ミュンヘンのブログ、やっぱり素敵だ。
写真が大好き。理屈抜きで大好き。
今日は、そのブロガーさんが思い出を語っておられた。
その人らしいエピソード、一コマだった。
わたしが、漠然とうっすら感じるには、、、遠い遠い将来、日本に帰って来られるのではないかと想像した。
実家やご両親がいない日本。
宇宙に漂ってそのまま宇宙に居続け宇宙ステンーションが終の住処になっても別に何の問題もないが。
わたしも実家や両親に対する喪失感はある。
実際にはまだ実家もちゃんと整備、維持され、あるのだが。
母も生きているのだが。
わたしに新しい価値観を吹き込んだ嫁家も普通に今も実在し、姑も、生きているのだが。
ここ数年で、崩壊したように思う。
娘、息子たちも、普通にトラブルなく仲良く暮らしているが、完全に自立し、母船を離れていったと強く感じる。
ある日、突然、姿を変えたり、状況が変わるのではなく、徐々に少しずつ変化していく。
覚悟のようなものをしながら、行ったり来たりする。
衝撃的ではないが、じんわり、じっくり方向が変わって行く。
その間に肝が座るというか、諦めがつくというか、流れに身を任せて漂っている自分がいる。
おそらく、ミュンヘンのブロガーさんも、今、予想も出来ないだろうし、歳を重ねた時の予測も出来ないだろう。
その時になれば、少しずつ行く道に、すーっと導かれるだろう。
生まれる前、母の胎内にいる時から使っている自分の心臓。
成長すると共に大きく強くなり、歳を取るにつれ弱っていくだろう。
でも長年、実年齢プラス10ヶ月も自分と共に歩んだ心臓。
心臓だけではないが、心臓が例えとしてわかりやすい。
見かけや、こころ、頭脳は変わっても、自分の心臓は同じ。
ペースメーカーを埋め込んでいる人や、人の心臓を移植された人もいるが、その人は一生を共にする例えとしては、別の内臓か何かにしておこう。
(ちなみに、母の胎内に生命が宿った時、心臓の原形みたいなものは既に出来てるのだろうか?
わりと、いい加減な想像。
正確な検証は専門家にお任せします)
わたしも思い出を語れば、ブログネタにはまるで困らない。
読み手に、ああまたかと、うんざりされることを気にしなければ。
最近のわたしは、過去はさておき、将来に想いを馳せることがある。
わたしの将来など、あとは朽ちるだけなのだが、なんだか、安らいだ気持ちになる。
こんなコロナ禍のご時世で、すっとぼけたことを言う、眠たい人間だと思われるかも知れないが。
コロナが世界同時だったこと。
各国の状況、対応がそれぞれリアルタイムで伝わり、国の特徴が浮き彫りにされること。
安倍さんの舵取りに全面信頼して着いて行こうとしながらも、政府サイドの専門家の言っていることはどうもハッキリしたものを感じないこと。
大阪モデルの吉村府知事をはじめ、政府の脇から同時に数字で切り込み出口戦略を独自で表した自治体が次々現れたこと。
これまで経験したことがない事態、事象に取り組むと、瞬発力が試されると感じた。
蓄積された実績やデータが無いと、皆んな横並び、同時スタート。
よけいにそれぞれの特徴が明確に現れる。
経験ゼロからの対策。
(地震国だから、自然災害への事前対策は行われているようだが)
政治家に対して国民はどれだけ信頼できるか。
お国側の西村さんは、(地方は日頃は国を頼るくせに、、、大阪の出し抜的行為に)違和感を感じておられるようだが。
※()内は、わたし流解釈。
色んな良い所を合わせて、知恵を出し合ってくれたらいいけれど。
吉村府知事の発言を聞いていると、いかに良いブレーンがいるか、だと感じる。
ブレーンは、ある日、突然、こんにちわ!と現れないと思うので。
と、政治の話は全く疎いわたしだが、コロナ禍でなんとなく政府の舵取りに振り回され続けることになると、関心を通り越して不安になる。
政治、ど素人だが、今回は国民全員が関与する問題だ。
財源どうする? そんな問題は通り越している?
現在の人も悲鳴を上げているが、将来の人々は、借金がずっしり重い。
世界中で、今後、どうなっていくか、リアルタイム・ドキュメント。
弱い立場の人にまず最初に、しわ寄せが行く。
それは世界中でも同じだろう。
医療崩壊も、実際にコロナ感染していない人や、周りに感染例がない人にとっては、テレビの向こうのこととして捉えているかも知れない。
が、実数を頼りに判断するのは、身近な基準だと感じる。
コロナが終息すれば、新しい社会が生まれるが、その前に痛みを乗り越える必要がある。
わたしの遠い将来図はやたらお花畑なのは、近くに訪れる痛みを考えず、相変わらず楽天的マイペースなのだろう。
今を飛ばして、お花畑はない。
でも、必ずある(はず)。
わたしは政治ネタや時事ネタは不得意。
ニュースの一部分だけを参考にした、あんまりよくわかってない、ぼーっとした一国民としての感想である。