goo blog サービス終了のお知らせ 

蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

あっちの世界、こっちの世界

2013-10-17 | 日々のこと
昨日の朝、アップしたブログ。
舌の根の乾かぬうちに、インクの乾かぬうちに、(どれも、ヘンか。。。)
1時間後のバス停で、昨日のブログの主人公オバサマを見かけた。

一瞬、目に入ったとたん、「アチャー」と大きな声が、わたしの心臓から聞こえた。
雨も降ってないのに、かんかん照りでもないのに、雨や日差しをよけるフリをしようにも、
非常に不自然な状況で、影のできるバス停手前、数メートルのところで、
バッグからゴソゴソ、手帳やら財布やら、なにやら探しモノをしているフリをして、留まっていた。
(ただし、バス停からは、まる見え)

よく見ると、さらに別のよく知るご近所さんの姿も見えた。
その人のご主人は、今、重病らしいので、おそらく、オバサマのおメガネに適ったのではなかろうか。
お気の毒に・・・・。

そんなお2人の傍にでも行こうものなら、また巻き込まれること必至。
なので、うんと遠くの一番後ろの席に座り、バスを降りてからは、一目散に駅にダッシュ。
くわばら、くわばら。
重病のご主人は大変、お気の毒なのだが、
わたしに時間も気持ちも余裕がない時は、逃げるに限る。


で・・・昨日、また別のところで、
ある人物の噂をしていたところ、(しかも、本人が聞いたら、さぞ怒るだろう内容)
その十数分後に、その人物を見かけた。
げげげ・・・今日のオバサマといい、その人物といい・・・
わたしって、予知能力があるの???

いらん、いらん、そんな能力。
ろくなことがない。
第一、なんの役にも立たない。

・・・・・

あとひとつ、書きたいことがあるのだが、持ち時間いっぱいとなった。
残念ながら、後日に。
書くとまた、その人物、事柄に出くわしたりして。


そんな能力より、ぼけぼけ街道まっしぐらの今日この頃、
自分が言ったこと、行ったこと、見聞きしたこと、やりとりしたこと、
などなど、しっかりした記憶力が、わたしには必要だ。
時間をかけると思い出すものもあるが、迷宮入りのものもあり、オソロシイこと、この上ない。


めっきり涼しくなり、
昨夜は、秋冬物のホームウエアを探していたところ、何度探しても見つからない。
ないはずはない、と、思いあたる場所を三度は同じところをくまなく探した。
が、ない。
あきらめていたのだが、そんなはずはない、今年になってなおしたばかり。
同時期に収納した、似たようなウエアはあるのに、探しているウエアだけがないなんて、おかしい、
と、最後の力を振り絞って、なかば、ムキになって探した。

・・・

すると、ぽかっと別の場所から、ダンボール箱に入っているのを発見。
だれだ!! こんなところに、なおしたのは??!!
わからないではないか。

ああ、他のだれでもない。
ああ、わたしの仕業。

こういう時には、予知能力なんて、まったく発揮しない。
ただ、探し続けていた時に、
ひょんな、意外な、想像できないようなところか、
あるいは、当たり前すぎるような最前線のところにあるに違いない、と思いながら、探した。
結果は、「意外なところ」にあった。

完全に、あっちの世界に脳みそが飛んでいっている自分を感じた。
が、こっちの世界からの呼び戻しもある。
呼んでから帰ってくるまで、時間がかかるのが、難儀だ。


にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村人気ブログランキングへ





五月蠅

2013-10-16 | ご近所さん
自宅の近所のオバサマ。(実年齢からすると、「オバアさま」が、正しい)
バス停などで、いつも会うと、わたしの家庭のハナシばかり振ってこられる。

子供の学歴、職歴、結婚歴、親戚の職歴、
定年している人に対しては、親や親族の病歴。
老いて職のない人に対しては、興味の的は「病気」。健康な人には興味を示さない。
ただし、没している人には興味がないようだ。

なんとまあ、究極の個人情報。
誰も人のことなんぞ興味ないから、他人に聞かれたってかまわない、という人もあるだろうが、
わたしは、バス停で待っている、他のご近所の方や、バスの中の他のお客さんたちの耳が気になる。
で、彼女を見つけると、バス停の手前で立ち止まり、距離をおいて、バスを待つ。
それでも追いかけられることもあり、
「はあ・・・」「そうですね・・・」と蚊の鳴くような声で答えるが、
バスに乗ると、追いかけてこられない遠くの席に座る。

このオバサマは、興味がはっきりしている。
じつに、ピンポイント。
自分の興味のあること、価値を置いていることのみを聞きたがり、
たとえば、親戚に、若い姉妹が2人いれば、そのうちの1人だけの職業について、しつこく聞いてくる。
もう1人に関しては、まったく興味がない。
2人とも会ったこともないので、好き嫌いは、関係ないと思われる。
「○○さんのところの下のお嬢さん、○○されてるんですってね」
「はい、そうらしいですね」
「まあ、すごいわね。どうのこうの、なんたら、かんたら」
上のお嬢さんのことは、まったく一言も触れず。


一度でいいから、そのオバサマのご子息のことを聞いてみたいのだが、
(そうすると、人の家族のことを聞かなくなるのではないかという効果を期待して)
わたしの良心がとがめるし、そういう趣味は、わたしにないので、決して聞くことはない。

