哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

文庫版『ローマ人の物語』完結

2011-10-31 21:05:55 | 
 文庫版の『ローマ人の物語』がやっと完結した。塩野七生さんの最も有名な作品で、愛読者も多いことだろう。前回の池田晶子さんの言う通り、歴史を自分で思い出す材料となるのであろうか。ローマ人と現代の日本人がすぐにつながるようには思えないが、歴史は繰り返すというように、何か共通項があるようにも思える。とくに最後に書かれたローマ帝国の末期の姿は、様々の問題を抱える日本の姿にも重なる。例えばこんなフレーズがあった。


「一国の最高権力者がしばしば変わるのは、痛みに耐えかねるあまりに寝床で身体の向きを始終変える病人に似ている。」(文庫版『ローマ人の物語 ローマ人世界の終焉(中)』より)


 これを読んだ日本人は、ここ最近の首相交代の多さを思い出すことだろう。そして、首相交代の多さが政治力の弱い日本の姿を象徴していることも、メディアに指摘されるまでもなく感じ取れる現象だ。新しい首相が海外に行くたびに、だんだん軽くあしらわれているふうに見える。どうせ、またすぐに交代してしまうと見られているからだろうか。
 また、こんなフレーズもあった。


「亡国の悲劇とは、人材の欠乏から来るのではなく、人材を活用するメカニズムが機能しなくなるがゆえに起こる悲劇、ということである。」(文庫版『ローマ人の物語 ローマ人世界の終焉(上)』より)


 衰退期も優れた人材は居るのに、興隆期と異なり衰退期にはそのような人材は活用されないという。日本の政治状況についてのメディアでは、有能な政治家がいないという言い方がよく聞かれるが、これも単に埋もれているだけで活用できていないからなのだろうか。最近も、ある改革推進派の官僚の罷免が、保守派官僚の抵抗の結果として話題になっているが、官僚の世界も同様のことがあるのかもしれない。官僚の指揮を政治家がするのならば、その政治家を選挙で選ぶと民主主義国家における国民なのだが、さて国民がそれをどう判断できるのか。




日めくり池田晶子 49

2011-10-24 22:11:11 | 哲学
 歴史とは何かということについて、池田晶子さんは、世間において根本的な勘違いがあるという。歴史認識に関する中国から日本に対する批判から話を始めているが、そのような批判にも、またその逆にも与しない謂いである。しかし、どちらの側にもすぐには理解できないかもしれない。以下で言っている「自分」とは、何者でもない自分だからだ。





49 歴史とは、現在において自分がそれを思い出すという行為以外の、何ものでもないのである。



 「歴史」というものについての、根本的な勘違いがある。何かそういったものが、客観的な事実として、どこかに実在していると思っているのだ。しかし、どこに? 過去はいったいどこに実在しているというのか、ちょっと考えてみればよい。今やどこにも実在していない過去は、現在の自分の「頭の中」にしか存在していないとは、たちまちに気がつくことではないか。(『勝っても負けても』「自分で歴史を思い出せ」より)

ノーベル平和賞

2011-10-17 00:04:00 | 時事
 今年のノーベル平和賞は、女性3人に授けられるという。政治家、平和運動家、人権活動家の3人だが、そのうちの平和運動家の紹介では、反戦のため「戦争に関わる夫や男性とはセックスをしない」というセックスストライキ運動を呼び掛けたとあり、それが内戦終結に貢献したそうだ。

 このことは、男側が戦争と性欲について主導する側であることを前提とする。男女の区別は生物学的差異にすぎないといっても、男側の方が好戦的かつ好色的な性格を持つようである。それにしても、セックスができないなら戦争を止める、ということになるという男側の反応は、戦争を起こす理由が実は全く無いことをさらすようで、笑えてしまう。戦争より性欲の方が大事に思える程度の理由での戦争ならば(それが性欲だけでなく、子孫を残したいという欲望であっても同じだが)、戦争を起こすことのバカバカしさにどうして気付かないのか。当事者となるとなかなかそこまで思い至らないのかもしれないが。


 実は性欲の話では、池田晶子さんは面白い文章を書いている。池田さんがわざわざ性欲について文章を書くに至った理由はよく知らないが、もしかしたら雑誌の特集とかに合わせたのかもしれない。



