久里浜@さんに教えてもらった新潮45の記事を少し紹介します。ランティエの追悼文同様に立ち読みで済ませようと思ったら、4ページもあったので、つい買ってしまいました。
中島さんにとって、池田さんも参加されていた「大森会」での池田さんの思い出が二つ、ネガティヴなものがあるそうです。
(その1)「彼女はいつものように机にうつ伏せになって、周囲のカンカンガクガクの議論から遠く離れてひとり遊泳しているようであったが、「痛み」の議論の最中すっと頭を上げて、(池田さんが)次のように発言した。「歯が痛いとき、その痛みをじっと見ている自分がいる」 場違いな発言で、みな瞬時うろたえた。・・・(某氏)が「そりゃ、あんまり歯が痛くないからじゃないの?」とチャチャを入れると、みな爆笑し、それでその話は終わった。」
(その2)「同じような彼女の発言に対する「無視」が大森先生自身の口から発せられた。池田さんがメルロー・ポンティの言葉を引用して何かを語った。そのとたん、大森先生が「それはメルロー・ポンティの誤解です」と答え、やはりみなワッと笑って終わりとなった。」
中島さんの文章では、その1の方は池田さんの低級なしろうと発言に対して周囲が苦慮したことが書かれ、その2では池田さんの哲学に対する態度が周囲にとってカチンと来るものがあった、と書かれています。池田さん以外の方々(中島さんも)の態度は、いかなる権威をも足蹴にする、少なくとも尊敬しないという雰囲気を共有していたが、池田さんは違っていたというのです。
その1は議論そのものがよくわからないので何とも言えないのですが、その2については、中島さんらと池田さんとは、権威を足蹴にする態度が違っていたのか、あるいは池田さんは権威の一部を足蹴にしなかったか、というように態度が違っていたようです。
しかし池田さんの本を読んでいると、池田さんが権威の皮を借りるような態度は全くないので、その点で中島さんらとそんなに態度が違うのか?とちょっと不思議な感じがします。池田さんこそ哲学の権威にすがることなく、「自分で考えよ」と常々書いておられるからです。
ただ池田さんも若いころだったわけで、その後と態度がもし違っていてもおかしくはありません。そんなことは今さらどうでもよく、今は残された池田さんの文章をもとに、私たち自身が「考えて」いけばいいのですからね。
中島さんにとって、池田さんも参加されていた「大森会」での池田さんの思い出が二つ、ネガティヴなものがあるそうです。
(その1)「彼女はいつものように机にうつ伏せになって、周囲のカンカンガクガクの議論から遠く離れてひとり遊泳しているようであったが、「痛み」の議論の最中すっと頭を上げて、(池田さんが)次のように発言した。「歯が痛いとき、その痛みをじっと見ている自分がいる」 場違いな発言で、みな瞬時うろたえた。・・・(某氏)が「そりゃ、あんまり歯が痛くないからじゃないの?」とチャチャを入れると、みな爆笑し、それでその話は終わった。」
(その2)「同じような彼女の発言に対する「無視」が大森先生自身の口から発せられた。池田さんがメルロー・ポンティの言葉を引用して何かを語った。そのとたん、大森先生が「それはメルロー・ポンティの誤解です」と答え、やはりみなワッと笑って終わりとなった。」
中島さんの文章では、その1の方は池田さんの低級なしろうと発言に対して周囲が苦慮したことが書かれ、その2では池田さんの哲学に対する態度が周囲にとってカチンと来るものがあった、と書かれています。池田さん以外の方々(中島さんも)の態度は、いかなる権威をも足蹴にする、少なくとも尊敬しないという雰囲気を共有していたが、池田さんは違っていたというのです。
その1は議論そのものがよくわからないので何とも言えないのですが、その2については、中島さんらと池田さんとは、権威を足蹴にする態度が違っていたのか、あるいは池田さんは権威の一部を足蹴にしなかったか、というように態度が違っていたようです。
しかし池田さんの本を読んでいると、池田さんが権威の皮を借りるような態度は全くないので、その点で中島さんらとそんなに態度が違うのか?とちょっと不思議な感じがします。池田さんこそ哲学の権威にすがることなく、「自分で考えよ」と常々書いておられるからです。
ただ池田さんも若いころだったわけで、その後と態度がもし違っていてもおかしくはありません。そんなことは今さらどうでもよく、今は残された池田さんの文章をもとに、私たち自身が「考えて」いけばいいのですからね。
さっそく書店でみてみます(買わずに済ませられるだろうか…)。
久里浜@さん「サンデー毎日」連載の情報も、ありがとうございます。
「大森研究会」…かの永井均氏もいらっしゃったんですよね。どんな高次な議論をしているのか、想像し難い空間です…。
池田さん初期の著作は、直球!ですが、逆にわかりやすいと思うのです。あの感じで出席されてたのでしょうか(笑)。
生成、生きることにも重きを置いて、深みと玄妙さを増した最近の表現の素晴らしさは言うに及ばずですが、初期からの論理の一貫性にも驚きます。
最近は初期から最新刊まで、池田さんの認識と表現の広がりを味読しています。
池田さんが机上の空論の延長で考えているふりをしていたわけではないのが分かります。
どこまでも深く実感を持って自分の意識を見ていたのでしょう。そら恐ろしくなります。
なんという”孤独”の深さでしょう。
中島さんはじめ、研究会の方々はそのことが、ただ「わからなかった」のでしょう。中島さんの追悼文を読む限り、いまだにわかっていらっしゃらないようでした。それに、追悼文の意味もよくお分かりになってないようにも思いました。
あんなにも思考の立ち位置や覚悟が違うのですね。
池田さんがあんなにも小林秀雄、埴谷雄高、藤沢令夫、井筒俊彦を敬愛するわけですね。
飲みの席での、周りの哲学者の様子にもがっかりしました。