息子さんの職業は、オバサマのお好みに当てはまらないと思われ、(彼の職業は、義母から聞いて知っている)
オバサマも、「では、あなたの息子さんは、どうされているのですか?」と聞かれることも大いに考えられるのに、
聞かれてオバサマが喜んで応えられる状況でもないはずなのに、よくまあ、人のことばかり聞けるものだ。
わたしは、聞きもしないが。

世の中、いろんな人がいるものだ。


と、思っていたら、先日、オバサマ2号にバス停で会った。
彼女は、たんなるご近所の方。
子供が小さかった頃、子供会やPTA、自治会などで親しくしていたご近所ママ友の、ごくごく近所の方。
そのママ友と親交があった彼女とは、わたしも自治会などで顔を合わすと、ママ友を介して少し話したこともあった。
そのお方、お久しぶり、とばかりに気を許して話していたら、いつの間にか、オバサマ2号になっていた。
その日、新たに2号として認定した次第だ。
バスの中でのおハナシ、他の人に聞かれてないか、ひやひやした。

オバサマは、なんでそういうハナシが好きなのだろう。
個人情報を開示したがらない、わたしが、へんなのだろうか。


にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村人気ブログランキングへ






あなたのブログ、わたしのブログ

2013-10-15 | ブログ
わたしのブログ・・・、読んでいただいている方。
あの人、この人、ああ、あの人は、読んだり読まなかったり・・・?
リアル人では、3人とプラス・アルファ。
リアル人じゃない人は、あの人、この人、・・・3~4人。
以上、合計6人ほど。

訪問数は、それより上なので、
こそっと読んでいただいている方が、ほとんどを占める。
あるいは、人ではなく、機械による自動検索?

数字がぐっと突然、多くなる時は、おそらく、わたしの望まない方向性にある内容の時だ。
なので、喜んでいいのか、悲しんでいいのか。
(悲しむということは、決してないのだが、複雑な心境になることは経験した)


よそ様のブログを読むと、どこの誰だか具体的には詳細は存じないが、とてもリアリティがある。
まるで小説を読んでいるようで面白い。
作り事や、想像の世界ではなく、ご本人自らのことを実況報告しているかのごとく、
なので、ふむふむと、身を乗り出して読んでしまう。
書き方がお上手なことと、心底思っておられることをばばば~っと一気に吐き出しておられるので、
迫力がある。

そうなのか・・・えらくわたしとは違うなあ・・・でも、面白い。
これってなに?
自分とは、好みもタイプも考え方も違うけれど、認めてしまう何か。

おそらく一生懸命、集中して頑張っておられるからだろう。
熱気というか、温度が伝わるのだ。

ぬる~い温度も、ふわっとした温度も伝わる。
かちっとした雰囲気も、きりっとした空気も伝わる。

みなさん、各自、長く読ませていただいていると、旧知の仲のようになっている。
(ただし、一方的に、だが。
時折、一方的ではなかったことを知ったりすると、ちょっと赤面し、にまっとする)

時間がないときや、気が乗らないとき、内容に興味がないときは、ザザザと斜め読み。飛ばす。
毎日、感想文を書き送らなければいけない、べったり仲良しさんでもないので、
気楽にサボれる。
それがまた、肩の荷が軽く、窮屈でなく、気が抜けて、いい。

・・・

わたしのブログは、書き逃げ。
一気に書いたら、後を振り返らずに一目散に逃げる。
あたためる、ということをしない。
なので、勢いで書いてはアップしたもの、その大量の文字群を見るのが怖い。
自分は救われるが、その結果、どうなっているのやら?
まあ、苦情は今のところ寄せられていないので、弊害や公害は、どおってことないのだろう。
やれやれ。

・・・

うーーん・・・
今朝は、ニュートラルな気分だ。
そういうときは、困る。
書いては、消し、書いては、消し、になってしまうからだ。

こうかな、そうでもないか、・・・いや~、そんなのどうでもいいなあ、
と、強く書きたいことがない。
一目散に逃げるほどのことを書くほど、駆り立てられる感情が沸いてこない。
時間制限もあるので、時計をちらちら見る。

と言いつつ、じつは、気になることがあるのだが。

しかし、書き始めると、時間が足りない。
制限のない、お休みの日や、夜中と違い、平日データイムは、辛い。
温度が上がるのに時間がかかるスロースターターなので、助走に、時間を全部使ってしまった。
人生、こういうことの繰り返し。


中途半端ながら、今日はおしまいです。

天気でいえば、今日のブログは曇り。


にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村人気ブログランキングへ







目減り人生

2013-10-14 | 人生
突然ですが・・・

娘相手に、必死で口に泡を飛ばして力説しても、
彼女は、まったく無視状態で、スマートフォンを見ている。

なので、しかたないから、パソコンのキーボードに、思いをぶちまけることにする。
これって、コミュニケーション能力がないことを露呈。

ま、いいんです。



で、わたしが、しゃかりきになって言いたいことは・・・
これこれしかじか、いろいろ身近な人々に、あれこれ出来事があって、
・・・
自分のアタマの中でのマトメ、結論、総論、が、出来上がった。


