哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

ユニセフ タジキスタン代表

2006-12-27 23:27:40 | 時事
ユニセフ タジキスタン代表  杢尾 雪絵(2006年11月30日放送) NHK プロフェッショナル 仕事の流儀


 池田さんはNHKの番組が見るに値しないと書いておられましたが、プロジェクトXの後を継いだこの番組は結構面白いと思います。確かにお決まりのストーリーが鼻につくかも知れませんが、これまで全く知らなかった人々の活躍を知ることができます。


 上に紹介した回は、普通のOLがひょんなきっかけで会社を辞めて海外で働き始め、とうとうユニセフの職員になって一国の子供たちの衛生環境の改善のために困難な折衝を続けているというものです。


 日本人でこんな地道な活躍をしている人がいるのか、とちょっと驚きました。もう一度見てみたい番組です。



 民放の「ウルルン滞在記」で何回か取り上げていた「ドイツ平和村」も、世界各地で戦争のため体に傷を負った子供たちを、ボランティアで治療しているという組織でした。子供に罪はないと言いますが、現実に多くの子供たちが犠牲になっています。


 子供たちを救うということが、未来というものに希望が持てるようになれる我々の唯一の行動なのだろうと思います。


 だからこそ、池田さんも子供向けの本に力が入っているんですよね。





(次回の更新は年始で遅れます)

厚かましいNHK(週刊新潮今週号の「人間自身」)

2006-12-25 07:03:40 | 哲学
 池田晶子さんの週刊新潮連載「人間自身」今週号は、「厚かましいNHK」という題でした。池田さんは、NHK受信料を払うのをやめたそうです。



「ニュースと天気予報以外に、見るに値する番組を作っているのか。
 見るに値する番組なら、値するのだから、払っていい。しかし見るに値しないから見ない番組に、なぜ払わなければならないのか。

 (NHKは)見るに値する番組を作っていないと、本当はわかっているのである。それで人に向かって払えと要求するのは、厚かましいな。」



 NHKの番組がニュースと天気予報以外に見るべきものがない、とはちょっと極端な気がします。

 池田さんも前に言われていたように、民放のCMは本当にうっとうしいですが、NHKはそういうのがないので、まだましです。NHKにもなかにはいい番組はあると思うのですけれどね。


 上には引用しませんでしたが、公共放送(ニュース、天気予報)の最小部分について税として強制徴収するのも一考かもしれません。

 それなら池田さんも払うそうですから。以前にも、税金について「くれてやったものだから、どう使おうと知ったこっちゃない」と言っておられましたしね。

名を名のれ(週刊新潮今週号の「人間自身」)

2006-12-19 04:17:40 | 哲学
 池田晶子さんの週刊新潮連載「人間自身」今週号は、「名を名のれ」という題でした。インターネット上に匿名でなされる行為を問題にしているようです。





「人は、個人を特定されないために、偽名というのを使う。この偽名を使う場合の心性を想像してみると、ほとんどは、隠しておきたいことをする場合である。知られるとまずい、悪いことである。偽名により隠れる必要があるのは、それが悪いことだからである。したがって、悪いのはその人の方であって、世の中の方ではないとわかる。」





 「偽名により隠れる必要があるのは、それが悪いことだからである。」とあるのは、おなじみのネット上の害意ある連中のことをイメージできますが、「悪いのはその人の方であって、世の中の方ではないとわかる。」と言っておられるのは、ネット上で行われるほとんどの匿名行為を指しているようです。




 そうするとこの私のブログも悪いことのように思えそうですが、池田さんも「ほとんど」と書いておられますので、ネット上の全ての行為を「悪いこと」と言っておられるわけではないようです。論理的にも「悪いことは匿名で行われる」≠「匿名で行われることは悪いこと」ではないかと思われますので、匿名で行われる全てのことが悪いことであるとまでは言えないと考えられます。



 ただ悪いかどうか以前に、上の引用はしていませんが池田さんが書いている通り、ブログで私生活を暴露しながら匿名である、という意味のない行為も確かに多くあります(ほとんどがそうかも)。




