白川静氏の文章は決して読みやすいとはいえないが、その博識に裏付けられた的確な指摘は知的興奮を覚える。
孔子は、イエスと同じく敗北者であるという。敗北者であるからこそ、思想を極限まで高められたというのだ。
また、孔子は、ソクラテスと同じくイデアを追求したという。ソクラテスはノモス(法律)の命ずる通り死することによって、イデアの存在を証左したが、孔子の時代はまだ社会がノモス化しておらず、孔子は現実の敗北者となることによってイデアに近づくことができたというのだ。
さらに、孔子は巫祝の出身で、儒家はもともとは祭礼や葬礼を仕切る集団から発生したそうだ。それは下層の民でもあるという。儀式というのは神との言葉のやり取りであり、存在の根源としての生の神秘にも関わることから、高遠な思想へと昇華されていったのだろう。
白川氏の硬質な文章から、人間的な魅力のある孔子が描き出されているのが、本当に不思議である。
孔子は、イエスと同じく敗北者であるという。敗北者であるからこそ、思想を極限まで高められたというのだ。
また、孔子は、ソクラテスと同じくイデアを追求したという。ソクラテスはノモス(法律)の命ずる通り死することによって、イデアの存在を証左したが、孔子の時代はまだ社会がノモス化しておらず、孔子は現実の敗北者となることによってイデアに近づくことができたというのだ。
さらに、孔子は巫祝の出身で、儒家はもともとは祭礼や葬礼を仕切る集団から発生したそうだ。それは下層の民でもあるという。儀式というのは神との言葉のやり取りであり、存在の根源としての生の神秘にも関わることから、高遠な思想へと昇華されていったのだろう。
白川氏の硬質な文章から、人間的な魅力のある孔子が描き出されているのが、本当に不思議である。