一番大事なのは、健康。
二番目は、お金と人間関係。

本当は、二番目と、三番目を分けたいのだが、同順番付。


健康を害したときに、どうなるか?
まわりの反応。
人間関係に恵まれている場合と、そうでない場合。
お金がたっぷりある場合と、そうでない場合。


選択肢があるということ自体が、恵まれていると考えていい。
どれもない人もいる。
へんに選択できるから、へんな迷いや、欲がからむ。

争いはしたくない。
平和に仲良く、生きていきたい。
だれだって、そう願っているだろう。

究極のギリギリのところになれば、牙をむき合うのかも知れないが、
そういう事態は、避けたい。
なので、できる限り、自分が可能である限り、協力したいと思っている。
力になりたいと思っている。
非力ながら。

自分のできる範囲、役に立つこと、得意分野で、協力していけたらいい。

・・・

健康は、老化とともに低下するもの。目減りするもの。
そういう意識がないと、ただただ嘆くだけになる。
自分がその状態になれば、
ありえないほど、周りの迷惑も顧みず、うるさくのたうちまわって、嘆きまわっているかも知れないが。

人間関係も、お金も、手をかけないと、目減りするもの。
放置していると、草ぼーぼー。
金利より、物価上昇率のほうが、高い。
守らなければいけない。

健康も、お金、人間関係も、努力して、維持しなければ、目減りする一方。
が、自分は完璧に立ち回れるかというと、そんなことはない。
確実にどれも、減っていっていることだろう。

目減り分を補充するには、まず、健康、お金、人間関係の積み立て貯蓄をしなければならない。
少しずつ、日々、心がけても、目減りはするだろう。
減った分、なにが残るか。
充実した日々、思い出の人生が残る。


では、充実しない、苦労の連続の場合、なにが楽しくて生きている?
毎日、とりあえず生きていけて感謝、ってことだろう。
明日は、今日より良くなると信じたくても、信じられない、としても、
なんらかの力を借りてでも、信じる。(お酒や薬は、避けたいが。宗教は、アリかも)

たとえ、そんなにまで不幸でなくても、毎日暮らしていることで、持ち点数が目減りしていても。
人生のカウントダウンは、もう始まっている。
ある時期を過ぎると、カウントダウンに変わる。


子供や孫に夢や楽しみを託すこともあるだろう。
自分自体が、なにかを生み出せることは、ピークを過ぎている。
目減りしていくものと向かい合いながら、カウントダウンを続ける毎日なのだ。

ただ、自覚していない人にとっては、
ある日、突然訪れる不幸に、こころの準備ができていない。
といいつつ、わたしだって、自信がない。
ただ、緩やかに下降していること、それだけは事実として、認識している。
下降は止めようがないが、速度や下降幅をスローダウンさせる努力をすることで、
たとえ結果に結びつかなくても、自らが救われる。

あるいは、へんに努力しなくても、下降に身を任せるのもいい。


・・・・・

わたしは、私的生活において、中間管理職である。
上には、まだ現役の母親たち、同僚として、夫や、きょうだいたち、
下には、子供、その配偶者、さらに孫、
同業他社として、母親たちのきょうだい、親族、きょうだいたちの親族、
子供の配偶者の親族、子供の友人たちの親族、・・・
似たような状況、パターンとして、参考例がいっぱい。

異業種交流として、他の、わたしと関わりのある方々。
あるいは、関わりはないが、一方的に見聞きする人々。

いろんな例を見ることができる。

少し前も、わたしは中間管理職だったが、その時は、上と下にはさまれたサンドイッチの具、
今は、4世代の中の、上から二番目、下から三番目の、課長から部長さんにちょっと昇格した。
だが、同じ会社の他の部の課長さんやら部長さんやら、グループ会社の傘下にある会社の社長さんやら、
微妙な人々の顔が見え隠れし、自分だけの判断で暴走できない。

代々の社長の社訓らしきものもある。
今の社長の前に、先代社長がいて、その先代にかわいがられ、仕込まれた。
その先代社長もまた、その前の社長に仕えた。
その社長もまた・・・・・。

と、代々、上に仕え、下を仕込み、・・・上から抑えられ、下から突っつかれ、
おそらく、苦難の日々を送ってきたことだろう。
そうやって、どうにかこうにか倒れずにバトンタッチまで持ちこたえ、社訓のようなものを残したのだろう。


以下は、実際の本当の会社の話だが、
ある会社は、社長みずからが、社員のだれよりも早く出社し、トイレ掃除をするという。
それは、その時代では、素晴らしい立派な、お手本となる社長であるが、
(モーレツ・ワンマン社長である場合が多い)
今の世代の若い社員には、引くものがあるようだ。
そういう社風は、嫌だと。

それぞれの世代が生きる時代の波、時代背景が、それぞれにある。
微妙な違い、あるいは、歴然たる違いを無理やり押し付けるのではなく、
時代に応じたやり方で、マインドを伝えるのは、難しい。
が、努力、気遣い、配慮、知恵で、少しは伝わるよう頑張る。

