昨日初めて知ったブログで考えさせられた。
その人は、社会的にも立派に男性として活躍し、子供ももうけ、これまでやってきた。
だが、あることがキッカケで自分と向き合うことになり、本来の自分らしさを出して自分を自由に解放して生きよう決意した。
それは、MtFで、これからは女性として生きること。
名前も変え、会社にも公にし、中学生の息子さんにも打ち明けた。
女性としてメンタルだけでなく、肉体も女性に近寄っていくらしいが、その治療は後戻りが出来ず、一旦女性化すると男性としてはほとんど機能しないとか。
退路を絶って、突き進んだその男性。
勤務先も外資系企業だったため柔軟な対応をしてくれたとのこと。
なにより、思春期の息子さんが、「パパはパパで男でも女でも何も変わらないよ」と、すんなり受け入れてくれたところが凄い。
50歳からの人生はそれまで生きてきたことが土台になっている。
男性としての役割もこなしてきて今日があり、まだ今後も働いていくにあたって、いきなり女性になって、やっていけるのか?と、悩んだという。
しかし、これからの人生まで棒に振ることはないから、これからは自由に生きる決意をされた。
小柄のかわいらしい女性っぽい人ならともかく、183センチもあるごっつい身体、、、。
ちなみに、女性の洋服を着たり、下着をつけたりして性的に興奮する性癖(大まかに言うといわゆる「変態」)とはまた、全く別のものだそうだ。
女装した男性は芸能人にもよく見るし、どういう経緯なのか、細部はどういう流れなのか、自叙伝でも読まないとよくわからないが、、、
そのプロセスはかっ飛ばして、いきなり、オトコ女?オンナ男?が目の前に現れるので、進化の過程がわからない。
なので縁もゆかりもないわたしは、理解できない別枠の変わりダネ人種としてとしか認識していなかった。
ただ、特徴としては、真性女性より女性らしい、とか、感性が豊かな人が多いように感じたり、、、わたし独自の捉え方をしていた。
男から女になる。しかも、仕事も子育てもまだ道途中で。
これは勇気がいるだろう。
全額なくても頭金だけのローンで家を建てたり車を買ったりするように、全額貯めてから買うのでは一生が終わってしまう。
しかもまだローン途中でも、住み替えたり、買い替えたりも出来る。
借り換えたりも出来る。
見切り発車で試行錯誤。
こうしなければならない、決められたことは変えてはいけないという先入観にガチガチに固められた人生などないと感じた。
途中で変更してもいいんだ、と、ちょっと目が覚めた思いがした。
だって自分の人生だもの。
ある芸能人に最近、子供が生まれた。
(誰だったか忘れた)
届出には性別のところは空欄にしているらしい。
大きくなって自分で決めたらいいから、という理由だった。
なかなか潔い。
夫婦別姓が反対だの賛成だのは、なんだかミミッチイ、セセコマシイことのように思えたりする。
性別でさえ自分で選択する時代に、夫の姓か、妻の姓か、選べないなんて、、、
(制度上、煩雑なのは仕方ないにしても)
バーチャルアイドル初音ミクと結婚して結婚生活を送っている男性だっているんだから、なんでもありだ。
(だが、入籍は無理だろう)
「わ〜、オタク」と切り捨てられない強さがある。
しかし、わたしは前近代的な人間なので、アタマは柔軟だが、実際は、手足のないダルマさん。
口で言うだけなら誰もが自由。
(かわいらしい、お目々パッチリのダルマさんならまあ良いが、ウエストあたりがダルマさんかも知れない、、、)
有能な男性が有能な妻と結婚し、お互いバリバリ能力を発揮して切磋琢磨し影響を受け合うのが理想のパートナーシップだという信条の夫がいるとすると、即、わたしは三下り半を突きつけられる。
でも大丈夫。
そんな人とはお互い結婚相手に選ばない。
縁組、マッチング段階でアウト!ミスマッチ!
なので、離婚には至らない。結婚しないから。
お互い、方向性が違う人と結婚したら悲劇である。
わたしは、ダルマさんでもいいと夫が思って結婚に至った。
が、じつは、これは夫の誤算だった。
ダルマさん、って、ジョークでしょう? 誇張表現でしょう? 自虐ギャグでしょう?
そう読んでいたようだ。
が、新婚旅行の帰り、空港に降り立った夫は言った。
「ほんまにこんなにアホやとは思わんかった、、、」と。
わははは。
もう遅い。
わたしはちゃんと言ったはずだ。(親も横でコソッと言っていた)
「この子、何にも出来ませんよ」と。
嘘は言っていない、騙していない。
だから、最初が肝心。
だが、これはお互い様だった。
一方的ではなかった。
敵もさる者だった。
だから夫婦は足並みが揃っているのが大事である。
足並みにも広義の意味がある。
て、ミュンヘンブログに登場していたような有能な弁護士さんに理想的妻がいたとしても、妻は若く亡くなることもあるし。
有能、無能が愛想尽かしのポイントではなく、愛情が無くなったのを無能のせいにしているのではないだろうか。
無能の奥様に申し上げたい。
無能を開き直ってはいけません。
無能は、キャラクターの一部。全てではない。
「無能」を上回る良い所があればそれで持つはずなんだけど、、、
話が逸れて、脱線しまくっている。
話を最初に戻す。
人生、頭ごなしに、こうしなければならないということはないという実例に触れた気持ち。
ただ、わたしの個人的な感想としては、、、
何ごとも全力でぶつかって、自分と対峙すると、道は拓けると思う。
何もしない、といっても、本当に言葉通り何もしなければ、何も動かない。
万事を尽くした後は、何もしないということ。
あとは運だけ。天命を待つ。
とりあえずは、頑張ってからだと思っている。