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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

年齢不詳

2020-05-18 | 日々のこと
gooのブログフォーマットには、お気に入りフォロー数、フォロワー数が冒頭に表されている。
わたしは、これを表に出ないよう、公にならないよう腐心したが(といっても、ちょこちょこっといじって、すぐ諦めた)上手くいかなかった。
なので、フォロー数とフォロワー数が記されている。

そもそも、わたしはこういうのは好きでない。
なので、この方法に抵抗の気持ちを込めて、あえてフォローをゼロにしている。
(更に、今、チェックしてみると蝶ブログに対してフォロー出来ないように、いつかに設定を変更しているようだ)
ワザとである。
本当はフォローしたい人々がいるが、フォローという形式上のかたちを取っていない。
毎日毎日、わたしが必ず訪れるgooブログもあるし、更新される度に見に行くブログもある。
なので、フォロー、フォロワーは、わたしにとっては何の意味もなさない。

フォロー、フォロワーの枠に入らない、自由に訪れるブログには、友人以上の親近感を持って拝読している。

ちなみに、、、
今日は、夕方から雨が降るらしいので、早めに買い出しウォーキングに行った。
同じくウォーキングしておられる皆さん、深めの帽子とマスクのため顔は全くわからないにもかかわらず、年齢がわかる。
街歩きの場合、ファッションから察することはあるが、近隣公園、緑道ウォーキングは、皆さん似たような格好。
年齢によるファッション差はない。
では何で年齢を推測するか。

身体。
身体能力と、身体(肉体)のかたち。
ブカブカの日除け上着を引っかけている人がほとんどなので、ウエストやバストなど皆目見当はつかない、、、が、身長はごまかせないのと同様に、おおまかな身体つきは隠せない。

ガリガリ、特に背中。
これはかなり高齢の方。
身体が真っ直ぐではない人、これは後期高齢者の方。
しゃかしゃか両腕を振って、颯爽と歩いている方がいたが、わたしは抜かされ、彼女は折り返し地点からUターンして出会った。
あらま。この人、わたしより15歳は上だ。たぶん。
わたしの推測はアテにならない。
90才以上の人だとだいたいわかるが、85歳ぐらいの人は、個人差がある。

で、思った。
わたしはいったい何歳に見えるだろう?
服装は100歳でもなんの違和感もない格好をしている。
ブカブカ・ダブダブのパンツ(ズボン)、体型が全くわからない長いオーバーブラウス、深くかぶった帽子、マスク、メガネ。
色彩は黒と、それに似た暗い色調。
ウォーキングの時はウォーキング用のアスリートのようなウエアをシャキッと着ている人もいるが、わたしはあえて真逆の格好をしている。
ファッションや外見における、禅の世界のようなもの。
「無」
その「無」が、マスクの下は暑くて蒸れてフガフガいいながら汗をかきかき歩いている。
何歳に見えるかなあ、、、
たぶん、歳相応に見えるか、20歳ぐらい上に見えるか、、、
少し、わたしは上背があり、(といっても今の子なら、こんなもの)、手足が長いから、エグザイルのメンバーがワザと「おばあさん」を装ったみたいな雰囲気もちょっとあるかも知れない。
どっちみち、おばあさんなわけで。

皆さんを見ていると、ある意味、温泉の浴場でご一緒する人達みたいに思える。
「すっぽり覆われた服装」と「裸体」とでは真逆なのに、なんだか共通点を見い出すようで不思議な面白さを感じる。

コロナ禍ウォーキングの場合、アイデンティティを表すものを身に纏わないで全員同じ制服を着ているようなものである。
さらに顔も見えない。
個体差は何で見極めるか?

買い出しウォーキング目的地の商業施設では、一人一人の顔が見え始める。
自分が住んでいる街の構成要員、近隣住民はこういう人々が多いのか、と、今まで気にしなかったものがはっきり見えるかのような感じ。
曜日や時間帯にもよるのだろうけれど。
なにしろ、平日の午前中に商業施設やスーパーには行ったことがなかったので。
同じ地域に住んでいても時間帯がズレると、がらりと顔を合わせる顔ぶれも変わる。
前にも当時「新発見だ!」と新鮮な驚きを感じたが、今更ながらまた再認識した。
ご年配のご夫婦が仲良く買い物やウォーキングをしている姿に、なんだか安堵した。

ウォーキングの行きは、違うテーマが頭に浮かんでいた。
でも、だらだら取るに足らない雑感を書き連ねていたら、文字数がそこそこ増えてしまった。
今から書くと、皆さん、きっと寝てしまうだろう、、、(わたしも、、、)