へんな洋食屋より発信!

横浜市南区にある洋食屋から旬な話題を発信します。

へんな洋食屋

2007-03-16 08:27:08 | Weblog
マァ「壺」もある程度は、お金も掛る。未だ残る戦後間も無い木造家屋、年代が手入れを必要にしているが、フッと見ると素晴らしく維持された下見板の外壁にアルミサッシが付けられている。そのサッシも木目調なんだけど、やはり遠目にも質感が軽い。う~ん、残念っ!只、持ち主の大切にする心は伝わる。苦肉の決断であろう、その苦肉の決断に「壺」は有る。車検を五・六回経た古い車、イブシ銀の様な佇まい。修理を繰り返し、ガレージに保管し洗車もゆき届き、メッキも光沢を残す。維持された金額は、新車を買えるに等しいと思う。「壺」。

へんな洋食屋

2007-03-15 16:55:36 | Weblog
つまり、大枚叩いて買っても使えないでいるかも知れません。得たモノは、大きく多かった。完成の満足感・技術や試行錯誤の上達・周囲の評価等、買っていたら只の自慢でしかないものを月とスッポンでした。そんな「壺」を経験していく内にドンドン嵌る「壺中の壺」。一番は、モノ造りの試行錯誤・失敗・産みの苦しさ喜びを知った人は巧みの真髄が見える事。職人の巧みの凄さ・美しさ・巧妙さ・技術・執念が見えてくる。その見えてくるが「壺」であるし、モノを大切に使用する心をも宿す。また、必要か否かの気持ち・判断力も身に付ける。

へんな洋食屋

2007-03-15 16:55:24 | Weblog
その過程とは、金儲けに徹してしまうからだ。実際、金儲けが巧くないと金銭は貯まらない、貯まらなければ収集は無理です。でも、造ればいいんです。不可能なモノも沢山あるが、大概は手を借りたり知恵を借りたりして何とか成る。以前、あるショップでウィンドウの中で燦然と輝く懐中電灯を見た、余りの素晴らしさ購買意欲が最高潮、価格を見たら十二万円。銀製のTIFFANYでした。買えません、だって懐中電灯だよっ!「造ってやる!」試行錯誤・無為夢中で製作したが我ながら上出来。二年経ちますが、下ろすのが惜しくて今だ使用せず。

へんな洋食屋

2007-03-14 10:49:54 | Weblog
但し、「~感」の内で満足感というのがいけない。満足感にも様々有るが、所有感とか取得感なんかが特にいけない。達成感や到達感などは、努力がチラチラと見えるし、その過程を味わっている為頷ける。取得感・所有感の際たるコレクターにしても得る為の金銭を貯める努力や捜索の努力は、認めるが何か金づくで嫌ですなっ!そういう自分も、若い頃は時計や眼鏡、バイク・カメラ、食器・置物等と様々を集めてみたが何も産まれなかった。結局、周囲に見せ開かすか自慢大会をするだけのイヤミな自己陶酔になってしまう。その過程もイヤミです。

へんな洋食屋

2007-03-14 10:49:38 | Weblog
実際には、興味を抱いた時に「寄り付き」が始まっていますが実行しないと「壺」の中は見れない。カタログでの通販が何と無く不安なのは、金銭のやり取りよりも手にしないで求める不納得です。百貨店で余りに高価でウィンドウから出して貰い手にするのも恐れ多い場合も有るが、やはり手にしなと重量感や質感等は判りません。身に付けるモノなら尚更身に付けて気持ちの良いモノでないと飽きてしまうし後悔が付きまとう。旅だって、行ってみないと空気感等得られない。もしかしたら、「壺」は「~感」なのかも知れません。様々な「感」です。

へんな洋食屋

2007-03-13 08:36:59 | Weblog
「壺」を当てるには、その周辺からの空気感というか雰囲気が大事、結構年季が要りますが近付くと「フッ!」と直感が働き立ち止まる。周囲の地形を眺め、地形はモノの景色でもよい、「間違い無いっ!」とハンターの如く寄り付いて行く。基本です、五感から得た直感を無駄にしないで寄り付く。この「寄り付き」を行わないと「壺」に出会えない、結局は、興味ー下調ー五感ー実行ー確認の一連が「壺」の中を見せる。土地感も物感もモノ造り感も調べモノも同じで「寄り付き」がある。自分も対象も同じくした引き付けが有り「寄り付き」に結ぶ。

へんな洋食屋

2007-03-13 08:36:44 | Weblog
昨日は休みにて、騎馬民族で神奈川区をやりましたが、その帰り西区の老松町を通り、完全な谷戸なんですけど有った!「壺」。昭和30年代の風景と空気、町全体がセットの様です。風呂屋・惣菜屋・乾物屋・甘味茶屋・八百屋・鶏肉屋等など圧倒的な「時代の壺」です。来週にでも徒か騎馬にて40年前のレンズで写し納めるつもりでいます。谷戸という地域の条件が残したのかも知れません。あの店でメンチとハムカツを買い、甘味茶屋で白玉を食べたいっ!そこに神社が有れば最高に達しますなっ!と、様々を思い巡らせる事自体が「壺中の壺」です。

へんな洋食屋

2007-03-12 09:00:40 | Weblog
でもしかし、その美術館・博物館に出向く気持ち自体が稽古です。好奇心と学習の心の動きが実行に移す、稽古です。すると、先人達の技術や手間・時間の掛け方つまり根気の物凄さに驚かされる。ハイテクなんて無い時代、機械も無い時代によくぞ造れた逸品中の逸品。「壺中の壺」と言えば、お城。木造建築の粹ですなっ!コンピュータなんて無いですよ。あの時代はっ!更に驚くのが、石垣。一つ何トンもの大石を隙間無く積み、しかも何百年も崩れない。勿論、重機は有りません。それが、政治と軍事の両面でも完璧に機能する。「壺中の壺」。

へんな洋食屋

2007-03-12 09:00:28 | Weblog
そして今日は、革工芸を趣味にしている方が来て作品を見せて頂いて、作風の個性や細かい部分の仕上げの方法で勉強に成りました。稽古という言葉には、見取り稽古・聞き取り稽古・行い稽古とあるがなんでもが稽古になります。人の作品を観る事で巧い所・巧くない所も学べます。「ここは、この様に処理すれば綺麗に仕上がるのかっ!」「ここは、自分ならこうするなっ!」等と無駄無く勉強に成る。やなり手に取り観察しないと本当には理解出来ない。だから、美術館・博物館の物品は鑑賞の見取り稽古です。国宝を手には出きないモンねっ!


へんな洋食屋

2007-03-11 08:24:05 | Weblog
昨夜、彫金の趣味が一段落したので端材の整理をし、それを精錬しついる時、銀の端材に銅を割り込んだらピンク色の銀材が出来た。精錬だから碁石ほどの大きさなんですが、研いたら驚く位の美しさっ!割合はデタラメだったが、これからより美しい新素材造りに配合を研鑽しようと新たな気持ちが宿りました。という様に何事も勉強だし、何かを産み出すには継続をしていないと成らないという「壺」の発見でした。只、新製品・新素材の開発にはその後の使いがってや経年変化を検証しなくてはならないので、時間が必要だがそれも「壺」ですなっ!