北風と太陽、アメとムチ、義務と権利、放任と過保護、クールと溺愛。
その、さじ加減、バランス、方法が、微妙である。

・・・・・

デキがよかろうが、悪かろうが、ところてん方式で、わたしは、孫の出現で、ひとつ上に昇格してしまった。
しかも、頼りにしている社長(老親)は、老化で弱気。(でも権力は手放さない)
部下(子供)は、現場の仕事に追われ、余裕なし。
新入社員(孫)は、ピカピカ、職歴ゼロ、即戦力ゼロ。養成に時間とお金、労力が必要。

このカワイイ新入社員の出現により、部下は、意識を新たにする部分もあり、頼もしい。
いやはや、わたしはエスカレーター式昇進とはいえ、なかなか複雑な心境である。

自分は社長の座に就いたら、即、部下を社長に抜擢、繰り上げようと企んでいる。
わたしは、人の上に立つ器ではない。
ましてや、指導など、できそうもない。
下から、やいやい、ぶーぶー言うのが、とても性(しょう)に合っている。



にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村人気ブログランキングへ











サル回帰

2013-10-13 | 思い出
ここのところ、親や、その周辺のことが書きたくて、うずうずしている。
なぜなんだろう?

ま、なんでもいい。

えっと~・・・

まず、祖父、祖母の思い出。
(読みたくもないでしょうけれど、書きたいので、書く)

田舎暮らし。
祖母は、自宅菜園で野菜を作り、毎日、それを採取して食卓に。
わたしは、子供で成長盛り。食べたいものは、野菜なんかじゃなかった。
が、毎日、毎日、野菜ばかり。
特に、菜っ葉の煮物、何かしら野菜の入った味噌汁。
来る日も、来る日もそれ。
よくまあ、飽きなかったことだ。(作り手は)
食べ手(わたし)は、うんざりだけど、残したりしても、他に食べるものもないので、完食していた。
時には、コロッケを作ってくれたりして、それは大好物だった。
井戸で冷やしたスイカも、みんなでワイワイ食べた。

母は、京都風の和食、薄味好みだったが、子供のわたしには、まったく、つまらない料理だった。
今のわたしは、ちょうど、そういうあっさり上品なテイストを好むが、
幼児や小学生には、ちょっと・・・好まれない。
というか、母は仕事で忙しかったので、ほとんど、祖母の作ったものを食べていた。
明治の女性、口数の少ない、おとなしくて忍耐強い祖母だった。


祖父。
晩年は、臥していた。
体が半身麻痺して動かず、祖母が世話をしていた。
わたしが、祖父の部屋に行くと、袋入りのお菓子を動くほうの手を使い、
不自由ながら、袋の口を切って、お菓子をくれた。
お菓子欲しさに、祖父の部屋にちょくちょく行ったように思う。

祖父のお葬式の日のことは、はっきり覚えている。
わたしは、3歳半だったが、
大勢の大人が集まって、いつもの雰囲気とは違っていたことだろう。
姉と、祖父の顔にかけられた、白い布をそっとめくったりして、いたずらして、はしゃいでいた。
人が亡くなるという意味は、まったくわかっていなかった。


うんと昔、今は中庭になっている、当時、井戸の近く、道具棚のある場所で、
わたしの目の前で鶏をきゅっと締めて、その日は食卓にご馳走が並んだ。
きゅっと締めたのは、祖父だったのか?
(父は、そういうことをしない)
そうすると、祖父がまだ臥していない元気な頃は、臥している時期よりさらに、さかのぼり、
祖父が亡くなった当時、3歳半だったわたしは、それよりももっと年かさの行かない年齢の記憶ということになる。
いくらなんでも、そんな小さい年齢で、覚えているはずがないと思うのだが、
なぜか、わたしには、鶏と祖父の残像が、どこかに残っている。

はたまた、記憶違いか・・・?
あの鶏をきゅっと締めた大人の男性は、誰だったのか?
やはり、祖父・・・??? いや、そんなはずは・・・??

・・・

田舎暮らしは、のどかだ。
四季折々、草花に囲まれ、自然と親しんで育った。
おままごとの、ご飯作りの材料には、ことかかなかった。
花びらのふりかけが、得意料理。
だから、今も、得意料理は、ふりかけごはん。(→うそ)

お花で、色染めや、あぶり出しをしたりして、遊んだ。
わたしの、のんびりものの原点は、この、のほほん田舎にあるのかも知れない。

祖父や祖母、両親、きょうだい、そして同居している人、大勢の人と暮らしていた。
その中で、わたしは、いちばん年齢が低かった。

祖父が寝ていた部屋、わたしが祖父にお菓子をもらっていた部屋は、今は母の寝室になっている。
廊下をわたって、トイレ(男性用、男女用)だったところは、今は、浴室・洗面所、トイレになっている。
前、お風呂だったところは、今はダイニングキッチンの一部になっている。

祖母が毎日、朝夕、玄関をふき掃除していたところは、今は少し形を変えて玄関を上がったスペースになっている。
3分の1ぐらい、リフォームをして形が変わっているが、昔のままのところもたくさんあり、
ひとつひとつ、その場に立つと、当時が思い出され、とても懐かしい。


