看板ぼうず

今日からお彼岸。初日の今日を「彼岸の入(い)り」といいます。朝からお墓参りの方が、たくさん玄関を訪れます。お線香を買って、家内や私や副住職に火を点けてもらうためです。基本的に中日(春分の日)までは、私も玄関に座ります。本当なら看板娘のように愛想を振りまきたいのですが、無愛想なのでなかなかできません。ぐははは。それでも、正面に陣取って、看板娘ならぬ看板坊主。いろいろしゃべりながら、「言いたい放題」用のお地蔵さま描きに精を出します。下町のお寺は、こうして檀家さんとのコミニケーションを取っているんです。

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薄くなるのが楽しみ

本の原稿を書き始めた時には、あんなに大きかったワード画面の右端のバー(写真:カーソルの上のヤツ)が、48ページ書いてこんなに小さく、薄くなっていた。書き終える頃にはさらに薄くなって、線のようになる。このバーが知らぬ間に薄くなっていくのを見るのは、筆者のひそかな楽しみである。

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なせばなる、「豊山派的生き方」で60分。

「仏教的生き方」⇒「真言宗的生き方」と、数年おきに依頼される講演テーマが絞られて、今日の筑波での檀信徒研修会の講演テーマは、ついに「豊山派的生き方」!豊山は、本山の奈良長谷寺の山号だ。仏教的生き方と真言宗的生き方なら、どうにかなる。ところが、私の所属する真言宗豊山派の檀信徒の生き方と、他の真言宗各派(17ある)の檀信徒の生き方に、明確な線引きなどできない。もちろん教えに微妙な違いはあるが、それは一般の方々にとって、ほとんど意味がない。--と、これは夕べ考えたこと。そのあとよくよく頭をひねって、どうにか60分の務めを果たして帰宅した。「やればできると思っている」は中二病の症状だそうだが、この年になると直感で「どうにかなる。やれはできる」と思ったことは、だいたいどうにかなるものだ。※写真は、豊山長谷寺。桜は時期は、そりゃ見事です。

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マスクとギョウザ

普段マスクをほとんどつけないが、インフルエンザ宣告を受けてマスクをした家内が「あなたもマスクしたほうがいいよ」と言う。私は素直なので、今日はマスクをしている。慣れてないから、そのまま何度もお茶を飲もうする。あははは。法事を終えて、明日の筑波での講演内容を考えていると、家内が「夜、餃子にしようと思ったけど、家族のうち3人が明日、人と話さないといけないから駄目だね」と言う。「そうだね」と言ってから思った。餃子を食べた後マスクをしなくてはいけない状況になったら・・・。風対策でマスクを常用している方は、いったいどうしているのですか。

 

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ミルフィーユ的時間の過ごし方

ご詠歌研修所の進級検定と卒業検定の審査が二日かけて終了。検定を受けた方々、お疲れさまでした。出来はどうあれ、あれが一人一人の実力ですぜ。わははは。で、帰宅すると、出かける娘が、夕方に洗濯物を取り込んでおいてねと言う。家内は一昨日からインフルエンザなので、娘が主婦をしてくれているのだ。1600字の原稿を一本書いて、洗濯物を取り込んだ。次の一本を書いて洗濯物をハンガーや洗濯干しからはずした。次の一本を書いて、洗濯物を畳んだ。で次の一本を書いた。四本の原稿を書く合間に、洗濯物関係を挟んだことになる。「なんだか、ミルフィーユみたいな過ごし方だな」と思った。

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記憶

あの日、私は夕方都内のホテルで食事に誘われていた。そろそろ出かけようと着替えに部屋へ行ったとたんに、揺れが始まった。テレビが倒れそうになったので押さえた。揺れが収まったところで、階下へ下りて、居間ののテレビをつけた。家内と娘は遠いところに出かけていたので、長男と次男の三人だった。食事はキャンセルになった。ずっとずっとずっとテレビを見つづけた。が、もどかしかった。東北に友人にはあえて電話しなかった。つい昨日のことのように、四年前の昼過ぎからのことを覚えている。

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言葉の積み木

寸暇を惜しんでというほどではないが、書ける時に書いておこうと今日は54項目のうち2つを書いた。3週間でどうにか半分まできた。〆切はまだ決まってないが、やるべきことは早く片づけたいという性(さが)が疼(うず)くのだ。起承転結など考えず、とりあえず必要文章量内で書きたいように書く。当然雑な文章だが、私の場合、ノリのいい文章の初稿はそんなものだ。頭の中にある思考を次々と重ねていく作業は、積み木みたいだと思う。

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バレンタインのお返し

バレンタインデーのお返しを考えねばならぬ週になった。家内は楽しみにしているようだが、私はここ数十年のこうしたプレゼントに少々辟易している。私がプレゼントしたものはあまり着たり、持ったりしないからだ。「あなたからもらったものは、どう着こなしたらいいのかわかんないのよ」と家内は言う。そこで、今日の夕飯後の後片付けをしながら言った。「あのね、お前の魅力を一番知っているのは俺なんだ。お前は自分で自分の魅力がわからないから、自分と結婚したいと思わないだろう。俺はお前が自分で気づかない魅力を知っているから結婚したんだよ」--我ながら名言だと思って、そばにいた娘に「今の名言だったな」と言うと「うん、名言だね」と同意してくれた。娘にはとびっきりのホワイトデーのプレゼントをしようと思った。わははは。

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分けても減らない心の遺産

夜になって、ウギャッ!明日は、午前中のご詠歌を終えてから、実家の菊花会でボランティアガイドをしてくれている方々の研修会だった。何を話すか決めていなかった。ご年配の方々が多いのだが、私にとっては今が旬の問題を一緒に考えていただくワークショップをやることにした。数年前に同じメンバーに話し方のワークショップをしたのだが「思い出の食べ物」で3分トークなんてぇのをやったものだから、えらいことになった。戦中戦後派の方々の思い出の食べ物の話が3分で終るはずもなく、10分、15分くらい平気でお話しされてしまったのだ。私のやりたい話し方についてはほとんど暖簾に腕押し状態で、食べ物にまつわる苦労話の花が咲き乱れて終ってしまった。その苦い経験を踏まえて、明日は”分けても減らない心の遺産、あとは三代食いつぶし”のタイトルのもと、ワークショップをすることにした。「近頃の若いモンは・・」なんて愚痴の花が咲かなければ良いのだ・・・。

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長生きの楽しみ

老眼の男が一日の疲れを落し、あとは寝るだけのお風呂の時間で、写真の二つの入れ物の違いを認識するのはほぼ困難と言わざるをえまい。ちなみに写真はわが家の女性陣のシャンプーとコンディショナー。いつも風呂場の棚の左側にシャンプーが置いてある。いつも左側に置いてあるから、そのまま一か月ほど使っていた。ところが今日使おうと良く見たら、コンディショナーだった。ギャッと思って、シャンプーをポンプしたら、この一か月使っていたのより水っぽかった。先輩の父君はかつて、靴墨と墨歯磨きを間違って使っていたそうだ。こんな傑作な間違いをこの先、どれだけ話題にできるだろうと思ったら、やっぱ長生きしようと思った。あははは。

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