哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

事業仕分け

2009-11-28 10:10:10 | 時事
 池田晶子さんが生きておられたら、きっと今話題の「事業仕分け」について一言書かれたに違いない。とはいえ、税金の使い道など知ったことではない、と豪語されていた池田さんだから、興味を持つとすれば議論の仕方など言葉に関することであろう。

 議論を完全公開で行ったことは、大変評価が高いと思う。言葉はより多くの人々に伝えられてこそ真価を発揮するからだ。また、対話編に真骨頂を発揮した池田さんだから、事業仕分けのような議論はどんどん行ってしかるべきと考えただろう。その意味では、発言をさえぎるようなやり取りにはちょっと問題があるようには思う。今の政治情勢では難しいのだろうが、時間をかけて徹底的に議論すればいいのだ。ただ、本当は国会が議論の場であるはずではあるが。


 冒頭に述べたように、所詮税金の使い道の話だから、議論の中身に池田さんが興味をもつとは考えにくい。スパコンが世界で1位か2位かなんていうのは、池田さんにとってはどうでもいいことだろう。

 しかし、子供の未来に関わる教育に関するお金の使い道については、池田さんも何か述べたかもしれない。各家庭等へのお金のばらまきでは、有意義な使われ方が期待できないから意味がない。いつぞやは、文部大臣になると言っていた池田さんである。何かいいアイデアを発案していたかもしれない。

『メタフィジカ!』

2009-11-21 05:27:30 | 
 池田晶子さんの表題絶版本を神保町に行くたびに探していたが、なかなか見つからなかった。しかし、たまたまインターネット上で検索すると、中古本で販売されているのがすぐに見つかり、購入した。これで絶版本も含めて全ての池田晶子さんの公刊本を揃えることができた。

 それにしても、インターネットショッピングの便利さは、とくに地方暮らしには恩恵が大きい。「便利なツールができたからといって、人間が賢くなるわけではない」とは池田さんの常なる謂いであるが、ショッピング方法の一つとしては今やかなり重要な地位を占めていると思う。

 そもそも、本好きが古書を求めるといえば、専門の古書店に行ったり、そこのカタログで見つけたりというのが通常であるところ、パソコン一つで済むのは時間の節約として極めて有効だし、何といっても少し英語ができれば、海外から簡単に購入できるのもやはり魅力的である。実は洋書の絶版本も探していて(やはり神保町の専門店になく)、最近ネットで見つけて注文したら、きちんと表示通りの期間で届いた。


 さて、『メタフィジカ!』であるが、掲載されている文章は全て後刊されている本に再録されているので、内容の面でわざわざ購入する意義は薄い。例の「わたくし、つまりNobody」と、あとは『オン!』にある「埴谷論」、最後に小林秀雄への手紙が2つ、で全てである。なので、その順番で読めば、『メタフィジカ!』を読んだことになるので、ご参考にしていただきたい。

インターネットでの言葉の発信

2009-11-15 01:45:10 | 時事
 前々回も書いたように、池田晶子さんはインターネット、とくにブログに使われる低価値な言葉を嫌った。考えられていない言葉が氾濫しているからだ。逆に言えば、考えられた言葉なら、ブログだろうが決して全否定するものでもないのだろう。

 一般人が自らの言葉を、インターネット上に限られるとはいえ世間に向けて発信できるブログは、やはり画期的なシステムだと思う。ただ、簡単に発信できるから、池田さんの言う通り、安易な言葉が大勢を占めてしまうわけだ。よく池田さんが書いていた通り、本当に価値のある言葉こそが残っていくはずとすれば、いずれ多数のブログが淘汰されていくだろうが、今のところそんな気配はなさそうである。

 とはいえ、インターネット上で淘汰されてきている事象もあるようだ。鳴り物入りのセカンドライフが必ずしも活況ではなくなったり、Wikipediaの編集数が増えなくなってきている等である。これらは、単純に言えば多くの人々の関心を惹きつけ続けられなくなったことにあると思われるが、インターネットの行く末を少し反省的に考える材料にはなるだろう。

 一方で今、動画が注目を集めているという。インターネットでアクセスの多い動画が、NHKのニュース番組内で定期的に紹介されるなど、急に脚光を浴びた世界だ。動画は、言葉よりも映像で何かを伝えようとするものであるが、伝達する内容のレベルは、その作成の安易さからブログと同程度に低価値なものも多いようである。ただブログと異なるのは、言葉の壁が少し低いことだろう。一般人が、全世界を視聴者にできるシステムは、やはり凄いと思わざるを得ない。ただ言葉と同様に高価値なものが発信され、価値ある言葉のように残っていくのかどうか。やはり懐疑的に考えてしまう。

「沈まぬ太陽」

2009-11-08 04:12:30 | 時事
話題の表題映画を観た。長時間だからちょっと及び腰だったのだが、御巣鷹山の事故時に現場の臨時の管制に従事した人に薦められて観た。前にクラーマーズハイという映画も観たが、現在進行中の日航の経営破綻問題もあり、日航関連が騒がしい最中での話題作だ。

観終わってみると、あまり長時間であることを感じさせない、良い映画であった。ただ、今の日航問題を考えると複雑な思いになる。主人公は労組の委員長として、組合員の賃金アップを勝ち取るが、今の日航の年金問題はその賃金の後払い的なものだから、当時の主人公の話が実話だとすれば、現在の日航問題に跳ね返ってきていることになる。映画はきっとフィクションもかなり入っていると思うが。


ところで、御巣鷹山の事故でも、阪神大震災でも、上空に自衛隊や報道のヘリコプターが多数来るため、緊急に交通整理(自衛隊による管制)をしなくてはならないそうだ。一歩間違うと二次災害になってしまうため、災害時の管制は相当大変な緊張感を強いる仕事である。このように、災害救助における自衛隊員は、池田晶子さんのいう消防士(『考える日々Ⅲ』参照)と同様、待ったなしの命懸けであり、清廉な仕事と言っていいのではないか。池田さんは警察と自衛隊を、消防士と分けて書いてはいるが。

「言葉の力を侮るなかれ」(『勝っても負けても』)

2009-11-03 15:35:35 | 
 前回の話に関連して、池田さんの言葉を少し紹介しよう。

 前回の話に近い池田さんの言葉は表題の項にある。以前「日めくり池田晶子」でも紹介したが、再録すると以下の通りである。


「人は言葉なしには生きてはゆけないのだから、言葉とは、すなわち命なのである。
 なのに現代人はすっかり思い上がっているから、人間が言葉を使っていると思い込んでいる。しかし逆である。言葉に逆上した人間が殺人を犯すとは、人間が言葉に使われているまぎれもない証拠である。」


 さらに同じ本の中に、言葉に関する別の項があるので、それも併せて紹介しよう。小説を書いてみようという若者が増えている、との報道があった頃の連載である。


「話し言葉とは、思っていることを口にすることである。口にする前によく考えることもあるが、たいていは書くよりは考えられていない。書くという過程は、思っていることをよく考えるという過程を、必然的に強いるのである。
 話すように書くとは、考えずに書くということと、ほぼ同じである。これで人は馬鹿にならずにすむものだろうか。
 人間とは考える動物である。思惟された形跡のない言葉は、動物の示威行動に等しいのではないだろうか。」(「小説を書こうかな」より抜粋)


 この文章は、携帯小説のようなメールのごとく書かれるような言葉に対してのものである。池田さんがインターネット上のブログに深い嫌悪感を持っていた理由もよくわかる。