哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

『ハングルの誕生』(平凡社新書)

2011-05-08 02:00:00 | 語学
 言葉は命である、とは池田晶子の繰り返した謂いであるが、その言葉とは、日本語とか英語とかの言語の違い以前のレベルの言葉を指している。しかし、どの言語であっても、話される以上、音を持つ。そのことについても池田さんは書いたことがある。


「言葉とは「意味」ではなくて「音」なのだと、考えている、というよりむしろ捉えている人々がいる。「意味」より先に、「音」があると。
 なるほど単純に時系列で考えてみても、話し言葉の方が書き言葉よりも成立は先だ、書き言葉においては意味の伝達の機能が前面に出てくるけれども、話し言葉においては、人は「話す」すなわち「発音する」こと自体を目的にすることもあり得る。古代の詩人や歌人たちは、書く人ではなく歌う人だったという事実ですね。詩や歌においては、意味よりも韻律や音の響きの方が大事だ。」(『暮らしの哲学』「心を動かす「音」」より)



 さて、前置きが長くなったが、表題の本において、ハングルがまさに音そのものを文字にしようとした世界にも稀有な例であり、その誕生経緯を中心に大変面白く書かれている。日本語も音を示す言葉であるひらがなやカタカナを漢字から作ったが、発音の仕方そのものを文字に直接表すという、きわめて高度な考え方は一歩ハングルに劣るといわざるを得ないであろう。もちろんアルファベットも子音や母音を文字で表すとはいえ、発音の仕方を文字に表してはいない。


 ハングルを知らない人は一体何を言っているのかわからないかもしれないが、例えばカタカナの「カ」は、文字自体には子音や母音の区別をあらわさないし、発音の仕方も文字自体が示しているわけではない。しかし、ハングルの同じ発音を示す「가」という文字はアルファベットでいえば「ka」と同じだが、文字の左側はkを発音する際の口内の舌の形を象っているのだ。また「다」は「ta」の発音だが、やはり左側は「t」を発音する際の口蓋と舌の形を象っている。ちなみに右側の母音の形も、発音の仕方を組み合わせて作られているそうだ。


 このようなハングルを、今まで文字を使えなかった庶民が使えるようにと、時の王の命令で作ったのが15世紀のことだそうだが、その後実際に多くの人々が使う文字になったのだから、その当時の高度の知性には大変驚嘆する。表題の本を読むとわかるが、現代の言語学に通ずる理論を500年前に先取りしているのだそうだ。


 世間では何かと日本語の秀逸さを強調するような、少しナショナリズムがかったような言動がよく見られるが、隣国のこの高度な知性の歴史ももっと知られてよいと思う。ただ、現在の韓国(北朝鮮も?)では漢字を廃除してハングルのみの表記を基本としているそうだが、本来漢字圏にもかかわらず漢字の豊かな世界を廃除するのはもったいない気もする。その原因が、占領時代に漢字を含めた日本語を押し付けた経緯もあったとも聞くが、是非漢字も一緒に使うことを再考してほしいところだ。

送別の和歌

2010-01-22 05:40:00 | 語学
 全く個人的な話だが、勤務先の送別会で「送別の言葉」ならぬ「送別の和歌」と称して、送別する方に相応しい歌を「百人一首」から選んで披露するという試みを行っている。
 先日は定年退職する方に、次の和歌をスピーチで紹介した。


96 花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものは我が身なりけり


 歌の内容やその作者については、多くの市販本があるので、そちらを見ていただきたいが、簡単にいうと、意味は「自分も年をとったなぁ」と嘆息しているような歌で、歌の作者である藤原公経は太政大臣まで出世した人なので、昔の栄華を懐かしく振り返る意味もこめて紹介した。

 この歌の面白いのは、雪が降る=白い=白髪=年をとる、降る=古る、と言葉を掛けているところで、たぶんに技巧的だが、言葉の面白さを堪能させてくれる。

 百人一首はこのような精選された歌を集めたものだから、本当に飽きない。

『ラテン語の世界』(中公新書)

2006-05-29 00:10:00 | 語学
 前に英単語の語源に関する本を読んだら、かなりのものがラテン語まで遡ることを知りました。で、ラテン語はどんなものだろうと、比較的最近出版された掲題の本を読んでみました。

 ラテン語も英語も数々のヨーロッパの言語もインド・ヨーロッパ語族に属し、それにはサンスクリットも入るそうです。その他の語族には、ヘブライ語やアラビア語が属すセム語族と、日本語も属すウラル=アルタイ語族があります。

 語源という意味で、さらにラテン語などのインド・ヨーロッパ語族の基となった最古の言語は、紀元前3千年位に南ロシアあたりから発祥したそうです。基となった言葉には「海」や「馬」はなかったが、「船」や「櫂」「帆」はあったので大きな川や湖は知っていたらしく、鉄も持っていた人類だったそうです。
 一体どんな経緯で人類が言葉を獲得したのか興味のあるところです。


 哲学で一般の人まで知っているラテン語は、デカルトの「コギト・エルゴ・スム」でしょうか。ラテン語は話者の主語がなく、動詞の格変化で全て表現するようです。「コギト・エルゴ・スム」も直訳すると、「思う・ゆえに・在り」となるが、動詞の格により「我は」が補うことができるようです。


 さて、池田さんのいう「言葉は命」、語源は生命の源を探る面白さはありますが、語源や言葉の源を知ったところで、「言葉は命」がわかったことにはなりません。例えば池田さんは、言葉では考えない、という言い方もされます。じっと思考をしているとき、言葉は使わないそうです。確かに我々も何か考えるときに、いちいち言葉を頭の中にめぐらせているわけではないですね。頭でわかってても、言葉に出せなかったりするのがいい例です。

