哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

神尾真由子さん

2007-08-26 02:16:00 | 音楽
 天才が好きだった池田晶子さん。音楽家のことはあまり書かれていなかったように思いますが、今回は天才と思しき若き音楽家の話題です。


 このたびチャイコフスキー国際コンクールのバイオリン部門で優勝した神尾真由子さんはまだ21才にもかかわらず、その表現力の豊かさと気迫には非常に驚かされました。

 たまたまN響の定期演奏会で、神尾さんがチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を弾くのを生で見ることが出来たわけですが、若さとは裏腹にその堂々とした風格には天才の片鱗が見えていたように思います。

 記事によると神尾さんは13才からジュリアードに留学し、現在はチューリッヒに在住しているそうですから、小さい頃から自分の目指す道を見出し、その道を極めていったわけですね。


 自分にはこれしかできないということを地道にやり遂げること、は天才が自らの天性に気付くことのよって為しえるわけですが、その姿を垣間見せてもらいました。

谷川俊太郎さん

2007-08-19 08:18:00 | 
 詩人といえば、谷川俊太郎さん。その最新刊に関して、ある雑誌で谷川俊太郎さんのインタビュー記事を読みました。

 谷川さんは若い頃から、人間は社会内存在ではなく、宇宙内存在であるとよく思っていたそうです。社会の中でいろんな価値観やしがらみやらに囚われて人間は悩みを持つが、人間は広い宇宙の中の小さな命に過ぎないと考えれば、そんな小さいことに悩む必要もなくなるわけです。


 池田晶子さんもそのことをラディカルに表現していましたね。以前にも池田さんのこんな文章を紹介しました。

「宇宙、星々が永遠に生成消滅を繰り返しているということに、意味や理由があるとは思わないなら、地球という惑星になぜか存在し、生まれたり死んだりを繰り返している人間の人生にも、意味や目的はないはずではないだろうか。」


 その谷川さんの最新刊『谷川俊太郎質問箱』を立ち読みしていたら、次の質問と回答につい吹き出してしまいました。

「質問:宇宙人って、本当にいるんですか?
回答:いますよ。あなたもそのひとりです。」


 どうしても谷川さんと池田さんの視点はだぶって見えてしまいます。池田さんも詩人といわれるわけでしょうか。

詩人の言葉

2007-08-12 08:35:00 | 哲学
『君自身に還れ 知と信を巡る対話』のはじめの方に、池田さんは本質的に詩人ではないかと思った、との大峯さんの話が出てきます。自分が今ここにいるという不思議の実感を透明な文章で書いている、という点に大峯さんは共鳴されたそうですが、さらにその後の文章に、本質的な言葉こそ価値であることを対話されています。「本当の言葉 石のように動かない」から少し抜粋します。


「池田:人がほんとうに自分が生きるか死ぬかのクライシスになったときに求めるのは、お金でもモノでもなくて、ほんとうの言葉でしょう。言葉がなければ人は生きられない。
大峯:詩というのは言葉が目的となっている世界です。言うことが目的なのであって、言ってどうしようってことじゃないわけですね。その言葉を聞くことが生の目的なんだ。
池田:言葉より大事なものはないでしょう。
大峯:そういう意味で、詩の言語というのは言葉のそういう本質を一番よく示していると思います。たとえば、芭蕉のような偉い俳人が「さくら」といったら、その「さくら」という言葉の中に実際のさくらが入っているんだね。その俳句に感動するということは、やっぱりそのことにびっくりするんだと思います。
池田:そうです、本当のリアリティに触れた言葉は。動かないのはそっちの言葉ですからね。真実の事柄を語っている言葉のほうが、石のように動かないんです。」


 真実の言葉の価値ということについては、池田さん自身の著書でも繰り返し述べられていますが、我々凡人にはどうしても日常生活で使用する言葉の軽薄感からか、その意味を理解しにくいように思われます。携帯電話やパソコンで日常繰り返される会話やメールなどの日常言語ではなく、本質的な言葉がもつ価値を実感するには、これも池田さんが常々書いておられたように、古典に触れるのがよいのでしょう。芭蕉もいいですが、池田さんの本も古典的になってきているような気がします。

長嶋茂雄さんの後

2007-08-05 07:07:07 | 時事
 結構、話題性のあった長嶋茂雄さんの「私の履歴書」(日経新聞)でしたが、その後に登場したのが、私の全く名前の知らない俳人の方でした。

 全く名前を知らなかったので、期待せず第1回目を読んだわけですが、それが「俳句と戦争」というあまり予想しなかった重いテーマで、池田さんが常々書いている「言葉は命」ということを地で行くような話しに圧倒されてしまいました。

 その俳人のお名前は森澄雄さんといい、ボルネオの「死の行軍」(死者1万人以上)で奇跡の生還をされたそうです。そして行軍の間、芭蕉の『おくのほそ道』のそらんじていた一節を呪文のように唱えて歩き続けたというのです。


「羈旅辺土の行脚、捨身無常の観念、道路に死なん、是天の命なりと、気力聊かとり直し、道縦横に踏んで、伊達の大木戸をこす」


 この芭蕉翁の文言のお陰で行軍に耐えられたというのです。


 確かに戦争ですから死ぬ確率は多いうえ、生きるか死ぬかの偶然は、もともと自らコントロールできません。しかし、精神は自らコントロールできるわけですね。それを珠玉の言葉によって行っていたわけです。

 「言葉は命」と何度も書いておられた池田晶子さんの謂いにも通じるお話でした。