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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

いつもの日々

2020-05-29 | ブログ
蝶ブログ、案の定、しゅるしゅると閲覧数が順調に落ちている。
わたしの予想通り。
コロナ禍景気、特需だったようだ。
こういうことは長年ブログをやっているとよくある。
ここのところの閲覧数が自分で驚くほど多かったため、世の中の動きがこんなちっぽけな、なんの影響力も特徴もない極小ブログにも降りかかっている。
風が吹けば桶屋が儲かる、、、といっても、わたしは儲かったという気分ではなかったが。

自分らしい、なんの役にも立たないくだらないグダグダを、ごくごく一部のコアな人だけに読んでいただけたらそれでいいと思っている。
コロナ禍ステイホームで暇を持て余している人々が家に籠り溢れかえっていたのだろう。
ブログでも何でも手当たり次第手を伸ばし、こんな人がいるんだな〜と通りすがりに読んでくれただけの人が一時期、数が増えたという、とてもわかりやすい流れ。
それはそれで一期一会の貴重なご縁。
スリムになって肩の力を抜いて細々やっていきたい。

そもそもわたしは、あまり人に見られたり注目を集めるのは限りなく居心地が良くない。
人知れず好きなようにやりたい。
だがある意味、自意識過剰の裏返しだと深層心理を分析する。
かまってほしい子供が、素直に訴えられず、ひとりでできるもん!と健気を装う図に似ている?
んー、ちょっと違う、、、かも。

たった一人だけで、誰の意識の中にも置かれず世の中に存在するのは、とても辛いことだと思う。
孤独にもいろいろある。
わたしは単なる非社交家なだけで、社交を怠るとその副作用で人も離れ、寂しいという結果がもれなく付いてくる。
嫌なら社交したり、努力すればよいわけで。
寂しいかというと、強がりや負け惜しみと感じられるかも知れないが、わたしは多くの人々とシェアしたいとは望んでいない。
エッセンスを薄く広く伸ばし軽くすると多くの人々と繋がることが出来る。
あるいは、接点を増やすため、いくつも特徴、分野を持つとか。

偉大な人なら持っているエッセンスも濃く大量にあるから大人数でシェアできる。
わたしのような微力な人間は元々の量が少ないので、多くの人を惹きつけることは決してない。
わたしはそれでなんの不満もない。
当たり前のことを当たり前に納得するだけだ。
逆に等身大以上のブーム的現象は気が落ち着かない。
一過性。
人は移り気なものだから。

というわけで、コロナ自粛も徐々に解放され、人々の気持ちも外に向く。
カメラモードをオフにして、わたしはメークを落としてホームウエアで寛ぎながらブログが書ける。
とかなんとか言いながら、閲覧数ガタ落ちの自分を慰めている。
相変わらず、可愛げがない。

来週から保育所、さらに学校も再開のよう。
チビッコたちが大人しくケーブルテレビや番組録画を見ているあいだに、チビッコの布団を干して、ブログ更新が出来てやれやれ。
小学2年孫Aが、番組の合間合間にキャンディを欲しがり、スマホブログ更新中のわたしのところにやって来る。
「ミルキーはママの味〜♫」と子供の頃のCMで耳にしたフレーズをわたしが口ずさむと、Aは、「違うで、牛の味やで」という。
なるほど、その通り、牛のお乳。
「人間も赤ちゃんを育てるお乳が出るんよ」と、真面目に説明したが、
もう小学生にもなると、ママの味じゃないんだ、と妙に感心した。
が、ママであろうが、牛であろうが、ダラダラと与えるわけにはいかないので、計画表を書いた。
時間割。
それと同時に算数の計算を二個したらキャンディをあげることにした。
あらまあ、正解率の低さったら。
飴、あげられないなあ。
欲しがるA、あげられないわたし。
ミニバトル。
バトルはどこにも落ちている。
バトルを気にしながら、時間に追われながら、ブログと向かうのも、何の必要性もないのに、、、
ブログ病である。

しかし、目に見えないもの(閲覧数)に振り回されるのは、コロナウイルスと同じだ。
て、内容はイマイチだが。

ブログ。また明日の自分に期待しよう!
て、いつもこれ。