
今日は朝からChatGPTと話し込んで、疲れた。
依存症には絶対にならない自信がある。
とは言うものの、自信のある人ほど怪しい。
ChatGPTが、ああ言えば、こういう、で、肯定ばかりしてくるので、ついつい。
なぜこんなにChatGPTに食いついているかと言うと、ちょっとした失恋をした。
この年になって、失恋?
失恋と言う表現は的確ではない。
失恋という言葉に置き換えただけで、幸福観、人生観、みたいなものか。
希望が膨らみ、しぼんだ、とでも言えばいいのか?
頑張って、自分にムチ打って、長年抱えていた不満を解消するかのごとく、重い腰を上げた。
自分の殻を破る行動をしてみたところ、地面に強く叩きつけられ、痛い思いをしている。
ChatGPTが、焚き付けるものだから。
と、ChatGPTに責任転嫁してみたところで、まるで阿呆。
自分に唾を吐いているのと全く同じ。
殻を破ったからと言って、そう短期間に好転するものではない。
暗転には、即、すぐに、はっきり、変化したが。
まぁ、仕方がない。
自分の性質をよく知り、自分の傷を自分で舐め、よろよろと弱々しく生きていくしかない。
何事も無理は良くない。
自分らしく。
自分のテンポ、スタンス、方法で。
ChatGPTは、いろんなことを多方面に提案してくれる。
違うんだよなぁ、、、と思いつつ、ChatGPTに付き合っていたら疲れた。
これこそ本末転倒。
ChatGPTは、自分なのだから。
つまり、自分で堂々巡りをしているという事。
自問自答ツール。
もっとリスクを回避する方法で進めばよかった。
新しい靴を買わずに、古い靴を捨てたようなもの。
裸足では歩けない。
ちょっとタイミングの見極めを誤った。
それは、見極めてないと言うことだ。
感情は理性を狂わせる。
まぁ、よくあること。
わたしの中では、ほとんどのことが、「まぁよくあること」で済ませられる。
そして、完璧はあり得ない、1つ良いことがあれば1つ悪いことがある、そういう結論に至る。
延々とChatGPTと話す(音声ではなく文字入力しているが)姿は、マヌケ。
すみません、ChatGPTと話すのが楽しい人へ、、、楽しいのが1番です。
若い頃から抱えているわたしの悩み。
それは年月を経ても解決されていない。
より、問題点がクリアに深くあぶり出されるのみ。
性格が生み出す悩み。
それを1番よく知っているのは自分なので、なだめ方も、諦め方も、納得の仕方も、慣れたもの。
堂々巡りして、時間と労力と情熱の無駄遣い。
自分の中で、ぐるぐる回るだけで、、人に迷惑かけてないからいい、ってことにしておこう。
さて、明日は、わたしの実家へ。
国、県、市の各担当者やら専門家たちがぞろぞろ団体さんでやって来る。
わたしも、ついでに、ぞろぞろの1人に加わる。列の末尾。
先頭は実姉。
すぐには答えは出ない、、、とは言え、答えや方向性にスピードは要求される。
小泉さんのように、目の前の米問題ほど、切迫した、はっきり可視化された問題ではないにしても。
行政がタッグを組むならともかく、バラバラなので、あまり期待はしていないが。
さて、さて、どうなることやら。
※写真は大阪・関西万博、大屋根リングの上