哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

文部大臣にせよ

2007-09-30 08:45:00 | 時事
 新内閣の組閣がありました。ところで、池田晶子さんも政治に関するプリミティブな記述がいろいろ見られましたが、かつて「池田晶子を文部大臣にせよ。」と自分でお書きになったことがあって、それを見たときはちょっと驚きました。



「・・なるほど宇宙というのはよくできたものだなあと、感心することがある。「なぜ」こんなふうによくできたものなのか、それはわからない。・・いずれにせよ、本来的にそれが自分であるところの、そういうでっかい事柄について考えることは、この世ではこれ以上にない面白さである。・・
 で、子供にそれをどう教育するかという話だが、こんなふうな世の中なので、やはりかなり難しい。・・自然の不思議、生命の不思議を、このIT革命の世の中でどう教えたものだろう。
 池田晶子を文部大臣にせよ。そのへんのところ、必ずうまくやるはずである。」(『ロゴスに訊け』オカルトよりも不思議なこと)



 決して本気で文部大臣にせよと言っているのではないのかな?と思いつつも、他の文章でも「文部大臣になる」との記述を見かけたこともありましたので、もしかして半分本気かと思ったりもしました。

 それにしても、必ずうまくやるはずである、とは相当な自信です。きっと確たるものがあったのでしょう。

 実際の政治の世界では、子供の教育内容に限らず、各種の教育行政について手腕が問われますし、教科書検定では早々に何らかの対立がありそうな気がしますので、もし池田さんが文部大臣になったときには、よっぽどのブレーンをそばに置かないと大変なように思いますが、一度実現してみたかったですね。

ハウツー本

2007-09-23 19:52:52 | 哲学
 今のベストセラー本は「○○の品格」とか「○○力」とかの題名が流行ですが、中身はあいかわらずハウツーものが多いですね。雑誌の特集なんかも同類です。

 かつて池田晶子さんは「頭のいい人の・・」とか「デキる男の・・」が流行ったころに、ハウツーものへ痛烈な批判をしています。


「・・まず間違いなく、頭のいい人、デキる男は、ああいう本を買って読まない。そうではないところの人が、ああいうものを、買って読む。・・考えてもみたい。これこれの場合はこうするべきで、これこれの場合はこうするべきではない、なんてハウツー通りにゆかないのが、人生というものである。・・頭がいい、デキるとは、どんな状況どんな時でも、自分の判断で、自分の中心から、行為できることを言うだろう。そのためには、他人にどう見られるかを気にして、他人の真似ばかりしてたってダメなのは、決まっているではないか。」(『勝っても負けても』人生ハウツー)


 ハウツー本は、できない人ができるようになりたいために読むのですから、池田さんの言い方では身も蓋もなくなるのですが、仰っていることはもっともです。

 ある場面でできる人のやり方を真似ることができても、その場限りのものであり、なんら自分のやり方になるわけではありません。自分のやり方をデキるレベルにするためには、自分で考えるしかない、自分で体得しなければ自分のやり方にはならない、というわけです。

 要は自分の頭で考えよ、ということですね。

村山 聖(サトシ)さん(棋士)

2007-09-16 20:43:20 | 時事
 文藝春秋10月号で、「新・がん50人の勇気」(柳田邦男氏)という記事をたまたま読みました。その中で紹介されたうちの一人が表題の方で、29歳で夭折されたそうです。記事によれば、漫画化やテレビドラマ化もされたとのことですから、結構世間では有名な話のようです。

 村山さんが亡くなられた時の病気はガンでしたが、5歳の時から慢性の腎臓病ネフローゼという病気をもっていて入退院を繰り返していたため、人生の持ち時間の少ないことを悟り、自分が打ち込むことのできる将棋を早く極めようとしたそうです。「僕には時間がない」と、中学1年にしてそう思ったというのです。

 村山さんは存命中に八段まで昇格したそうですが、それより何年か前のある日、母親が部屋で見つけたメモにこう書かれていたそうです。

「何のために生きる。
今の俺は昨日の俺に勝てるか。
勝つも地獄負けるも地獄。99の悲しみも1つの喜びで忘れられる。人間の本質はそうなのか?
人間は悲しみ苦しむために生まれたのだろうか。
人間は必ず死ぬ。必ず。
何もかも一夜の夢」

