へんな洋食屋より発信!

横浜市南区にある洋食屋から旬な話題を発信します。

へんな洋食屋

2007-03-20 08:29:37 | Weblog
その初期型の造りこみは確に素晴らしいっ!デビュー作にふさわしい重量感と質感、職人の巧みの凄さが現れている。だから半世紀経ても普段使いが可能です。近年の製品は、プラスチック等が多用され長年の使用に耐えない。だからと言ってクラシコが使いやすいと言えば不自由です。その分、使用者の技術や知識が深まる。それよりも、そのモノの操作感や所有感の気持ち良さ工業芸術品を使ってしまう満足感に「壺」がある。何度も言うが、プラスチックに付いた傷に愛着は産まれないですよ。コンピューター設計のモノに愛着は産まれないですよ。

へんな洋食屋

2007-03-20 08:29:24 | Weblog
馬鹿な話だが、クラシコカメラを長年やっていて、これはもう病気なんだけど(現に、中古カメラウィルスという菌が発見され患ったら最後直らない)往年の銘機と呼ばれるカメラをワクチンに使用するのだが、その往年の銘機でも特に初期型というがウィルスに効く。マァなんでも初期型というのは、メーカーの力作ではある。マイナーチェンジをして直ぐに不都合・不具合を克服して第二弾も出るが、やはり初期型に「壺」が漂う。だから、中古カメラ病院では初期型のOH済みは恐ろしい価格で並ぶ。ジェネリックなんてのもあるが自慢心が許さない。

へんな洋食屋

2007-03-20 08:29:10 | Weblog
保守的でありながらも好奇心が旺盛で、別に新しモン好きという程ではない。知らないモン好きというか、古いモンでも初めて知れば新しい世界だからいわゆる「古き新しモン」ですなっ!温故知新です。だから、生活も保守的な革新という相反する方向を目指す。世界観というか、実際に初めて見た・引き付けられた骨董品なんて大変古い物だったりするが、その瞬間は知らなかった新しい世界の扉が開いたようなことですよ。だから、新しい古いはその感じた人の世界観の幕開けなんですなっ!そこには、勿論「壺」が見え隠れしているし好奇心次第。

へんな洋食屋

2007-03-19 07:49:56 | Weblog
そんなこんなで、オイラは取り返しが利かない事・趣味が好みである。料理・写真・生楽器の演奏・水彩画・象牙細工等、失敗したら新たにしないと出来ないモノ。しかも、緊迫した時間。だから「ゆっくり素早く」です。お客さんに提供する料理は、待った無しの真剣白羽だし写真だってシャッター押したら現像まで判らないしギター演奏だって最初の一音が出たら止まれない。ボールペンで描く絵は間違いが消せません。騎馬というバイクだって間違いは生命に関する、だから常に慎重です。逆に冒険を好まない保守性が伸び悩む原因かも知れません。

へんな洋食屋

2007-03-19 07:49:29 | Weblog
以前にも書いたが、継続していないと「壺」の中は見ることが出来ない。写真だって続けていないと「光の取り方」を忘れる。つまり、瞬間にシャッターを押せない。ましてや、クラシコカメラは全てが手作業ですから、押せば撮れるモンではない。瞬間の光の量を機械で操作して始めて押せる。しかも、フィルムカメラは現像まで判らない。つまり、取り返しが利かない。その潔さに「美の壺」「瞬間の壺」がある。瞬間の壺と言えば、プロカメラマン達は何時間も待って「美の瞬間」を撮る。ある写真家は、三十五年待ったそうです。奈良の瞬間に。

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2007-03-18 08:34:34 | Weblog
有名な、ストラディバリ・アマティ・ガルネリ等は二百年も前に造られ実際には弾き手の巧みと音から受けた圧力傷に因り百年後位から鳴り始める。そうは言っても、人間の寿命があるから製作時点では無理っ!結局、中古という事になるのだがああ言ったモノも中古って表現に成るのかねっ!オイラのギターだって三十年以上経って鳴ってきた。その間、継続してきたから現在その味を感ずる事が可能だが途中で止めていたらその楽器の成長も止まる。勿論、巧みは止まるどころか忘れる。恐ろしいのは、モノは止まるが技術は衰える。「壺」は困難。

へんな洋食屋

2007-03-18 08:34:20 | Weblog
その時間の自分にしか判らない不安定な精神状態がアドリブです。これ「壺」。そう出来る様に成る迄に、クラシコ~ボサノバ・ジャズ・ラテン・タンゴ・フラメンコと様々なジャンルの音楽を経験した。そして今、独自の音楽世界に近付いた感が有る。囚われない、と言いながらも残す事も必要なので、譜面は書く。これも、モノ造りと思う。作曲もモノ造りだが、アレンジだって譜面書きだってモノ造り、そして演奏も同じ。本当にお金は掛らない、楽器だってもう十五年以上買っていない。生楽器は、その位から鳴り始めます。これも「音の壺」。

へんな洋食屋

2007-03-17 08:26:05 | Weblog
だから、個人的に批判無しにオイラはアナログが好みです。アコースティックの楽器つまり生楽器の事、ゴマカシは通用しません。調弦から指のタッチ、温度・湿度に左右される時間的な移り変わり等を常に感じながら弾かないとドンドン音は狂う。例えば、演奏中に音が落ちてくるーこれは常ですーでも止まれない。だから指で弾く弦を引っ張りながら堪える、その時間は、かなり神経をやられますがプレッシャーが愉快。しかも、楽譜は見ないっ!囚われるからです。例え、クラシコでも見ない、危なく成れば平均律を使う。つまりコードの進行です。

へんな洋食屋

2007-03-17 08:25:47 | Weblog
大事に使い続けて一度張り替えをしましたが新調する以上の金額が掛る。化繊で張られた傘に落ちる雨音と絹・木綿で張られた傘の雨音の風情は雲泥の差です。もっと素晴らしい音色を出すのが蛇の目傘、嵌りますが和装でないと頓珍漢になる。しかも骨が十六本の傘、これは開いた形状の曲線が「美の壺」。十六本骨の木綿張りの傘これ究極ですなっ!曲線と木綿が出す雨音の調べは音の「壺」です。音の「壺」と言えばアナログ楽器。気温や湿度に大きく左右された音、ゴマカシは通用しません。巧みな技術を持って弾かないと「音の壺」は無理。



へんな洋食屋

2007-03-16 08:27:28 | Weblog
オーナーに「美の壺」が感じられる。心意気と言うか、愛着というかその車の佇まいに「壺中の壺」を見た。もう一つ、お客さんで本当に希ですがお勘定の際に出す財布、それも十年は経た「甲州印伝」。漆は薄れているが鹿革の光沢が素晴らしい。新しく求めても一万五千円位なのに、大切に使い続ける。その心に「壺中の壺」を見た。しかも表面に残る古い煙草の焦げ跡、これは外国製の高価なコーティングで守られた傷に愛着を持てない。しかし、天然素材の傷に愛着を感ずるという感です。今は、絹張りの傘や木綿張りの傘は無くなりました。