哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

『魂とは何か さて死んだのは誰か』(トランスビュー)

2009-03-28 13:00:00 | 哲学
 池田晶子さんの著作の最終三部作が刊行され、表題の本はそのトップバッターで、残りの2冊もすぐに刊行される。今回は絶版となった本の再刊で、さらに単行本未掲載の原稿も多く載っており、ファンとしてはうれしい内容だ。

 中島義道氏が追悼文で触れた大森勉強会のことも、今回掲載されている。その「大森荘蔵氏の印象」という文章に、大森研究会の議論を聞いているだけで面白かった、と確かにある。

 その文章での「大森荘蔵氏の印象」は、その「すがた」が美しいという。もちろん見た目というよりは、語られるその「すがた」が美しく、清潔だというのだ。

 語られる「すがた」というものは、言葉の論理の行き着く先ではないのだから、言葉では語りえないものである。その「語りえぬもの」とはどういうものなのか。

 池田さんは大森氏に問いたいという「善という語が存在するということはどういうことなのか」が、その同じ問いであろう。そして池田さんは、問うまでもなく、その「すがた」を美しいと感じるそのことが答えだという。

『寝ながら学べる構造主義』(文春新書)

2009-03-22 19:21:30 | 時事
 平成14年初版の本だから、もう随分古い方に入るが、最近書店で手にし、あの内田氏の本ということで読むことにした。

 こういう初心者向け入門本的なものは、池田晶子さんは嫌う。わかりやすく読めたからといって、決してわかったことにはならないからである。自らの頭で考えよと。
 そうはいっても、池田さんも入門本の全てを否定しているわけではなく、質のよいものはあるとも言っている。この本はどうであろうか。
 読んだ結果としては、結構好印象である。


 この本を読んでみると、マルクス、ソシュールから構造主義に至る歴史的な流れがよく整理されていて、大変参考になる。難解な現代思想についてのわかりやすい解説は、その内容が本当かどうかは個々に確かめるしかないが、全くわからないよりは、少しは内田的解説を知っていれば、フーコー、バルト、ラカンなどの著書へと歩むためのナビゲーターとして使えそうである。


 もちろん池田さんに言わせれば、ナビゲーターによって現代思想を勉強しただけでは意味はない。自らの頭で考えるとは、思想をなぞることではないのだから、あくまで“考える”材料にすぎないということだろう。

「常に卵の側に」by村上春樹氏

2009-03-20 09:41:00 | 時事
 村上春樹氏の小説は、高校の頃に友人から薦められて読んだことがあるが、なぜかあまり強い印象を持っていない。しかし村上氏はいまや世界的小説家だそうだ。

 今回の村上氏のイスラエル賞授賞式出席の件は、テレビ報道で大きく取り上げられた。なぜガザ地区の戦闘で非難されている当事者の側を村上氏が訪問したかは、その小説家的天邪鬼精神がさせたものであることを本人が話している。

 雑誌クーリエ・ジャポン4月号に、その村上氏のエルサレム・スピーチ全文が載っていたので、何度か読み返してみた。

 明らかにイスラエルを牽制しているようだが、決してその次元に止まらず、慎重な言い回しをしながら「システムと個人」の話へ展開させているところは、さすがにうまいと思わせる内容であった。

 村上春樹氏の小説も読んでみたいと思うようになった。

中島義道著『人生に生きる価値はない』

2009-03-08 09:34:00 | 哲学
 中島氏の他の本も読んだことはあるが、今回の本ほど池田晶子さんと中島氏との親和性を感じたことはない。

 この本は池田さんのように、中島氏が雑誌に連載した文章の単行本化であるが、特に池田晶子ファンにとっての目玉は、あの池田晶子さんの追悼文が掲載されていることだ。池田さんについて覚えている限りのエピソードを書き連ねてもらっているのは、池田さんのとある一面も感じられて面白い。ただ、池田さんに対して必ずしも肯定的評価をしているわけではない。

 追悼文以外の他の文章を読むと、中島氏らしい怒りの行動や性格はどちらかというと池田さんとは真逆のようであるが、散りばめられた哲学的言質は、池田さんが書いていたことと必ずしも違わない。ある意味それは当然かもしれない。

 この本の池田晶子さんの追悼文で触れられている、大森会について池田さんが書いたという文章が、最近出版された池田さんの著作『魂とは何か さて死んだのは誰か』(トランスビュー)に掲載されているようだ。この新刊本についてはまた改めて。