と、こんなハナシ、おもしろくもなんともないだろうけれど。

幼稚園に上がるまでは、わたしは街には身を置くことがなかったが、
5歳から、のどかな田舎から、のどかな地方都市に通うことになる。
どっちみち、のどかである。
だから、こんなに、のんびり育ってしまったのだ。
のんびり屋さんは、その後、シャープな人々の中で、揉まれてしまうことになるのだが。
少なくとも、のんびり田園生活を送っていた、幼少の頃は、ひねくれてなかった。
それ以後のわたしは、二極に分離、同時進行することなる。


人生は、時計の逆回り。
ピークを過ぎると、また、元のところに帰る。
定年後、田舎暮らしをしたがる人や、故郷に帰る人も少なくない。
配偶者は、それまでの人間関係を切ってまで、相手についていくかどうか、
それぞれの夫婦の形があるだろう。

幼少時はともかく、若い頃は、わたしは、あんなに田舎を嫌がっていたのに、
今、なぜか見直しの時期にきている。
年をとったということだ。
原点回帰か。
でも、わたしの場合、二重・同時内包の原点である。

死ぬ頃に近づくと、何重にもなっていたピントが、ぴたっと合い、ひとつになることだろう。
サルが人間に進化していく過程の、逆をたどることだろう。




にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村人気ブログランキングへ








血が邪魔、親と子。

2013-10-12 | 人生
愛情の反対は、無視、だそうだ。
愛情の裏返しは、憎悪。
憎悪は、恨みにも変わり、数々の悲劇を生み出す。

・・・

で、わたしは、どうしても、親のことを書きたいわけだが、
親がいる反面、自分も親である。
自分の親を悪く言うとすると、じゃあ、自分はどうなの?となり、
あ、わたしのほうが、もっとダメだ、なんてことになる。
非難をするつもりが、刃がブーメランになって、自分に跳ね返ってくる。
やぶへび。
人に厳しく、自分に厳しく。あるいは、人に甘く、自分に甘く。
一方だけを良く言ったり、悪く言ったり、できない。
セットになっている。

あんなに嫌な親だったから、自分は、反面教師として学習し、良い親になる。
それはそれで素晴らしい。
あんなに最低の親に育てられたんだから、いい人間に育たなかった自分が、良い子育てができるわけがない。
だから、悪い親になっていても、当たり前だ。自分の親が悪い。
そういう考え方もできる。
人それぞれ、考え方、生き方、方向性は、個人の資質によるのでは?

親子は、だいたい似たような路線を踏襲するだろう。
遺伝子や環境が同じようなものだから、そうそう、大きく変わることはないと思われる。
(ただし、時代の変化によって、どこの誰でもが、ライフスタイルや考え方など、変化している)
あるいは、時代の変化に対応でききれない親子もいるだろう。
時には、トンビが鷹を産むこともある。
逆もあるだろう。
例外もあって当然。

良い親に育てられて感謝する人は感謝すればいいし、
悪い親に育てられて嘆く人は、嘆けばいい。恨めばいい。
それで、自分が少しでも救われるなら、楽になるなら。

それぞれのコースをそれぞれに歩む。

途中でコース変更する場合もあるだろう。
編入ってやつ。
有名難関大学が最終学歴であっても、別の学校から編入している人もけっこういる。
大学院とか、すごく目を見張るようなスゴイところであっても、出身校は、そうでもない場合もある。
なにも、見栄えや、ミエをはって、聞こえのいい最終校を選んでいるのではないはず。
おそらく、自然にそうなっただけだろう。
(そういう方々のお話を伺うと、そう感じる)

見てくれよりも、内容重視。
中身の充実に努力していると、外側も変わってくる。
最初に外側からスタートし、あとで、中身を充実させる手もある。
順序はどっちにしても、最終的に、外側も中身も、充実できればそれでいい。

充実できなければ、少しでも充実に向かって努力するか、
あるいは、目標を変えるか、
あるいは、価値観を変える。
「すっぱいブドウ」と言われようがなんであろうが、自分を守ればいい。


自分を守る。
開き直る。
できないものは、できない。
これをしないと、自分が壊れる。

ただし、理想や目標は、たえず抱き続ける。
悪い方向に努力する意味はまったくないが、少しでも、いい方向に向かうよう、
なにかしら努力すると、自分が救われる。

停滞することも、意味がある。
一時期、マイナスに向かうことも、意味がある。
その後の、上昇に向けての助走、スタンバイ、充電期間だと捉えられる。
試行錯誤の一環である。


と、いうことで、悪いことは、良いことへの、助走期間。
いろいろ苦労して、自分の道を見つける。

自分は人間らしい親に育てられ、人間らしい親になっていると思う。
良いとか、悪いとか、そういうくくり、判定、基準ではなく。
感情的になったり、自己ちゅーになったり、抑圧的だったり、制約を加えたり、
上下関係の絶対的権力にあぐらをかいたり、理性を失うこともあるだろうし、
悪い影響を与えることもあっただろう。
自分は正しいと信じていることが、一番正しくなかったりして。
これは、子供のために。あなたのためなのよ、と。
自分では気づかないということが、一番、こわい。

