梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

眼も耳も閉じて街を歩く

2018-09-02 08:39:49 | 雑記
朝のTVで養老猛司さんが出ていた、
「今の人達は時代の潮流に翻弄されている」と言っていた、
「頭で考えるだけで感覚を使っていない、情報の知識で判断しようとして立ち竦んでいる」と言う、
実に納得した、知識だけで判断しようとして自分の感覚を使わない、
言わば眼も耳も閉じ、肌で触れようともしないで自分の進む方向を考える、それで怖くなって立ち竦む、
スマホの地図アプリを見て実際に見える景色を見ようとしないという今の歩きスマホに酷似している
無論そんな矮小化した話ではない、
病院の話をしていた、養老氏は23年前までは現役の医師だったそうだがその頃から医師と患者が口論になって居た事を言っていた、
医師は「検査結果は異状がありません、貴方は具合悪くはありません」と言う
患者は「具合悪いから医者に来てるんだ!」と喧嘩になる、
「今の医者は知識の上で数値化しその範囲を判断の基準にしている、具合が悪いという事が病気だという事が大事なんだがこれが今のほとんどの生き方だから苦しくなる」
「生き方がどうしたら良いか分からない」と言うがどうしたらいいかなどと考えていたら踏み出せない、
歩き出せばそんなことは考える暇もない、常に新しい状況に対応してゆかなければならない、
それは地磁気ではなく感覚だ、
その通りだと思う、私の生まれ育った時代は「生き方」「いきなどは考えることはなかった(私だけか?)
「生きる事」は特別意識する様なことではなく呼吸をするようなことで喉が渇けば水を飲み、お腹が空けば食事をする、
それを維持するのに働くことは当然の条件だから何の疑問も持たなかった、
「もう少し楽に稼げれば」とは考えても「生きる意味」は考えなかったしその余裕もなかった、
一方で生きる意味、哲学的な意味や宗教的なものにも興味はあった、
実を言えば養老猛司氏の本に出合ったのも22~23のころの「仏教の思想」と言う本だったのだが
だからと言って現実社会に不満や恐れを持っていたわけではない、逆に足場を固めて生きる糧にと思っていた、
「今の政治も官僚も限界ですね、一度崩壊しなければならない時期ではないでしょうか」と言う話も心から納得した、
少なくとも日本で言えば官僚制度と自民党一党支配の状況と世界的な資産の偏在は徐々にと言うのはもう不可能かもしれない、
しかし日本では庶民からの改革と言うのは歴史的にもなかった、
改革と言うより大きな変革が必要なのかもしれないが逆に今度こそ庶民からの変革がいる時期なのかもしれない、
情報が一気に拡散する現在それを押さえつける方法は存在しない、末端からの改革は条件が整っている、
ロシアでも中国でもネットによるうねりは止められないが「特定秘密保護法」は前記した国ですら
非難をされている、
元に戻そう、子供達に五感の大切さを教えるのは第一には親である、
子供の遊びは最大の勉強だという事を親が理解しなければ子供は息苦しくなるばかりだ