午前中にウォーキング。
一日の目標歩数は取り敢えず達成したので、あとは余裕。
Aスーパーは、先日、朝早めに行くと、いつも売り場では見たことがないゴマ団子が売られていた。
わたしはAスーパーの、超ヘビーユーザーなのだが、今まで一度もその商品にはお目にかかっていない。
早速、買って帰って、こっそり長女と半分こした。
末孫オムツ姫Cは、目ざとい。
「何、食べてんの?」
家庭内秘密警察に見つかりそうになった。
「何にも食べてないよ」
とシラを切ると、
「なんで口、動かしてるの?」
と食らいつく。
ん?そう?とかなんとか、適当にごまかすが、彼女は自分が求める動きだけキャッチするセンサーが働くようだ。
62ピースのアンパンマンパズルはもう卒業しそうだが、ちょっと複雑なピースをはめながら、紙オムツをポリポリする。
痒いのかな〜と油断していたら、まあやってくれた。
ジャー。
パカパカしていたオムツの隙間からお漏らし。
畳の上に敷いたマットを外して、畳を拭いてマットを洗って干す。
パズルもいいけど、オムツ、ジャーの前にちゃんと言ってよねーー。
これからは、オムツを触っていたら要注意だ。
ポリポリは、危険信号。
鋭いセンサーをオムツに向けてほしいものだ。
わかってるー?
で、話は戻る。
Aスーパー、夕方に行くと、やはりゴマ団子が無かった。
完売、売り切れ。
いつも夕方にしか行かないので、あんな商品があることすら知らなかった。
余らないように、上手に仕入れるものだと感心した。
今まで一度も見たことがなく、その棚はいつもガラーンとしている。
あんな商品が売られていたとは。
ああいう類を好きなお年寄りが、早くに来て買ってしまうのだろうか。
通勤帰りのお客さんには手に入らない。目にも入らない。
それはそれで、幻のゴマ団子だったわけだが、直近、夕方にAスーパーに行くと、棚はやはりガラーン。
いつもの状況になっていた。
コロナ禍の流れで午前ウォーキングをしなければ、知らなかったゴマ団子。
長女は、「美味しい」と言っていたからまた買おうとしたら、無かった。
午前中に行かないと手に入らないようだ。
わたしも娘もゴマ団子、好きだと強く実感した。
と、上記、文字数を使ってこれでは、ネタにするにはあまりにもイマイチ感が漂う。
ということで、これは前置き、ということにする。
今日、午前ウォーキングをして思った。
なんと整備された美しい街だこと。
ゴミ一つ落ちていない。
(厳密に言うと、一つや二つは落ちているが)
半世紀ほど前に人工的に作られた大規模ニュータウンであり、鉄道が敷かれ、各駅ごとに駅近には高層住宅群、少し距離が離れるに従って一戸建て低層住宅群。
駅ごとに核となる商業施設を中心に、住宅を結ぶ緑道、公園が整備されている。
公園や緑道の草は定期的にバシッときれいに刈られ、苅りたては青臭い草の匂いがぷーんとする。
歩道と車道の間に植えられた木々も大きくなり過ぎると枝を切られ、さらにもっと大きくなるとバッサリ伐採される。
それで終わりかと思いきや、小さなかわいらしい子供の木が、代わりに植えられていた。
肥料もやりたてで、その部分だけが土が焦茶色になっている。
大きな1エリア毎に○○台と名称が付き区切られ、道路や緑道で繋がっている。
○○台ごとに自治館が建てられ、地区の住民が集う。
どこの緑道も、どこの○○台も似たようなもの。
金太郎飴的に整備されている。
ごちゃごちゃしていなくて均一の宅地面積。
土地価格は一時の3分の1近くまでダウンしているものの、安くなればまた新しく手に入れやすい。
(最近は2分割、3分割されて土地分譲されることもあり、若い世代が入るとまた地域が活性化される)
一軒一軒お宅を見て歩くと、とても楽しい。
エクステリアを美しく整え、個性的に工夫を凝らした家をあちこちで見ると活力をもらう。
家屋の格や車の種類で経済状況はだいたいわかる。
立派な家には、はぁ〜と圧倒される。
新しい住宅はまた清々しい。流行もある。
施主の意気込み、気概を感じる。
古い住宅も丁寧に手入れがされていると、暮らしぶりがわかる。
お花を愛でておられる様子も手に取るように感じられる。
家を見ると一目でだいたい全てが把握できる。
よく母がそう言っていた。
縁談があると、まず家を見に行く。
いくら家を整えても見栄だけでは続かない。
家にはある程度のお金がかかるし、山の中のぽつんと一軒家ではないので、地域コミュニティとの協調性が必要だ。
美しく立派な家も突然、競売に出されることもある。
変わるのは一瞬だ。
ブログでそういう自叙伝的なことを書いている人もいるようだ。
いろんな人がいる。
売りに出されている家、取り潰され更地になった土地、、、ポツンポツンとある。
時代の移り変わりは止められない。
わたし個人の家としては、良くも悪くも目立たない家がいい。
欲を言えば、洋服のコートの裏地に凝るテイストが好き。
外側、見た目はなんの変哲もなく、自分だけが楽しい、好きな生地、柄を裏に用いる。
やたら立派な家は注目も集めるが、維持が大変。
空き家でもないのに草ボーボー、傾きかけの家は、黄色信号。
オープン外構のガーデンは美しいが、手入れが大変。
でも通り行く人々の感激視線も集める。
それぞれの個性を打ち出している。
いろんな家を見て、ハウスメーカーのCMのごとく、夢の暮らしが詰まっていそうに見える。
家は幸せの象徴なのかなあと。
マンションは、立地の利便性と快適性で優れている。
(ちなみに、わたし個人としては、タワマンには住みたくない。高いところは苦手)
それはそうと、、、
ウォーキングに出発する時にまず、娘の家の前を通る。
窓からヒラヒラと、布団の下に敷いていたバスタオルを枕と一緒に干しているのが見えるのだが、どうもあのバスタオルは感心しない。
いただけない。
あれは、布団の下に湿気取りのために使うからどんなタオルでもいいと娘に言われ、わたしがお古をあげたもの。
じつは、娘が生まれた時には既にもうその前から使っていたもの。
ゼロ歳児の娘を寝かせている写真に写っている。
お宮参りの着物ならわかるが、バスタオルは消耗品、やりすぎだ。
ずっと使い続けていたわけではないからまあ良しとしよう。
ブランクがあるということ。(言い訳っぽい)
でも、なんだかあのバスタオルを見る度に胸が痛い。
新品あげるから、あれ、もうやめたら?と提案したら、家に居る時しか干してないから大丈夫、とのこと。
カッコ悪いバスタオルは短時間、在宅中のみ限定か。
映画「幸福の黄色いハンカチ」みたいに、生きてます!元気にしてますよ!のシンボル?
うーん、、、
それにしても、、、
生活苦が垣間見えるようなバスタオルだ。
あげるほうもあげるほう、使うほうも使うほう、しかも窓から外、道側に出して干すなんて、、、
せめてミッキーマウスのバスタオルに代えてほしい、、、(あんまり変わらないか、、、)
わたしもやはり、世間体を気にしている?
まあよい。
いろんな家、暮らしがある。
どの家にも幸せが、いっぱい詰まっていて欲しい。