そういうCM「あなたのタメだから」というのが、あった。
あれは、なかなかインパクトのあるCMだった。


価値観の押し付けは、やがて、子供が成長すると、親とは違う、自分の価値観を築く。
影響を受ける価値観も大いにある。
いつまでも、親子がべったり、一卵性双生児みたいに仲良し、っていうのも、
お互いが、なさすぎるのかも。
お互いに核を持ち、仲良し、が理想だけれど、血のせいで、近寄りすぎて、遠慮がなさすぎて、
適度な距離が保てず、うまくいかないこともある。

・・・・

なんだか、だらだらと結果、結論からどんどん遠くなるばかり。
つまり、難しいということだ。

・・・なあんて、適当なまとめをしようとしている、わたし。
用事スタートの時間が迫っているから・・・などと、またまた、いつもの、へりくつを。
わたしの常套手段である。

では、途中で、ブログ放置。
逃げます。





にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村人気ブログランキングへ









卒業

2013-10-11 | 日々のこと
バタバタしていたら、こんなに深夜に。
ブログは朝に書くのが信条だったのだが、いましばらく、イレギュラーで。

深夜に書くと、ろくなことがない。
時間に制限がないし、皆、たいがい寝静まっている時間だから、闇の時間と言える。

睡眠不足になると、明日の活動にも差し障ってはいけないし。

なら、明日の朝、書けば?なのだが。

と、どうでもいいダラダラの前置き。
これは、まったく意味がない。


で、ここから、気合を入れて書き始めよう・・・。

パリのハナシは、皆さん、お好きではなさそう。
かといって、旅ブログでは、出歩いている内容がお粗末すぎて、これまた読み応えがないようす。
つまり、どっちつかず、ということだ。

ここしばらくは、パリネタは、やめることにする。
読んでいただくには、ぜったいに、おもしろくないからだ。

しかし、そう言っておきながら、かなり影響を受けた。

フランスには、無職の女性という人が、ほとんどいないようだ。(働ける年齢の場合)
専業主婦というコトバは、50年前に消滅したとか。
働いていない女性というのは、おそらく失業している状態なのだろう。
それは、男性であっても同じだが。

なので、結婚観もまったく違う。
男性の経済力をあてにしない。
稼ぎのいい夫を持つ妻も、仕事をしているそうだ。
何度も、結婚、離婚を繰り返す男女が、少なくない。
当然、その一方で、離婚しない夫婦もいるが。

日本でも、優秀で、有名な一流企業に勤めていたり、公務員だったりしても、
一人だけの給料では、子供を生み育て、生活しづらい、ということで、
夫婦共稼ぎをしている夫婦が、少なくない。

しかし、子供ができると、マタニティハラスメントがあり、なかなかいまだに、厳しい現状のようだ。
一度、退職すると、復帰するのが困難になる。
それは、女性だけでもないのだろうけれど、特に女性の場合は顕著だ。

・・・

わたしの目線は、けっこう厳しいので、あまり自分の見方を書くのもどうかと思われる。
筆が鈍る。。。。

世の中、広い目で見るべきである。
誰からも突付かれることのないように細心の注意を払う。
しかし、それじゃあ、書き手は面白くない。
建前ばかりの政治家や、キレイごとに始終する、学校の先生のようになる。
独断と偏見、押し付け、自分流ゆがんだ見方があってこそ、書いていて楽しい。


しかし・・・もう、やめた。
卒業。


夜中なのに、粘りがない。
明日を考える、もう若くない、先の短いわたしなのだ。

究極の自己ちゅーは、他人のことなど、どうでもよく、
自分のささやかな幸せのみに、固執する。
自分が楽しく過ごせるための方法を、力の限り考える。
そのためには、自分だけではなく、ごく限られた、自分のまわりの人々の幸せも考える。
最小限度、自分ができることだけしかしない。
無理をして頑張らない。
でも、そっぽを向かれないように自分なりに頑張る。
一人では生きていけないから。

それが、わたしの、個人的幸せへの最短方法だ。
世界を救えるほどの愛をわたしは、持ち合わせていないし、そんな能力もない。

人に、のしかかるのも、のしかかられるのも、重いが、
ほどほどに、おんぶしたり、されたり、甘えたり、甘えられたり、
協力や、助け合いって、大事だ。


にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村人気ブログランキングへ













なんとも、かんとも

2013-10-10 | 日々のこと
今朝は、なかなか起き上がれなかった。
昨日は雨につき、山のような洗濯物を洗濯できなかったが、
今日は、暑いぐらいのお天気なので、早く早く・・・と思いつつ・・・
起き上がれなかった。

まあ、やっとこさ、起き上がって、洗濯機を2回しているところ。

パリのアパルトマンは、洗濯物を外に干してはいけないのだが、
大きなシーツとか、どうするのだろう?
コインランドリーのようなところも街中にあったが。
サンサンお日様に、大きく広げて外に干したいと思うのは、わたしが田舎モノだからだろう。


さて、久しぶりに、ご近所みなさまのブログをちょろっと回ってきた。
えらいことになっていた。

わたしは、お気楽にパリで引きこもり生活を楽しんでいたが、
その間に、親御さんを亡くされた方や、ご両親について、いろいろな感情をお持ちの方などなど、
わたしのお気楽ぶりが、申し訳ないような、
新たなる展開が繰り広げられていた。

