
今日も6時に畑。昨夜小雨が降ったようだが、作業には支障はない。牛蒡の畝作りを終え、野菜の畝3本に堆肥を施す。ホウレン草やニラは、一晩を越すごとに肥大しているのが分る。辺りを少し散策すれば、すぐに美しい花を見つける。紫のヒヤシンス、ミズバショウなどやさしい姿に癒される。
死んだ兄は身体が弱く、農家の跡継ぎであったが、農作業には力を十分に発揮できなかった。その分、家の庭先でできる花作りに熱中していた。なかでも力を入れたのはダリアであった。球根の管理、施肥、水遣りなど、人に任せることなく、自分で判断した。情報のなかった戦後間もないころである。どこから、知識を仕入れてくるのか、花と会話しながら適切な管理で美しい花を咲かせるのが自慢であった。
散策のとき美しい花を見かけたりすると、ふと、兄のことを思い出す。20歳も年の離れた兄であったから、話も十分に心の通ったものではなかった。人との付き合いもあまりしない兄であったが、花を育てることによって、心の平安を保とうとしたのかも知れない。自分が手をかけただけ、花は美しく咲くことで応えてくれる。裏切ることをしないのだ。農家の後継ぎとして、重荷も負ったであろうが、花との会話で、ひととき心を和ませることがあったのではないか。そう思うと、自分自身も、少し気が休まる。
ヒヤシンス小鳥を埋めしところより 秋野 恒
ヒヤシンスはギリシャ神話にその語源がある。美少年ヒュアキントスは、アポロンの愛を受け入れた。同性愛であたったが、その愛に横車を入れたのが、西風の神ゼピュロスである。ヒュアキントスに横恋慕を拒まれたゼピュロスは、アポロンと円盤投げに興じるヒュアキントスへ向かって西風を吹かせた。すると、アポロンが投げた円盤がその風に乗って、ヒュアキントスの額に当たり、大量の血を流して死んだ。その血の跡に生えてきたのがヒアシンスである。