 この私のブログ作成については、正しい言葉(=ロゴス)は何者が語っても正しいからこそ、語る者が何者であるかは問題ではない、とおっしゃる池田さんの言葉の方をモットーとしておきたいと思います。

イマキュレー・イリバギザ著『生かされて。』

2006-12-16 05:24:50 | 時事
 先日テレビ番組でこの本が紹介されていました。ルワンダの大虐殺を生き抜いた主人公が綴ったノンフィクションです。インタビューでは、決して加害者を恨んではいけない、復讐の連鎖を呼ぶだけだ、というようなことを言っていました。早速買って読んでみました。


 一人称で語られる文章は、凄まじい事件を体験してしまったせいか、記憶が定かでない部分もあるようです。しかし殺戮の生なましさは、体験したからこそ書ける内容なのでしょう。加害者を許せるか、著者本人の葛藤も書かれています。



 とくに感動的だったのは、ツチ族の女性たちをかくまった牧師が、彼女らをフランス軍基地に送る前に、かくまっていたことを全く知らなかった家族に彼女らを会わせ、いつか困った人がいれば助けるように、という話をしたところでした。
 牧師はまさに「命をかけて」助けたのです。もし私たちがそのような事態に直面したとき、果たして同じ行動に出ることができるか。決して簡単なことではありません。




 ただ、読んでいて違和感が少しあったことも否めません。ひとつは、全編の内容が神への強い信仰のおかげであると徹底されていることです。全米ヒットの理由は、この本が信仰の本だからでしょうか。もうひとつは、夫となるべき人はカソリックでなくてはならない、という部分です。殺戮者をも許すという行動に出た彼女が、キリスト教内でもさらにカソリックでなくてはパートナーにふさわしくないと考えていたというのは、この本が信仰の本であるゆえに、当然のことなのでしょうか。



 とはいえ、この本は読まれるべき本と言えるでしょう。

ご苦労さまでした(週刊新潮今週号の「人間自身」)

2006-12-09 08:41:33 | 哲学
 池田晶子さんの週刊新潮連載「人間自身」今週号は、「ご苦労さまでした」という題でした。お父さんが亡くなられたそうです。




「死ぬのは自力を超えている。人はそれまでは待つしかないのである。なりゆきにまかせて生きるしかないのである。」




 闘病は大変なようですが、人をつくるともいえるそうです。闘病生活といえども、死を待つことと、明るく生きることは両立するとも言っておられます。

 しかも闘病生活中のお父さんの最後の生きがいは、池田さんの追っかけだったそうです。明るく闘病しながら、ロゴスに心服されていたのでしょうか。



 池田さんが過去何度も書いている通り、死を待ちつつ生きることは既に我々全員が日々行っていることです。ただ通常はそのような自覚が足りないだけですよね。


 もしかしたら静かに病と闘うことによって、池田さんの言葉がより理解できるかもしれません。

第三の性(週刊新潮今週号の「人間自身」)

2006-12-03 18:09:40 | 時事
 池田晶子さんの週刊新潮連載「人間自身」今週号は、「第三の性」という題でした。



「恥じらいというものの消失した、女の延長ではないオバさんという生き物とは、男でも女でもないジェンダーと言える。それは第三の性である。おそらくそれは、現代において特異的に発現した一種の変異(ミュータント)である。」





 今回の「オバさん」に関する池田さんの文章は、ちょっと哲学っぽくないうえに、「オバさん」に対するあまりにも露骨な嫌悪感が感じられますが、何かあったんでしょうか。


 それにしても、オバさんたちの様々な周囲不融合的な行動パターンの数々は、確かに誰でも経験しそうです。

 それゆえ、元気のないオジさんが男の延長であるのに対し、女の延長ではないオバさんを第三の性とされています。



 何かの本で、出産と子育てを終えた女性が長生きするようになったことによって近代社会に大きな変化が出てきている、という話があったと思ったのですが、内容をちょっと思い出せませんので、今日はこれくらいにしときます。