彫刻家・流政之氏の展覧会が香川県で開催されているので、この休みに行ってきた。ちょうどトークショーもあったので、それも聞いたのだが、流さんらしい頑固で一徹でありながら視野の広いお話は、結構楽しめた。質問コーナーで観客が質問と称しながらサインを求めた時に、「今はそういう時間ではない!帰れ!」と一喝するなど、いかにも流さんらしい振舞いも見ることができた。
流さんは今年のバレンタインデーで86歳になるというにもかかわらず、すっくと背筋を伸ばして立つ姿や、2~300人の観客を前にして、必ず椅子から立ち上がってマイクなしで話す態度の徹底振りは、年齢と体力の関係を超えているようだ。
トークショーのメインテーマは、高松の文化と芸術についてだったが、流さんはいきなり「高松の文化なんて知らんなー」と豪快に言い放つ一方、高松の地名である、庵治(アジ)や牟礼(ムレ)は間違いなくアイヌの言葉であるとし、かつて南方からの民族が日本に入ってアイヌを北へ押しやったのだ、と持論を展開したりしていた。
また、流さんがかつて庵治に来たばかりの頃は、石工は墓石を作る者として家にも入いらせてもらえないなどの差別を受けていたが、自分が石匠という言葉を作って社会的地位を高める努力をしたのだそうである。
流さんの作品は日本全国にあるし、東京にもあちこちにあるが、今回の高松の展覧会の規模のものは、東京では決してやらないそうなので、是非うどん食べがてら観に行って損はない展覧会である。
流さんは今年のバレンタインデーで86歳になるというにもかかわらず、すっくと背筋を伸ばして立つ姿や、2~300人の観客を前にして、必ず椅子から立ち上がってマイクなしで話す態度の徹底振りは、年齢と体力の関係を超えているようだ。
トークショーのメインテーマは、高松の文化と芸術についてだったが、流さんはいきなり「高松の文化なんて知らんなー」と豪快に言い放つ一方、高松の地名である、庵治(アジ)や牟礼(ムレ)は間違いなくアイヌの言葉であるとし、かつて南方からの民族が日本に入ってアイヌを北へ押しやったのだ、と持論を展開したりしていた。
また、流さんがかつて庵治に来たばかりの頃は、石工は墓石を作る者として家にも入いらせてもらえないなどの差別を受けていたが、自分が石匠という言葉を作って社会的地位を高める努力をしたのだそうである。
流さんの作品は日本全国にあるし、東京にもあちこちにあるが、今回の高松の展覧会の規模のものは、東京では決してやらないそうなので、是非うどん食べがてら観に行って損はない展覧会である。