大阪万博課題山積の中、IRの実施協定締結、島岡美延です。大阪の皆さん、本当にカジノが必要ですか?
横浜はIRへの市民の反対運動が大きくなり、「港を賭場にしない」ことを選択。横浜みなと博物館の企画展『関東大震災100年 船と港から見た関東大震災』(~11月5日)に出かけました。
開港から60年余りかけて築き上げた、大さん橋、新港ふ頭をはじめとした東洋一の近代的港湾設備が、一瞬にして崩壊。一方で横浜港や各地の港は人命救助、救援物資輸送、避難の場としても使われ、外国船籍も含め、商船、艦船などが活躍。
当時、ライバルともいえた東京港、神戸港などが震災を機に役割を変えていき、一刻も早く横浜はその地位を取り戻そうと、復旧工事は約2年という驚異的なスピードで完成。
震災のがれきを埋め立ててできた山下公園。1935年には『復興記念横浜大博覧会』が行われ、約2か月間で約330万人が来場しました。