へんな洋食屋より発信!

横浜市南区にある洋食屋から旬な話題を発信します。

へんな洋食屋

2007-03-20 08:32:15 | Weblog
そして昨夜のNHKの「美の壺」和菓子でしたが、儚い。食べたら終り、跡形も無い。しかしそこに「儚さの壺」。少し勇気付けられた。オイラの活動に料理・音楽が有り、それは実に「はかない」。済んだら跡形も無い。オイラは常々思っていた、人生に何も残せない、形としてです。思い出等と言いながらも、人の噂は七十五日らしい。だから、何か残すモノと彫金や象牙細工・写真・絵等とやり始めた。姿・形ではない、と言いながらもやはり痕跡は欲しい。その上で、「儚い壺」も有って良い。モノ造りにも「壺」にも様々な形態が有るなッー!

へんな洋食屋

2007-03-20 08:32:08 | Weblog
歌謡曲にしても、やはりデビュー作。小説だってデビュー作。なんにしろ、デビュー作は心意気が違う。「壺」と言えば「壺」、それからの長年から産まれる熟成された「壺中の壺」、心意気も巧みも精神状態も熟成の極点に達したら「無形文化財」いわゆる「人間国宝」だっ!そこまで行かなくも、名人・達人・大達人はいっぱいいる。相当好きであっただろうし忍耐もしただろう。だから、続けてきた。そして結果として成るべくして成った。「壺」にです。心身共に壺に成った。素質どころか才能も有ったと思うが、好きと忍耐の総合力の賜だなっ!

へんな洋食屋

2007-03-20 08:29:37 | Weblog
その初期型の造りこみは確に素晴らしいっ!デビュー作にふさわしい重量感と質感、職人の巧みの凄さが現れている。だから半世紀経ても普段使いが可能です。近年の製品は、プラスチック等が多用され長年の使用に耐えない。だからと言ってクラシコが使いやすいと言えば不自由です。その分、使用者の技術や知識が深まる。それよりも、そのモノの操作感や所有感の気持ち良さ工業芸術品を使ってしまう満足感に「壺」がある。何度も言うが、プラスチックに付いた傷に愛着は産まれないですよ。コンピューター設計のモノに愛着は産まれないですよ。

へんな洋食屋

2007-03-20 08:29:24 | Weblog
馬鹿な話だが、クラシコカメラを長年やっていて、これはもう病気なんだけど(現に、中古カメラウィルスという菌が発見され患ったら最後直らない)往年の銘機と呼ばれるカメラをワクチンに使用するのだが、その往年の銘機でも特に初期型というがウィルスに効く。マァなんでも初期型というのは、メーカーの力作ではある。マイナーチェンジをして直ぐに不都合・不具合を克服して第二弾も出るが、やはり初期型に「壺」が漂う。だから、中古カメラ病院では初期型のOH済みは恐ろしい価格で並ぶ。ジェネリックなんてのもあるが自慢心が許さない。

へんな洋食屋

2007-03-20 08:29:10 | Weblog
保守的でありながらも好奇心が旺盛で、別に新しモン好きという程ではない。知らないモン好きというか、古いモンでも初めて知れば新しい世界だからいわゆる「古き新しモン」ですなっ!温故知新です。だから、生活も保守的な革新という相反する方向を目指す。世界観というか、実際に初めて見た・引き付けられた骨董品なんて大変古い物だったりするが、その瞬間は知らなかった新しい世界の扉が開いたようなことですよ。だから、新しい古いはその感じた人の世界観の幕開けなんですなっ!そこには、勿論「壺」が見え隠れしているし好奇心次第。