哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

人類の仕事?

2008-01-12 17:33:00 | 時事
 今日の日経新聞のコラムで、記録映画『アース』の公開の話が載っていた。冒頭の文章には、50億年前に起こった奇跡的な小惑星衝突で地球の地軸が傾き、おかげで季節が生まれ、この星は生命を育んだ、とある。そして芥川龍之介の話の後、次に引用する最後の文となる。


「ならば地軸が傾き、無数の生命を乗せて回り続ける地球の存在こそ驚異的であろう。その奇跡の重みに思い至れば、人類の仕事はすぐ分かる。温暖化を防ぐのは、氷が解けて海に流される白クマが哀れだからではない。「真砂なす数なき星のその中に吾に向ひて光る星あり」(芥川龍之介→誤りで、正しくは正岡子規と翌日の新聞で訂正)」


 地球の存在が驚異的だといいながら、宇宙の存在がもし当然視されているのであれば、それでは驚きが足りないであろう。池田晶子さんが何度も書いていたように、宇宙の存在でさえ謎ではないか。科学が発見しようとしている宇宙の発生過程のことをいっているのではない。なぜこのような宇宙が発生し存在するのか、である。

 また、奇跡の重みを思い至れば「すぐ分かる」とされている「人類の仕事」とは何であろうか。奇跡的な地球の生存環境を破壊せずに守ろうといいたいのであろうか。しかし、それも説明の順序が反対ではないかと思う。
 もちろん白クマや野生動物の生存を守りたいという人もいるかもしれないが、コラム内の別の文章で言っている通り「動物たちは生きるため必要な行動を淡々とこなしている」だけだ。
 だから、人類も自分たちの生きるために必要な行動を淡々とするしかないではないか。決して地球環境が奇跡的であることの重みがあるからではない。近い将来か遠い将来か、地球(というよりは宇宙)は簡単に人類の期待を裏切って、その環境を劇的に変化させてしまうであろう。それは過去の地球上に起こったことを探究してきた人類の仕事が証明している。

 所詮、人類も環境に翻弄される存在でしかないわけであるが、その精神は宇宙をも思考の対象とできる。そこに思いを致したい。