 ということは「言葉は命」というのは、言葉になる前の基となる概念こそ命、とでも言い換えるのが正しいようです。ただ、概念は言葉にしてこそ、他者に伝わるのですから、結局「言葉は命」になるのですけれども。

茨木のり子『ハングルへの旅』(朝日文庫)

2006-05-24 05:22:36 | 語学
 この著者は最近亡くなられたそうです。詩人だそうですが、この本を書店でたまたま手に取るまでは、全く名前を知りませんでした。


 それにしても「詩人」という方々の感性は、我々庶民には決して到達しえない、すばらしいものがあります。例えば、谷川俊太郎さんはCMでも何でも引っ張りだこですが、その作品の「感性」には誰でも驚嘆するのではないでしょうか。我々と同じ日本語を操り、言葉そのものは決して日常使う言葉でしかないのに、書かれたものはまるで別世界のようです。谷川さんが宇宙人と呼ばれる所以です。


 さて、茨木さんの詩はよく知りませんが、この本を読めば、詩人らしい感性の鋭さは感じることができます。

 とくにおもしろいと思ったのは、ハングルと山形県の庄内弁との類似で、表形式で比較されています。その他にも、日本の地方方言とハングルとが類似する表現が多くあるようです。


 茨木さんは50歳代からハングルを学び始めたそうですが、日本語のルーツというものに想像を働かせながらハングルを学ぶのも面白いのではないか、と思いました。

『語源でわかった!英単語記憶術』(文春新書)

2006-05-17 06:52:34 | 語学
 ドラゴン桜のモデルの教師が、英単語の記憶のために語源による理解を活用しているという話がありましたが、たまたま本屋で上記書籍を見つけ、面白そうなので購入しました。

 著者は学者ではなさそうで、どうも技術系の経済人のようですが、この本を読む限りでは、まるで言語の専門家です。ラテン語等にさかのぼり、単音節での意味から説き起こす説明は大変興味をかきたてます。


 池田晶子さんは「言葉は命」と言います。言葉がどのように作られてきたか、つまり語源を知ることは、生命の源を探るようなものでしょうか。


 池田さんが言っている「言葉は命」というのは、例えば「正しいとはどういうことか」というように、言葉が概念を明確に意味していることに注意を向けるというものです。もし「悪いことも正しいことも相対的でしかない」なんて言ってしまうと、「悪いこと、正しいこと、という言葉の意味内容自体は絶対的であり、万人に知られているではないか」と反論されます。つまり「正しいこと」が人によって意味内容が変わるはずはなく(そうでなければ言葉自体が成立し得ない)、言葉が絶対的ということは、それによって表現されるさまざまな事象やその価値も絶対的なもののはずです。だからこそ「言葉は命」なのです。

 正しいとはどういうことか、正しい行為とは何か、あなたは正しい行為をしているのかそれとも悪い行為をしているのか・・・と。

子供たちからのクリスマスプレゼント?

2005-12-01 02:08:59 | 語学
 NHKラジオの『シニアのためのものしり英語塾』で面白い文がありましたので、紹介します。

「Christmas is a time when kids tell Santa what they want and adults pay for it.Deficits are when adults tell the government what they want and their kids pay for it.」

 後半の文章の冒頭、Deficitsとは財政赤字だそうです。財政赤字は将来の世代の増税負担にならざるをえないことを皮肉ってます。クリスマスにひっかけて言うとは、言い得て妙、ですね。でもクリスマスプレゼントだ、と浮かれる話でもないし、ましてや大人たちが開き直る話でもありませんが。

 財政赤字はもちろん、年金問題も同じですね。これからの年金保険料を上げて、同時にこれからの保険金給付を減らしていくわけですが、若い世代ほど損をする構造は確定しています。仮に若い世代が年金保険料を払わなくても、年金財源が足りなければ税金により補填しないといけないのですから、若い世代に負担がかかるのは全く変わりません。

 税金や保険料を若い世代が負担するとしても、個別の誰が負担するかは政策の問題です。よく池田晶子さんは、税金がどう使われようとくれてやったもの、と関心を示さない態度で一貫していますが、(公正な)国家運営の立場からは公正な税徴収および公正な配分は不可欠ですから、民主主義のもとでは、良識ある政治家を選ぶくらいの良識を国民が持てれば、子供たちが大人たちへのクリスマスプレゼントの請求書を見てびっくりすることはないかもしれません。でも現状では、それが難しいようです。もらったもん勝ちみたいで。

ハングル表記の合理性

2005-10-13 21:15:27 | 語学
 かつて韓国は近くて遠い国と言われていましたが、いまや韓流ブームです。

 その昔、古代日本の支配層は当時先進技術を朝鮮から日本に持ってきた方々だと言われてますし、その意味でも最近話題しきりの天皇家も大陸系であることは十分考えられます。今よりも中国や朝鮮の方が先進国だったのですから。

 ところで15世紀に人工的に作られたハングルですが、その表記の合理性にはびっくりしました。発音の仕方(発音器=口や舌の形)がそのまま文字になるとは、良く考えられています。良く考えられているからこそ、500年も使われてきたのでしょう。また日本語と語順が一緒というのは、親近感があります。

 国語学者で日本語表記をローマ字に変えようと運動していた人がかつていましたが、ハングルの方がまだましな気がします。