「「金と女」と言う。あるいは「色と欲」と言うこともある。人間の、とくに男を衝き動かす原動力は、せんじ詰めればそれである、古今東西それに決まっているという居直りを合意している。
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 本当に哲学的にものを考える傾向のある人間にとって、金と女とは、実は欲望の対象にはなり得ない。そういうものは、「しょせん」この世の現象であって、考える人間が真実に欲望するものではあり得ないのである。
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 哲学者は、性欲を大脳で昇華するのである。あえて科学的に説明すると、そういうことだと私は思っている。」(『人間自身 考えることに終わりなく』「性欲を昇華する哲学者」より)




日めくり池田晶子 48

2011-10-07 08:39:39 | 哲学
 自分の人生に悩んだあげくかどうか知らないが、死刑になりたいからといって殺人を犯す事件が後を絶たない。しかも、若年者だけでなく熟年と思しき年齢の者でも、である。この世相は、池田晶子さんが生きていた時代と今と、ほとんど変わっていないのだろう。あるいは、もっと悪くなっているかもしれない。




48 他人を殺す前に、自分が死んでみるべきである



 青年期の一時期、生死について悩み、自意識過剰になるのは当たり前のことで、そういう時は、かつてなら、自殺を考えるか、実際に自殺するかしたものだ。そうではなかっただろうか。しかし、自分のことで悩んでも、誰も他人を殺そうとはしなかった。これはどうしてなのか。
 言うまでもない、自分のことを悩むことと、他人を殺すこととの間には、いかなる関係もないからである。自分の存在、自分の生死、まったく正当に不可解であるこれらの事柄が、他人を殺すことで理解できることになるわけがない。死が不可解で、なぜ他人を殺すのか。(『考える日々Ⅲ』「そうでなければ、それまでだ」より)

語り得ぬこと

2011-10-02 00:29:29 | 時事
決してウィトゲンシュタインの話ではない。NHKのEテレで放映された、あるドキュメンタリー番組を見たときに思ったキーワードだ。

番組の内容はというと、NHKの若い女性ディレクターの祖父が亡くなったが、その祖父の頭蓋骨内には太平洋戦争中に受傷したときの弾丸が残ったままで、火葬後の骨からその弾丸が出てきた。その祖父は当時爆撃機搭乗中に銃撃を受けたものの、一命をとりとめ、戦線に復帰したそうだが、当時の同僚や後輩にインタビューを試みたところ、生前は成功した爆撃の話しか祖父からそのディレクターは聞いた事がなかったそうだが、その祖父の戦時中の意外な一面を知ることになるというものだ。

祖父の同僚だった人が、決して言うまいと思っていたが、として言うには、祖父が戦線復帰後は爆撃機内ではベテラン兵だったからある程度機内では指示ができる立場にあったそうで、決して無理な攻撃をしないように配慮し、単独爆撃での出撃の際は、攻撃を実際はせずに爆弾を捨てて帰ったことも何度かあったという。これは、当時物資不足で魚雷もなく、敵の艦船を爆弾で攻撃する命令が何度も出ていたそうだが、爆弾で船を攻撃するのは極めて困難で、命中させようと無理に近づくと艦砲射撃の餌食になってしまうので、そんな無理な攻撃をしないよう一種のサボタージュをやったということだ。このような行為を行った背景には、無理な命令ばかりをする上官への反発心もあったという。

しかし、祖父の親しかった後輩にインタビューした際には、そんなことはない、と否定するばかりでそれ以上語ろうとしない。祖母もどうやら当時の祖父の思いを何か知っているようだが、決して言えないこともある、として最後まで語らない。

結局番組内では、真相ははっきりしたとはいえないが、軍隊という組織で行われる戦争の遂行は、決して表に現れる一面だけではなく、組織と人間との軋轢もあるとの印象を強く受けた。組織である以上、当然内部でいろいろな問題を抱えることは、現代の官僚組織や会社組織でも同じであろう。ただ戦時の軍隊では、その問題が即簡単に命を落とすことになってしまうだけだ。上官の無理な命令で命を落とすことは、戦争では日常茶飯事なのかもしれない。そして、それに反発した部下がいてもおかしくはない。軍隊とはいっても、構成するのは一人一人の人間であるからだ。