 村山さんがいつこれを書いたのかははっきりしませんが、見つかったのが23歳の頃のようですから、それ以前となります。

 「僕には時間がない」と闘病しながら駆け抜けるように人生を生きていた村山さん。この言葉は、その若さにもかかわらず、魂からふり絞るように発せられた本質的な言葉だと思いました。

『魂のみなもとへ 詩と哲学のデュオ』(朝日文庫)

2007-09-09 07:30:30 | 
 本屋の文庫の棚をつらつらと眺めていたら、詩人の谷川俊太郎さんと、ヘーゲルの翻訳で有名な長谷川宏さんとのコラボで出来上がったという、表題の本を見つけました。元の単行本は2001年出版とあります。

 詩と哲学のデュオ、とは面白い試みですね。長谷川さんは谷川さんの詩を「品が良く、遊びが多く、軽やかだとの印象をもった」と書いています。しかし軽薄さとは全く違い、久里浜@さんにコメントいただいた通り、徹底された言葉のわかりやすさがあり、そしてわかりやすさの中に本質を極めるような深さを持っているように思います。

 この本から谷川さんの詩の一部を抜粋してみます。

「また朝が来てぼくは生きていた
・・・
百年前ぼくはここにいなかった
百年後ぼくはここにいないだろう
・・・
魚たちと鳥たちとそして
ぼくを殺すかもしれないけものとすら
その水をわかちあいたい」(「朝」から)


 こんな風に雄大な視点から俯瞰したようなところが、谷川さんを「宇宙人」と名付けているわけですね。

 ところで長谷川さんの文も悪くはないのでしょうが、池田晶子ファンとしてはもし池田さんがこの本に登場していればどんなにわくわくしたことだろうと思います。詩人のような池田さんの文章なら、谷川さんの詩とそれこそ「詩のボクシング」のようにしのぎを削る熾烈なコラボになっていたかもしれません。

森 澄雄さん(俳人)

2007-09-02 07:50:00 | 時事
 長島茂男さんの後に「私の履歴書」を書いていた森澄雄さん。そこに掲載された多くの俳句には、実のところ大変驚かされました。俳句というものが自然の描写を超え、これほどまでに情念の深いものかと、そしてその表現力の豊かさに本当に驚きを覚えたのです。少し引用してみたいと思います。



森さんは新婚の頃、病気と闘いながら、教師の職をえて貧しい一家の生活を支えていたそうです。また貧しい小さな家では、家の中の音は何でも聞こえたと。

 冬雁や家なしのまづ一子得て

 枯るる貧しさ厠に妻の尿聞こゆ

句会で少し色気のあるのを書こうと言って書いたこの句が森さんの代表句になったそうです。

 除夜の妻白鳥のごと湯浴みをり

妻の死に際し、その恋しさから書かれた句。それからお経を上げるようにいくつもの句を作ったそうです。

 木の実のごとき臍もちき死なしめき

 なれゆゑにこの世よかりし盆の花

 汝(ナレ)を恋ふゆゑにまた咲く沙羅の花

 妻ありし日は女郎花男郎花(オミナエシオトコエシ)

その後森さんは大病をして、現在左半身不随になっているそうです。

 点滴はまだまだ長し鵯(ヒヨ)のこゑ

 死ぬ病得て安心(アンジン)や草の花

 水仙のしづけさをいまおのれとす



 俳句は世界で最も短いポエムと聞いたことがありますが、これらの俳句はその一瞬の自然と共に人間の深い情をこれほどにも深く刻んでいます。そして極限まで削ぎ落とされた、石の彫刻のごとく動かない、ずしりとした言葉といえるのではないでしょうか。


 連載の最終回、森さんはこんな風に結んでいます。(一部抜粋)

「ぼくがいくらでも俳句ができるのは、頭を使わないからである。向こうにある大きな自然からそのまま句をもらい、ああだこうだと考えない。・・老子の言う「無為自然」がいちばんいい。俳諧はもともと大きな遊び、虚空の遊び、その自由をぼくは楽しんでいる。

 おのれまたおのれに問うて春の闇」


 なんとなく、池田さんのいう天才-天と直結した自覚-にも通じる話だと思いました。