梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

それ程嫌われ者では無いと思うのだが

2011-06-11 11:31:46 | 雑記
仏教に四聖諦と言う言葉が有る、「苦・集・滅・道」と言われ、苦の元は執着だから其処から離れれば悟りの境地になると言われている、(少し違うかもしれないが)苦の大きなものに病と老衰と死が有るがそれらは人知ではどうにも出来ない事だから気を病んでも仕方ないと言う様な事だったと思うが自分は老衰と死はかなり前から「必ず来るのだから」と自然に考えていた、恐らく身近な人間をあまりに多く見送って来たからだろうと思う。両親を始め兄、義兄、と30歳に届くまでに5人、其の内喪主が2回、喪主の補助の様な事が2回である、更に40代までに友人が3人逝った、50代で義兄が1人と義母が、60代になって義兄と本当に親しい友人が逝った、まあこの年齢だと増えてくるのは致し方ないが皆40代から50代で逝ってしまった、諸行無常とは言わないが死を恐れても仕方ないと思うのに慣れた、自分の死で困る人間がいなければ左程苦にならない、
自分に何か欠けた所が有るのではないかと思うのには他にも有る、当然自分にも田舎という物はあり思い出もあるのだが「故郷の景色」であって其処には人影が無い、有るとしても其れは風景にはめ込まれた様な思い出で友人と言う物が故郷の思い出の中で動き回る事は無い、小学生の頃はまだ母親も生きていたので友達と取りいれの終えた田んぼで凧揚げをしたり模型飛行機を飛ばしたり、チャンバラごっこやかくれんぼも缶けりも竹馬もやっていたのだがその思い出にも友人の姿が無い、いや当然1人では無いのだからその影は有るが名前もイメージも出て来ないのだ、
先日同窓会の葉書が来ていた、大抵3年に1度位やっている様だ、私は中卒なので中学の同窓会だが書いた様に具体的な印象が無いので特に懐かしいという心持も無い、卒業した1年後の最初の年と20代で1度、その後いつ頃かもう一度行ったがどうも行く気がしない、特に田舎の友人に苛められたとか惨めな気持ちが有ったとかいう事で無く、昔の思い出と言うものに行き当たらないのだが、その中で唯一ずっと連絡を取り合っていた友人が「出ろよ」と言うので行ったのだがコイツガ当日ドタキャンをして来なかった事がある、其の会で実に居所がなく違和感に包まれたままお開きとなってその後は全く行く気が失せた、勤めて居た時も同僚と酒を飲みに行く事は殆どしなかった、無論会社の行事には行ったが私的に同僚と酒を飲む事は無かった、其の替わりという訳ではないが喫茶店で知り合った連中と一緒には飲んで廻った、これは「同僚と飲むとどうしても会社に対する不満や悪口になってしまう」事が嫌いだった事が大きいのだがいずれにしても人附き合いの良くない人間でその辺が欠けているのではないかと思う所以でもある


最新の画像もっと見る

コメントを投稿