ぶということは、結局選ぶ側の見識も反映する。池田晶子さんもさんざん書いているが、国民が自らと同類の政治家しか輩出できないのは当然の道理だし、それで国家が破綻するのなら自業自得と言えよう。つまり、他国と比較してリーダーにふさわしい政治家がいないとすれば、それが国民自身を鏡のように反映しているだけだ。

では、改善策は何かあるか。それはきっと単純なことであるが、一朝一夕にはいかない。というのは、それは国民が自ら精神的に向上することしかないからだ。国民総体だと想像しづらいだろうが、要は一人一人が精神的に向上すべく努力をする他ないということだろう。国民の精神力の向上というとすぐ教育の話になるが、しかし教育制度に依存しているだけでは、すぐに他人事のようになってしまう。そうではなくて、自らや家庭内で、そして地域社会の中で、精神的に向上して行く努力をする他ないのではないか。草の根運動とか言われたりするが、決してイデオロギー的にもならず、もちろん宗教的にもならず、かつての寺子屋のようなイメージでもいいが、とにかく足元から改善する努力を一人一人がしていく必要がある。

そういう点に関連して、古典を読むことを勧める本が少ないながらも本屋に並んでいるのはいいことだろう。あともう一つ早く実現してほしいのは、テレビの低俗な番組をやめさせることだ。これは国民がその番組を見なければ済む話だが。