ぜったいに、外の人にはわからないこと、という内容の、
親に対する憎悪は、やはり、申し訳ないが、わたしにはわからない。
あるのは、感謝。
キライなところもあるが、人間だもの。いろいろある。
おそらく、「おめでたい、あんたなんかにゃ、わかるまい」と、失望されることだろう。

人それぞれなので、こればかりは、「お互い、それそれが、皆、違う」と、違いを認めるしかない。


足が痛いだの、体のあちこちが痛いだの、
最近、やっと年寄りらしくなった、老母ふたり(義母、実母)を抱えている。
と言っても彼女たちは、今のところ、自立した生活を送っている。
抱えているというよりは、いざというときは、介護助っ人となる、スタンバイ要員である。

体が弱ってこそ、はじめて、気力が衰えてくる。
やる気はあるのに、体が動かないジレンマ。
バリバリやってきた人は、情けなさも、なおさら。
一歳ぐらいの赤ん坊も、やりたい気持ちがあるのに、体が動かなくて、いらいらして、ぎゃんぎゃん泣く。
(8ヶ月の赤ん坊は、できないくせにやろうとして、ひっくり返ったり、ぶつけたりして、泣く)
ちょうど時計が逆回り。

年を重ねる推移、放物線?を描くように、スタートし、終了する。


ちなみに、親から受けた恩恵、感謝の念は、自分が未熟な分、ちょっと目減りしているかも知れないが、
カサが減っても、子供に受け渡ししようと思う。
子供たちが言うには、受け渡してほしくないものも、多々あるそうだが。

さらに、ちなみに、

男性は、奥さんより早く亡くなるケースが、とても多い。
つまり、未亡人が20年近く残される。
奥さんは、最初、悲しみに暮れるが、1年もすると、元気を取り戻し、イキイキしてくる。
これは、抑圧されている奥さんの場合。
本当は、2人、ともに元気で仲良く暮らすのが一番いい。

男性は、奥さんより早く亡くなって、人生の、幕引きの旬の頃に、この世とサヨナラするように思う。
奥さんは、うるさい夫がいなくなって、身も、こころも、(お金も)、自由になり、
しばらくは、自由時間の余生を楽しんで、その後、そろそろ、わたしも旬かなあ・・・という時期に、
うまく幕を引けたら万歳だが、なかなか、そううまくいかない。

人生の幕引きは、非常に難しい。

自分の親は、男親たちは、じつに、上手に幕を引いて去っていった。
残された、女親たちは、さて、これからどうなっていくのだろう。
覚悟は、しているのだが、経験がないので、なんともかんとも、いまはピンと来ない。
しかし絶対に通る道であって、避けられないことだけは、確かだ。




にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村人気ブログランキングへ








なつかしの、アナタ。

2013-10-09 | 日々のこと
帰国しました。
ああ、忙しや。

ブログ、なんで疲れてまで書くのか、意味不明。
でも、更新。

最近は、ブログも、ごくごく当たり前になってきていて、
やる人は、やり、やらない人は、やならくて、
「ブログやってます」と言ったところで、「あ、そ」で終わってしまう。

なので、世間の流れやら、波やら、風潮やら、流行やら、聞こえやら、ウケやら、
そんなものにこだわっていては、まったく、ブログなんぞ、恥ずかしくてできやしない。


同じ商品でも、宣伝の仕方や、売っている店、売り方、店員さん、ディスプレイの仕方で、
良くも悪くも見えるように、
まったく同じことを綴っているブログでも、アクセス数がまったく違う。
これは、わたしの他のブログ、半分放置しているも同然の旅ブログである。

アクセス数が少ないと、なぜが、やる気が一気にダウンする。
モチベーション、がた落ち。

とあるブログは、とてもおもしろく興味深いブログなのに、
アクセス数の伸びないと嘆いておられるブロガーさんがおられる。
アクセスのカウントの仕方だとか、ブログを提供してくれているところのシステムや仕様だとかで、
変わってくるんじゃないだろうか。


劇的にアクセス数の多い、ものすごくおもしろいブログを前に見つけたが、
結局、見つけた日に読んだだけにとどまってしまった。
なぜだろう?
(他にも理解に苦しむほどアクセス数の多いブログ軍団があるが、
あくまでも、そっと遠くから静観している)


お気に入りのブログにするかどうかは、自分との距離感だと思う。
自分は、100万分の1、あるいは、10万分の1の読者だと、
いくら大人気であっても、双方向感覚が薄すぎて、あまり、一生懸命に行く気がしない。
それなら、もっと、ニュースや論説、専門家の専門記事、アンケート調査や世論調査など、
そっちを読む。
感情がなくて、からりと読みやすい。
あるいは、アクセス数が多くても、近寄らないほうが自分にはよさそうな予感のするものには、近寄らない。
相思相愛の逆、お互いに興味がなく、無関係で、ちょうどいい。


いくつか読むと、
自分は、どんな意見か、どう感じるかという、バロメーターのようなものを発見、感じることができる。
感情移入すると、ろくなことはないので、わたしの場合、いたって、クールに読む。


と、旅から帰って、非常にドタバタし、
明日も今週も来週も、今月は目いっぱいドタバタ必至のなかで、
なんでまた、ブログを更新しているのか、自分でもナゾだ。
特に、今回は、魔の夜中。

