哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

『人類哲学序説』(岩波新書)

2013-05-06 19:59:59 | 
梅原猛氏の著書はあまり好みではないものの、中をパラパラと見て、デカルトやらハイデッガーやらに触れているので読むに値する本かなと思って購入したのだが、冒頭から読み始めてすぐ、しまった!失敗したと感じた。だからこの本はお薦めできない本として紹介する。


冒頭でいきなり「人類哲学というものは、いままで誰にも語られたことがありません。人類ではじめて、私が人類哲学を語るのです。」とある。そのあと、その人類哲学の根本思想が「草木国土悉皆成仏」という仏教の教えだとしたうえで、梅原氏自身の業績に触れたりながら、アニミズム的な考え方が近代西洋文明を克服できるとする。最後の方では、プラトンのイデアを挙げて不死の思想としたうえで、「不死の思想というものは人間中心の思想であり、それは人間のはなはだ利己的な思想ではないでしょうか。このような文明ではいけません。むしろ、「人間は死すべきものだ、生きとし生けるものは死すべきものだ」という考え方こそが、人類の未来に繁栄を保証する思想ではないでしょうか。」(P.201)というのだ。


そもそも冒頭の「人類ではじめて、私が人類哲学を語るのです」とあるが、それはおかしくはないか。「人類哲学」という名称は初かもしれないが、およそ哲学と呼べる内容であるなら、その本質は人類普遍に妥当するものであるはずだ。さらに、人間が死すべきものだという考えをしないのは、宗教ではあるかもしれないが、哲学ではないのではなかろうか。哲学でいうなら、死とは何かがわからない、と言っているのである。死んだことがないからわからないともいえるが、逆に言えば、生きているからと言って、生をわかっているのか、と哲学は問うのである。


池田晶子氏の言葉はもちろん日本語ではあるが、全人類を相手にしていると堂々と述べている。

「私は、「私の」言葉、どのようにも自己限定しない自己から発せられるところの言葉、その壮大なるモノローグを、全人類相手に一方的に語り聞かせたいという、無体な情熱を隠しもっているのである。」(『残酷人生論』「全人類相手のモノローグ」より)