哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

『シュレディンガーの哲学する猫』(中公文庫)

2009-01-25 08:37:37 | 哲学
 文庫版が出たことを新聞書評欄で見たので、早速読んでみた。元の本は98年12月刊とあるから、10年前に既に読んだことがある人も多いのだろう。

 読み物としての体裁が猫との会話方式であるところが、池田晶子さんのソクラテスシリーズを思い起こさせ、その点では好感が持てる。巻末には参考文献として池田晶子さんの本も取り上げられているので、なおさらである。

 内容的には、哲学者名を個別の章で取り上げて紹介していく形だが、廣松渉氏や大森荘蔵氏、さらには小林秀雄氏まで取り上げており、普通の哲学本とは異なる拘りがあるようで、大変面白く読める。とくに小林秀雄氏を敬愛する態度は、池田晶子ファンとしても共感できるところだ。


 哲学者の思想を羅列するような内容なら、池田晶子さんが「ソフィーの馬鹿」とよく書いていたように、池田晶子さんに一刀両断されてしまうところだが、小説的(自伝的?)ではあるものの、自ら考える姿勢を示しているから、許されそうである。

スピノザ(『人生は愉快だ』)

2009-01-19 05:27:27 | 哲学
 確か経済学者の宇沢弘文氏は、最後はスピノザを研究したい、とどこかで書いていた気がする。

 ものの本によると、アムステルダムの裕福なユダヤ人家庭に生まれたスピノザは、若い頃にユダヤ教会から破門されて全てを失い、そこから人間の幸福というものを考えていったという。

 池田晶子さんの早い時期の著作『考える人』でも、スピノザをテーマとした文章がある。汎神論者スピノザはデカルトに真っ向反対して、人間の自由意志を微塵も認めないという。人がコギトを徹底すれば何かしら非-人間な無機的な宇宙の気配を帯びる。そこに救済の観念はない。神即自然、一方で我即自然、ならば神=我ということではないか。


 『人生は愉快だ』では、徹底的に合理的に考えたスピノザに、仏陀を重ね合わせている。極端にいえば、宇宙はただある、それだけではないか。永遠で必然の宇宙的秩序のなかで、有限の個々の事物は、無限の存在の一態様に過ぎない。大海に生起する一種の波浪のようなものだと。


 池田さんは『考える人』でも『人生は愉快だ』でも、スピノザの項の最後には小林秀雄氏風に、『エチカ』の最後の言葉「とにかくすぐれたものは、すべて希有であるとともに困難である」を持ってきている。認識と人生が一致していた人にのみ可能な言葉という。こういう人には、ものが見えすぎるほどに明瞭なのであろう。

流政之展(於高松市美術館)~2/8まで

2009-01-12 09:47:30 | 美術
 彫刻家・流政之氏の展覧会が香川県で開催されているので、この休みに行ってきた。ちょうどトークショーもあったので、それも聞いたのだが、流さんらしい頑固で一徹でありながら視野の広いお話は、結構楽しめた。質問コーナーで観客が質問と称しながらサインを求めた時に、「今はそういう時間ではない!帰れ!」と一喝するなど、いかにも流さんらしい振舞いも見ることができた。

 流さんは今年のバレンタインデーで86歳になるというにもかかわらず、すっくと背筋を伸ばして立つ姿や、2~300人の観客を前にして、必ず椅子から立ち上がってマイクなしで話す態度の徹底振りは、年齢と体力の関係を超えているようだ。

 トークショーのメインテーマは、高松の文化と芸術についてだったが、流さんはいきなり「高松の文化なんて知らんなー」と豪快に言い放つ一方、高松の地名である、庵治(アジ)や牟礼(ムレ)は間違いなくアイヌの言葉であるとし、かつて南方からの民族が日本に入ってアイヌを北へ押しやったのだ、と持論を展開したりしていた。
 また、流さんがかつて庵治に来たばかりの頃は、石工は墓石を作る者として家にも入いらせてもらえないなどの差別を受けていたが、自分が石匠という言葉を作って社会的地位を高める努力をしたのだそうである。


 流さんの作品は日本全国にあるし、東京にもあちこちにあるが、今回の高松の展覧会の規模のものは、東京では決してやらないそうなので、是非うどん食べがてら観に行って損はない展覧会である。

『中国ビジネスとんでも事件簿』(PHP新書)

2009-01-08 23:08:08 | 時事
 中国へは多くの企業が進出しているので、数々の事件も出尽くした感があるだろうと思うが、それでもこの手の本は売れてるのだろうか。

 この本は三面記事的な内容が多いので、そんなこともあるのか?という事件ばかりである。企業同士の契約トラブルなどは中国特有の話というよりは、単に日本企業の方針の甘さがトラブルを生みやすかったのではないかと思う。

 ぐっちーさんのブログでも話題になったハニートラップというのが中国でもあるようだが、中国ではロシアのような機密漏洩事件ではなく、金銭強奪のような手合いであるようだ。でもそれは中国だから、というのではないという気もする。


 中国や韓国とも、ガス田開発や竹島問題ともなると、日本にとって大変敵対する隣人となってしまう気がするが、それも所詮「思い込み」である。所詮何者でもない同士、いかなる理由で殺し合うのか、と池田晶子さんは言った。自分達の近所にも中国人留学生くらいは居ることだろう。彼らと付き合うときも、人としての付き合いであれば、国家の違いは大きな障壁とはならないではないか。


 さて、ガザ地区である。殺し合いはなかなか止まらない。アイデンティティの最たるイスラエルと、先住民たるパレスチナは、自分たちが何者と思って殺しあうのか。その思い込みをどうやって解くことができるのか。