おそらく、自宅パソコンのキーボードのすべり具合を確認したかったのだと思う。
時代遅れのブロガーである自分は、もはや、ブログではしゃぐこともないだろうが、
でも、キーボードは、静かにわたしの命令に応じて、文字を画面に打ち出してくれる。
かわいい、やっちゃ。


パリの洗剤が合わなかったのか、気候が合わなかったのか、水が合わなかったのか、
よくわからないが、あちこち、足やら手の指やらに、ひび割れが起きている。

軽く風邪らしきものはひいたようだが、お腹を壊したり、体調不良にはならなかった。
東南アジアでは、アレルギーだの、下痢だの、強烈なウィルスみたいなのだのをもらってきたが、
ヨーロッパでは、今のところ、わたしの体調には非常に適合している。
ひょっとして、わたしのご先祖様は、ヨーロッパから流れてきた??

ありえない・・・
この、細い目、ぺちゃっとした顔、・・・
体型は、手足が長い、西洋のおばあさん型、洋梨タイプなので、やや西洋人系ではあるようだが。

ま、そんなことは、どうでもいいが、
家のパソコン、ちょっと仕様が変わったようで、
まあ、ちょこちょこ、めんどくさいことをちまっと入力したりすると、もとのようになった。
誰が、触った???


と、まったく、ひとりごとをつらつら夜中に書いているのも、いかがなるものかと。
明日からの日本、正確には、今朝からの日本で、
また、ひとふんばりも、ふたふんばりもしなければならない。

帰ってきた第一印象は、「部屋が埃っぽい、掃除が行き届いていない」だった。
「すっかり、こころを入れ替えたので、掃除、頑張りますっっ!!」と、家族に宣言したものの、
その舌の乾かぬうちに、また、だらだらしてしまうような悪い予感・・・。


いや、わたしは、生まれ変わったのだ。(ほんまかいな?)
とにかく、とりあえず、頑張るのだ。


あ、ちなみに、題名の「アナタ」は、我が家のパソコンのことです。


にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村人気ブログランキングへ


ブログ、やめようかな、と、ふと。

2013-10-07 | リアル パリ
前回訪れたパリのブログ記事よりも、今回のほうが、断然、アクセス数がガタ落ちだ。
というか、日によって、アクセスのアップダウンが著しい。
面白くないんだろう。
いつものボヤキは読めても、旅、しかも、一般の人はあまり興味のない路線。
第一、旅とは言いがたい。
受け入れる気にはなれないのだろう。
共鳴、賛同の外側。
なんとなく、わからないでもない。

数字は正直かも知れない。

第一、パリって?
私の年齢と合わない。不適合。しっくりこない。
パリひとり旅なんて、ごろっごろっといる。平凡すぎて、恥ずかしくて、人に言えない。
堂々とブログに恥ずかしげもなく、凡庸さを露呈、表しているが。
人間は矛盾する生きものなので、それはそれでよい。はい。開き直りも大事。

しかも、「パリひとり旅」とはしゃぐのは、大概は若い女性。娘世代。
わたしは、若い頃、果たせなかった夢を今、実現しようとしているのか?

違う。
別にそんな夢を抱いていたわけではない。
たいして興味もなかった。
(ひとり旅の初心者コースには最適かと、パリを選んだ経緯がある)


この年になって、なにを今ごろ、いまさら、何を?
もうとっくに、消化して、はい、次、行きましょう!という、爽やか世代のはず。
青臭くて、甘っちょろけて、自分でも気持ち悪い。
いい年して、みっともない。
さらっと、カッコよく、風に吹かれて、みたいなほうが、さっぱりして、あっさりして、薄味でいい。


ワンレン、ボデコン、肩パットがドカンと入った、アメリカンフットボールのユニフォームみたいな、
あるいは、聖子ちゃんカット(聖子ちゃん自身が、今はロングヘアなのに)
時代が過ぎているのに、まだ自分の立っている位置は止まっているような。

というか、ブログ、やめようかしら。
ふと、そういう気になった。


いや、ブログは自分を見つめるために書いている。自分のために書いている。
究極の自己ちゅーツールである。
ブログに振り回されるのは、本末転倒。
そして、ブログと、わたしは、一体化している部分はあるが、決してすべてではない。
わたし>ブログ
であり、
わたし=ブログ
ではない。

ある、数名の具体的な人以外は、どなたが読んでおられるのかもわからない。
実に不安定な、実態のつかみきれないものである。
会社員にとっての、組織みたいなもの?
具体的な実体としての会社から離れて、ひとり歩きしている感がある。


いつもブログは朝に書くが、パリでもそうしている。
ただ、今日は、パッキングで夜更かししているので、これを書いているは夜中だ。
とは言うものの、日本からのメールを今、やりとりしたばかりだが。
日本では、今は朝なので。

で、今、ラジオでジャズを聴きながら、夜中にブログを書いているわけだが、
夜に書くとどうしても、暗くなる傾向がある。
できればやはり、朝が望ましいと思う次第、、、、であります。


さよなら、パリ。
ありがとう。


エッフェル塔の、ま近での、夜のダイアモンド・チカチカきらきらは、見れなくて心残りだけれど。
今度の楽しみにつなげよう。
(エッフェル塔のま近に滞在するかは、まるで未定だけど)