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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

まとまらず止まらない、、、

2020-05-10 | わたし
ミュンヘン・ブログ、今朝読んで、感想を書きたくて書きたくて。
だが、午後から雨が降るらしいし、ちびっ子が来るので午前中に食材買い出しウォーキングに行った。
ぺこぺこお腹も満たして、さあ、やれやれ、今から書くゾ〜と前のめりになっていた矢先、意外に早い夫の帰宅で、思いっきりガッカリした。
出鼻を挫かれかれ、失意のどん底。
早朝出かけて昼すぎに帰ってきただけでこんなに妻に失望されるのも気の毒だが、本当のことだから仕方ない。
嘘を書いても良いのだが、上司に提出する書類でもないし、熱烈に愛する恋人へのラブレターでもない、自分の好き勝手な自由ブログなので、ホンネを書いて、小さなスッキリを得る。

と、これは序章。 
それに加えて、もうすぐちびっ子たちが来るという中で、ちゃっちゃとブログ更新を終えねばならない。て、誰もそんな規則を設けたわけではないが。

しかも、かなりシリアスな、深いテーマ。
短い時間で書けるかなあ、、、
昨日も、ミュンヘン・ブログにお題ヒントをいただき、書きかけたまま放置している。

さて、本題。
相変わらず、長い前書き。

熱烈に熱を入れあげていたことが、一瞬のうちに冷める時について。
恋はその例にはピッタリだ。
百年の恋も醒める。
恋に限定せず、映画だったり、好きなもの、コトだったり、、、。
もちろん、恋ではなくても、人として、幻滅したりする瞬間があるだろう。
あんなにヒートアップしていたのは、何?
あるキッカケで、嫌な面が露呈され、しかも自分にとっては取るに足らぬことではなく許せないことだと、、、。

わたしなら、距離を置く。
一旦、離れる。
底の底まで沈むまで、その人の人物像を落とす。
二度と浮上しないこともあるが、相手も変わり、自分も変わることがある。
それでもダメなものはダメ。
縁がないことが、早くわかってよかったではないか。
何年も付き合ったり、引きずっていたら、マイナスな月日を元に戻すのに同じ年月がかかる。
ものは、捉えようでどうにでも解釈できる。

人はまあ、そんなかんじで(ほんの、さわりしか言っていないが、なにしろちびっ子の顔がチラついている)
好きなコトが突然嫌いになるには理由がある。
嫌な目に遭ったとか、自分が不利な状況に置かれたとか、正当なジャッジがされないとか、インチキくさくて白けた、続けたくても続けられない外的要因に影響を受ける。

だが、小学2年の上孫Aを見ていると、今の今まできゃあきゃあいって興奮して遊んでいたのに、急に止めようと言い出す。
なんで?と聞くと、「飽きた」という。
たぶん、言葉足らずで、彼の心情をすべて正確に表していないと思う。
子供と大人は違うが、そういう、「飽きた」に近いものがあるのではないだろうか。
エネルギーを燃やし続けるパワーがなくなると、飽きるのでは?
自分のパッションや能力にも限界を感じたとか。
無意識のうちに飽きるキッカケを求めているのかも知れない。
張り詰めた糸が切れるキッカケがないと延々と好きになり続けるが、その一方で満足を満たす基準はどんどん上がっていく。
理想は上昇するばかり。
裏切られるその日まで。
たいがいは、それを「飽きた」という概念に自分ですり替えるのかも知れない。

永遠に飽きないこともあるだろう。
多少の強弱はあるかも知れないけど。
途中で一度や二度は、嫌になることもあるだろう。スランプ時期がある。
でもまた復活。
よほどの外的要因でもない限り好きであり続けるはず。
て、飽きたり、飽きなかったり、、、話が矛盾している、、、


ちなみに、「亀なんて轢き殺されてもどうってことないだろ?」
これについて。
なんの罪もない亀が、人間の車道に迷い込んだ。
しかも渋滞するほどの道。
可哀想だから、「車を止めて」と頼むが断られる。
「この無慈悲なヤツめ!最低!」となる。
わたしが気になるのは、彼女を下ろしたまま、発車してしまった彼の行動だ。
そっちのほうが、ダメ。
車を止めるのは結構たいへんな状況だったかも知れないので、彼はキレたにしても、彼女を車道に置き去りは非常識だ。

それはそうと、罪のない亀を見殺しにするのは、最低人間なのか。
わたしは、甘い食品に群がる、罪のない蟻をキッチンで見かける度に潰す。
ゴキブリを見かけると、殺虫剤を思いっきり噴霧する。
自分の生活を脅かすものには正当防衛でやっつける。
人間サイドの目で見て、彼らは害虫と呼ばれる。
農産物を食い荒らす、畑に出没するイノシシも。
亀は、良いわけか、、、

亀や金魚はニュートラル。
ウナギやサンマは人間や生き物の食糧になる。
あえて意味もなく、食べるわけでもないのに殺すのは最低というわけか。
食べるなら良いということか。
可愛いウサギちゃんも、ちっちゃいエスカルゴも、食べるのならオッケーというわけか、、、。

「この人(亀)殺し!」
と、最低気分に落とされるのだが、助けて今夜、食べよう、というのはどうなのだろう?
残虐?
でも、その日の食事は、ミートコロッケだったりすると、それも牛殺しなんだけど。
露骨なステーキではなく、じゃがいもに紛れてわかりにくいから良いのか?
しかも、人の手でコロッケにしてもらっているだけで、自分の手は汚していない。

動物愛護の精神、宗教上の信条から動物は食べない主義もあるだろう。
ただ、宗教上、牛はダメで豚はオッケー、という線引きは、わたしには理解できない。
その宗教の信者ではないから無理だ。

矛盾を追求していたら、生きていけない。
完璧主義の人は、矛盾は矛盾として精神的には受け入れないが、実際の生活では受け入れざるを得ない。
人間は矛盾だらけの生きものだから。

仏教ではお坊さんは精進料理、植物なら良いのか?
(明治以前、日本は肉を食べなかったのでは?)
卵はダメ?
魚は?
日本食は、魚中心の薄味ローカロリー、ヘルシーフードが理想的な食文化として世界中に人気がある。
魚は良くて肉はダメ?
だから、何?

いろんな側面を次から次へとだらだら思いつくままに羅列する。
まとまるどころか、どんどん話が逸れていく。
 
はやく〆ないと永遠に終わらない。
そこで無理やりまとめる。
わたしの結論としては、人や物事には一長一短があり、表裏一体、矛盾のカタマリであるということ。
全ての分野を網羅しクリアする完璧なんて有り得ない。
一つでも良い所、自分との接点があれば良し。
追求すると必ず合わない所が出てくる。
追求しない。

良薬、口に苦し。
逆に、効き目の良い薬は身体に悪い。
逆ベクトルを同時に引っ張り合って成り立っている。
矛盾を紐解いても、何も残らないし、何の解決にもならない。

話がどんどん逸れて、文字数ばかりが膨らむ今回の記事は、斜め読みどころか、飛ばし読み、一気にスクロールがオススメです。
ゴメンなさい。
またまた大失敗。

さて、こんなの、アップする?